祖母との生活
2週間ほど続いた祖母との生活も今日で最後となった。
何度も来ている祖母の家、何度も話したことのある祖母だけれど、改めて長い間一緒に暮らすと新鮮に思うことがたくさんあった。
まず、祖母の家にはネットがない。テレビも12,3年前に我が家から送り込んだものである。(ほぼNHKしか観ない)
なので、情報は基本的に紙媒体からとっている。あとはラジオ。
朝は墨をすりながら新聞を読み、昼はラジオ体操、夜はビデオでダンベル体操をしながらスウェーデン児童文学などのラジオを聴くのが日課らしい。ていうかビデオテープって久々に見たわ。
今は書道が出来なくて退屈だから買って来てと頼まれた雑誌は文藝春秋。恥ずかしながら初めて手に取った。
こういう風に情報に触れていると、知識の幅が広がるだけではなくて一つ一つの知識がすごく深くなる。祖母と会話しているとそれが滲み出てくる。
読む、聴くことより視覚的に情報を得ることが多くなってしまっている私にとって、改めてその良さを感じるきっかけになった。今年はもっと本や雑誌を読もう。
次に新鮮だったのは、選択肢のなさ。
群馬のド田舎にある祖母の家の周りにはとにかく何もない。
まず、徒歩圏内にコンビニがない。
スーパーは駅前に一つだけ。
ドトールやスタバも無ければ、ショッピングセンターやデパートなんてもちろん無い。ジムもない。(車があれば行けるが)
公園はやたらある。あと歩道もやたら広い。むしろ歩道が都会の公園くらい広い。
始めは戸惑った。急にお金を振り込もうにもすぐコンビニATMに行けないし、スーパーの営業時間に必要なものは買っておく必要がある。
そして先にも書いたが、ネットがない。
とにかく、やる事がない。
普段ニュースも映画も動画もネット経由でみて、本はkindleで読んでいるので何もできないじゃん。
気が付いた。慣れてしまえば、選択肢が無いというのはすごく心地良い。
勉強していて何かに惑わされることがない。その日の計画が狂うこともない。だって他に出来る事もないし。
大学生くらいから、社会人になったら特に、まあまあの都市に住んでいるとこういう「選択肢のない」状態の生活は意識しなければなかなか出来ない。
毎日、色々なことに惑わされるし色々な偶然がある。
そういう生活も悪く無いしむしろ好き。特に若い時は大事なところもある。
ただ、少し意識して「選択肢のない」状態を毎日に混ぜて行くともっと自分が豊かになれて、時間の流れをちょっとだけゆっくりに出来るような気がした。
こういう文章を書いているとまとまらなくなっちゃって、いつも途中でやめてしまうのだが今回もやっぱりまとまらなかった。
でも、まあいいや。とりあえず、今日はここまででアップしておこ。
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