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自分を褒めるって苦行を始めました。

ここ数ヶ月、私はこっそりひっそりコーチングなるものを受けている。
コーチングとはなんぞ、という人もおられるかと思うが、ざっと言えば目標に対して必要な行動や質問をして、決められた期間ともに併走してくれるパーソナルトレーナーのようなものである。(正しく知りたい方は私よりグーグル、ウィキペディア両先生とコーチング関連本に聞いてくれ)
決められた期間、月に一度セッションを受け、次までに必要な課題をこなすのだが、今回の課題はなかなか私に取っては辛かった。

自分を褒めよう。

決めた目標に沿ったテーマからどんな課題を思いつくか、思いついたものをヒントに自分で作るのであるが、決まったときには本当に呻いた。嫌だった。
だって、自分を褒めるって!
「ヒャッホー!!あんた本当に天才だよう!!」
などと、それどんなエセ自己啓発・・・・(白目)な褒め方しか浮かばなかった私は、キャ、キャンセルでお願いします・・・と鳥肌を立てながらコーチに訴えた。無理だ。嫌だ。勘弁してくれ。もちろんキャンセルは不可だった。

それならもうやるっきゃない。
ゴール目指してやるっきゃない。

自分褒め日記なるものをアプリでぶち上げ、寝る前にその日の行動を振り返って自分を褒めた。

一日目『生きてるだけでえらい』
二日目『息してるだけでえらい』
三日目『動いているだけでがんばってる』

・・・いや、ほめ?これ褒めてる?

びっくりするぐらい褒め方が雑だった。
語彙が無かった。                                    
これが自分を貶すためだったら、めっちゃ出来る子なのに。

一日目『今日もまた無意味に一日を過ごした。ろくにケアもしないから顔もシミやしわが出始め、こんなだからパートナーもできない。背も丸く脂肪はついてどんどん醜くなる。何も出来ない』
二日目『いつも同じ所ばかり行っている。だから考え方も古くなり、頭も硬くなり話しについていけず、話しかけられてもつまらない人と思われ、果ては老害になる。聞き役に徹すればいいが、話されてもその話の大半は理解できない。勉強と経験不足。私に魅力はない』
三日目『人生はつまらない。そしてその人生をつまらなくしたのは間違いなく私である。』

すごい。すごいけど、とても、辛い。

自己否定は今の私にはとても楽だ。楽だけれど、行動を止めるほど重たく体にのしかかってくる。よしやってみようと立ち上がることも出来ないくらいに。
おまけに私はかくことが(描くことも書くこともどちらも)好きで常に何かしらかきたい!と欲求を抱える人間であれど、その度に自己否定の言葉が海原雄山(名作『美味しんぼ』の元ラスボス)の顔をして怒鳴り込んできたりする。
ちょっとやってみようかな、の相手が海原雄山。
絶対、勝てない。

何せ相手が雄山なので、息子の士郎でもその嫁のゆう子でもない私は太刀打ちする気構えも知恵もなく、割とすぐコーチに泣きついた。
あまりに褒め方が下手すぎたので。
褒めるところがなさ過ぎたので。
「無理です、コーチ!!」という台詞とともに思い浮かぶのは昭和のスポ根アニメだが、昭和、平成、令和となった今の時代のコーチはすごく優しい。剛速球で投げつけられるボールどころか感情に先走った理解不能な言葉も飛んでこない。優しいコーチは私の自己否定癖について解説をしたのち、とにかく否定する自分も肯定して、肯定して、とにかく一ヶ月肯定してみて下さいとおっしゃる。

・・・無理ですコーチ。

それでもとにかく自分を褒めるように、日記と言うよりはメモ書きにして、今は思いついた時に自分を褒める言葉を書いている。
最近書いた褒め言葉はこれ。
『思ったことを実行したことはえらい。よくやった!』
思ったことをすぐ実行しないのが私なので、あまりしっくりこないけれど、実際昨日やろうと思ったことを今朝行動したのは事実である。

認知の歪みが取れるような過度な期待はないが、行動を変えなければやばいところまできている自分は、コツコツ自分を褒めている。
結果がどうなるかわからないが、目標達成までなんとかがんばって自分を褒めたいと思う。

がんばって自分を褒めるって、最早パワーワードでしかないけれど。

#日記 #エッセイ #コーチング




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