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お義父さんと椅子を買いに

土曜日。

平日休みが多いうちの人が、珍しく土曜休みなのに朝から不機嫌そうだった。

不機嫌なのは良くある事で、昔は私のせいかと思っていたが、そういう訳でも無い事が多いのが長年暮らしていると分かってきたので、素知らぬフリをしていた。

すると、

「午後から親父の買い物に付き合うんだ。マルニ木工に行きたいって」

「マルニ木工?!入れるの?」

マルニ木工は、地元では高級家具屋だ。

広島の街中の映画館は、マルニ木工のソファ椅子が使われていて、俳優さんなどがわざわざ東京からやって来るという噂を聞く程、座り心地が良い。


「お前も行くか?」

「行っていいの?行く!」

…急きょ、出かける事になった。

お義父さんと会うのは去年の11月以来だ。

お義父さんは90才。

近くに住んでいるものの、何年も会っていなかった。

というのは、89歳のお義母さんが痴呆になり、そこにひょっこり私が訪ねるとお義母さんも興奮したりで困るそうなのだ。

それでもう、「正月も来てくれるな」と言われていた。

去年11月に会えたのは、お義母さんが骨折して入院したと聞き、お見舞いに行ったからだ。

***

11月以来に会うお義父さんは、少し腰が曲がって背が小さくなり、杖をつき、おまけに少し痩せて見えた。

背が私よりだいぶ高くて、背筋も真っ直ぐで、早足で歩き、頭の回転も良いお義父さんだったのに…

冬に転んで腰を骨折し、長く入院していたのだ。

お義父さんのお見舞いには行かなかった。

お義父さんの入院中の姿は、私に見られたくないのでは無いかと思ってしまったのだ。

ともかく、再会出来て良かった。

すごく正直に言うと、お義父さんが好きだと思い夫との結婚を決めたのだ。

私の世代には珍しく、仲人協会の見合い結婚だった。

車の後部座席に私が座っているのを見て驚いていたが

「今日はマルニ木工に行くって聞いたから、一度行ってみたくてついてきました」

と無邪気に言うと、お義父さんもマスク姿の目が安心したように笑っていた。

「大変でしたねー。退院出来て良かったですー」

「退院出来んかったら死んでいたよ」

道中の夫とお義父さんの会話を聞いていると、90才にしてはしっかりしているものの、物事は何度も反復して確かめる様になっていた。

私より頭がキレキレの人だったのに。

歳相応といえば、そうかもだけど。

歳を取るとなるべく入院しないですむ方が良いな。半年病院にいると、こんなに変わるんだ。

もう少しスムーズに歩ける様になったら、またキレキレの頭脳も戻ってくるだろうか。

ショールームに到着!

ゆめタウンという大きなショッピングモールの横にあるのに、入るのは初めて。

入れる場所だとは知らず、マルニ木工の会社の事務所なんだと思い込んでいた。

手前は今時のモダンな家具。

幸いなことに、今日はセールだ。

お義父さんの目的は、椅子を探しに来たらしい。

入院の間に足腰が弱り、立ち座りが辛くなったそうなのだ。

「今はどんな椅子を?」

と聞く店員さんに

「いやぁ、ボロい椅子でね」

と答えるお義父さん。私が店員さんに付け足す。

「ボロくないですよ。革張りの立派なマッサージチェアです」

と言うと、店員さんも納得した様にいくつかの椅子を出してくれる。

椅子が低いと、立ち上がるのに負担がかかるというわけだ。

座り比べてみると、座席が広くても肘掛けが離れていると難しいとか、どの椅子も希望にぴったりというわけでは無かったが、写真の真ん中の椅子が良いとお義父さんが言う。

「座ってみなさい」

とお義父さんが言うので、私も座ってみると本当だ!

真ん中の椅子が一番体にフィットする。

椅子一つでこんなに違うなんて!

「すごい!これが良い!」

と私が自分の椅子でもないのに喜んでいると、お義父さんが

「やっぱりそれが良いだろ?」

と言う。

「いくらかね?」

値段を聞いてこれまたびっくり、

税込み19万円!

椅子一脚に19万円は流石に高いね、と私の方が言うと、店員さんがセール価格で計算し直し、13万5千円の提示をしてくれた。

13万5千円だって、我が家の金銭感覚では無いけれど
(その値段でお買い物出来るなら、新しくダイニングのフルセットを買いたい)

お義父さんの家なら悪くない買い物だと思った。

「買いますかね?!」

お義父さんにそう言うと、

「買おう」

と決めた。良い決断だと思う。

90才のお義父さんがこれから一日の長い時間を過ごす椅子なんだもの。

***

困ったのは、ここはショールームで、支払いは別の店舗でしなければいけないということ。

ショールームから8キロ位東のLECTとう、これまた巨大なショッピングモールの本屋の2階にマルニ木工の店があり、そこで支払って、また取りに戻って来てというのだ。

…90才の退院したばかりのお義父さんが、広いLECTの中を歩けるだろうか?

そうでなくても道は渋滞。

LECTの前なんか、駐車場待ちでちっとも動かない。

8キロしか無い道が、車で一時間以上かかった。

何とかたどり着き、さっさと歩くうちの人にだいぶ遅れて、一生懸命歩くお義父さんの後ろを歩く。

お義父さんは、LECTは初めての様だった。

「こりゃ店がごちゃごちゃしてるのー」

と言うお義父さんに

「きっとわざと迷子にさせて色んな店に迷いこます仕組みなんですよ」

と私が言うと納得してくれる。

実際のところは分からないけれど、蔦谷書店に入ると雑貨屋やマルニ木工にもたどり着くのだ。

「ポイントでまた買い物が出来るから」

とカード一括払い。ポケットの沢山あるベストを着ていて、大事なものは全部ベストに入っている。

さすがお義父さん、杖をついて歩くのに良いアイディアだと思う。

夏は少し暑いかもしれないけれど。

そのままサッサと帰ろうとする夫を止めて、

「お茶にしよう」と声をかける。

ちょうどマルニ木工の横にカフェがあったのだ。

13時台にお義父さんを車に乗せてからすでに3時間経っている。

マスクをつけて歩き回り、休み無しでは熱中症が心配だ。

私のはイチゴ味。珈琲と混ぜてあるのか、何とも言えない微妙な味だった。

とりあえずは、水分が取れて満足!

またショールームへ。

ショールームの方も先に書いたとおり、ショッピングモールの横なので、道路は車がいっぱいでショールームになかなか入れない。

イライラしているうちの人の横で、背丈もあり立派だったお義父さんが小さくなって申し訳なさそうだ。

ショールームの店員さんは戻ってきた私達を見て、笑顔で椅子を車に運んでくれた。

「この支払いの仕組み、何とかならないですかねぇ」

と軽く文句を言ったが、困った様に営業スマイルなのを見て、私も苦笑いするしかなかった。

80才くらいだと思ったのかもしれない。だけど90才でこの移動の買い物は大変だ。

お義父さんを家に送る途中のスーパーで私だけ車を降りる。

「お義父さん、また元気でお会いしましょうね」

と車を降りかかると、

「これ、小遣い」

と一万札を差し出した。

え?と思い、夫の顔を見たが、お義父さんが手を引っ込めないので受け取った。

お小遣いなんて、この歳で初めてもらった。

本当は逆にあげる様な歳だけど、嬉しかった。

それで、スーパーでは何故かいつも買わない様な…古くなった夫の弁当箱を新調したりした。

家に帰り、夫に聞くと

「食費に使え」

と言う。

お義父さん、私がついて行ったばかりにもう一万円高い買い物させちゃったな。

「わー、助かるー!」

と言いながら、(お義父さんから)と付箋をつけて、へそくり用の封筒に大事にしまっておいた。








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