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#22.「才能へ気付くことができる確率」と「社会的価値」について

喉から手が出るほど欲しいもの。「才能」

才能にも色々な種類がある。

頭脳明晰、スポーツ万能、芸術的センス、容姿端麗、コミュニケーションスキル等数え上げればキリがないが、「才能へ気付くことができる確率」と「社会的価値」がそれぞれで全く異なる。

「才能へ気付くことができる確率」

特に容姿に関しては「才能へ気付くことができる確率」がものすごく高く、「社会的価値」も高い。容姿が良いとその他も追従して、よく見えるような気もする(本人の努力もあると思うが)。

社会の中で人と顔を合わせれば嫌でも才能の有無に気付かされる。最も可視化し易く、最も残酷な才能と言っても過言ではない。「素顔同盟」のような世界にならない限り、失われることはない才能(スキル)だと思う。

一方でコミュニケーションスキルやその他可視化することが難しい才能については、そもそもの「社会的価値」を評価し辛い。不安定なものであり、「才能」といっても花開かせることは難しい。

「社会的価値」

結局は自分が生きている時代の社会で何が求められているかが重要だ。スポーツが最も良い例だ。

野球やサッカー、陸上の才能があったとしても、その時代にプロリーグが無かったり、世の中や企業スポンサーからの需要が全く無かったとしたら、それは社会的価値は無しとみなされ、趣味の領域で終わってしまう。野球は日本では人気のあるスポーツで高校生の野球が全国放送されるくらいの知名度を持っているが、外国によっては全く盛んではないところもある。野球の才能を持っていたとしても、そこの国で生まれ育ち、全く野球に触れることのない人生を歩んでいたら、才能は発揮しづらいだろう。

社会的価値をひっくり返すことはできないが、時代とともに変化もする。不変ではない。その社会に自分の才能を適合していくしかない。

終わりに

先日、やりたいことの見つけ方についての本を読んだ。「自分の得意なこと」と「自分が好きなこと」や価値観等を掛け合わせて見つけていくものだ。自分も本を読んで実践してみたが、いまいち抽象的すぎて落とし込みきれなかった。自分に合った見つけ方を探していくしかない。

10年前にYoutuberという職業が公に無かったように、ここからの10年も社会は大きく変化していく。10年後の自分よ、どこで何している。未来予知の才能が欲しい。


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