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センチメンタル熱海10あなたと松屋がないなんて        

ホテルのレストランの仕事が終わり、明日は休み。
私は最終の新幹線を目指して、
熱海の暗いひんやりとした商店街の
坂を駆け上がる。
観光地の夜はやたらと早い。
駅前なのに人通りもない。
地元の人は車なので尚更だ。帰りに飲みに寄ることもない。

宿泊客もホテルから出てこない。
そもそも出ていく先がないからだ。

繁盛した時代は、不夜城のごとくさぞ煌びやかだったろう。
商店街に置かれた展示コーナーの白黒写真が、そう語っていた。

今、目の前にあるのは真っ暗なコンクリの森と電気の点かないネオンだ。

たった45分の乗車時間で東京に着く。
最寄り駅に到着したら、その明るさに驚く。
帰宅中の人たち、居酒屋の呼び込み、コンビニの明かり。

迎えに来た夫と合流し、松屋で晩餐。
選ぶのはビールにビビン丼。
一口頬張って、続いてビールを一杯。
ブハッと息をつく。

二口目をモグモグしながら
やっと気づく。

私が私に戻ったことを。

ああ、私はあの海に潜る為に
ずっと息を止めていたのだ。

そのうち息を止めていることも忘れて
体があの波の下へじわじわ沈んでいくのを
じっと感じていた毎日だった。



もうあそこには戻らない。

私は知ってしまった。
新幹線で45分で到着できても

熱海は遠くに思うものだと。


温泉が素敵で初島が美しくてお魚が美味しいけれど、
残念な街。


松屋とあなたがないんだもの。

それは私の世界ではありえない。



さようなら、さようなら。
センチメンタル熱海。












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