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紫陽花と鎌倉と我が衝動

「6月は紫陽花」と誰もが思うくらい、みんな紫陽花を見たがる。
それしかないのかっていうくらい。ネットのバナーも、雑貨も、パフェまで紫陽花。梅雨の最中で行く場所も限られて、この鬱々とした気分を晴らすのに鮮やかで美しいものが見たい。・・・・・ものすごくわかる。わかりすぎる。

6月第二週の平日。大混雑の明月院の入り口の前で、私は予想通りの状況に何とも言えない気分になった。衝動を抑え切れないのは私もで、今日はわざわざ水色の着物を着て簪も紫陽花という気合いの入れっぷり。手ぬぐいも紫陽花柄。
雨は辛うじて免れて、日差しは暑いくらい。これも予想通り。
寺には入らず、くるりと踵を返した。続々と駅方面から人はやってくる。
北鎌倉の山陰の冷んやりとした風を感じながら、明月院の横の清流をたどった。

6月の鎌倉は水と風と緑がいい感じの季節。

明月院の紫陽花を見たい衝動は実はすでに5月で発症していた。
特に今年は桜の開花も早く、次々と季節が前倒しになっていた。
私と言えば新しい仕事に忙殺されて、来るタイミングを逃してしまっていた。
「明月院は5月」これが私のモットーだった。わかっていたのに。
明月院の紫陽花の青、「明月院ブルー」の色づきはじめの淡いのが大好きなのに、今年は色が進みすぎていた。混雑する6月の落ち着かない気分も嫌だった。

紫陽花は土壌の成分で色が変わり、開花してからも徐々に変化するので
花言葉は「移り気」や「浮気」とあまり良くない。
でも園芸としては丈夫で日陰にも日向にも強いので人気がある。
ボリュームとカラフルさはとっても魅力的。
だから今、街中あちこちで紫陽花が咲いているのが見れる。
でも私は、この北鎌倉の明月院の紫陽花が特別好きなのだ。

私は鎌倉の紫陽花は陰陽の2つに分かれると思っている。
隠は明月院。北鎌倉の山の緑に覆われて、日影にひっそりと咲いている。
青も淡く透明感もある。小川の湿り気、昨日の雨がまだ残っているよう。
陽は長谷寺。パーンと海が見える風景、潮風と太陽が燦々とあたる崖の日向に咲き、スクスクと育った葉はマヨネーズで食べたら美味しそう。
こんなに性格性質が全く違う。
紫陽花を植えている神社仏閣はこの鎌倉にたくさんあるけれど、
こんなにはっきりと住み分けているのは特徴的だと思う。
私はなぜかこの隠の紫陽花に強く心惹かれている。

その衝動が高じて簪を特注してしまった。
この簪を拵えた時、この明月院の紫陽花の冷んやり感が欲しくて、
紫陽花だけどあえて色のない銀色にしてもらった。プリッとしたフォルム。
この簪を触るとこの明月院の涼しさをいつでも思い出すことができる。
山の緑の香り。清涼感。それが拵えた狙いだった。

朝露を見立てたパールもお気に入り。

さすがに目の前のハイシーズンの混雑した状況ではとてもかなわない。
しまった・・・
駅には戻らず、鶴岡八幡宮を目指して歩く。暑いし歩くけれどこのルートが安全。
次の予定地がもっと激混みの小町通りの奥にあるから。
ここから歩いて、通りの裏から入ろうという魂胆だった。
その途中、壁面が紫陽花で埋まっている路地を見つけた。
慌てて近づき見上げると滝のように額紫陽花が咲いていた。

紫陽花スプラッシュ!!

さらに奥へ奥へと歩くと緑が深く山道へ続くよう。思ったより濃い木々の影、
どこか冷気が誘っているようで、このまま帰れなくなるかもと、ちょっと思った。

行ってもいいの?

桜で狂うというのは古い話で聞くけれど、
紫陽花に狂うのもあるんじゃないかと。
そしたら自ら「紫陽花舎(あじさいのや)」と名乗っている人がいた。
鎌倉雪の下に住んでいた美人画の鏑木清方だった。
旧家跡の記念館は紫陽花の小道で、美しい紫陽花が出迎えてくれた。

この小道は引き返したくないなあと
朧げに思った。危ない危ない。
鎌倉のこの紫陽花の季節は、帰ってこれなくなる。気をつけないと。

そして、私の紫陽花への衝動はやっとおさまったようだった。

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