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誰がカフーツを引き継ぐのか?(なこと、誰も心配してないだろうけど)

カフーツは5月15日で開設13周年を迎えた。ここまで続けてこられたのは、ひとえにコワーカーの皆さんのおかげです。厚く御礼申し上げます。

13年前、主宰していた勉強会のメンバーにヒント(というか「そんな場所作って」というリクエスト)をもらって、ネットをウロウロしているうちに海外でコワーキングが立ち上がってることを知り、これを日本でも出来ないかと思ったのが2009年。

いつまで続くか皆目検討つかず、ましかし、とにかくやってみようという意気込みだけで、半ば熱に浮かされるように、翌2010年からはじめたことを昨日のことのように思い出す…と書こうとしたが、ウソ、半分ぐらい忘却している。

これはそのオープンの日のひとこま。デスクと椅子と冷蔵庫、それに電源とWi-Fiしかなかった。

もうこの時から、コワーキングは「場所」ではなく「人」と言ってるけれど、ぼくはコワーキングを、場所貸しを目的とした不動産ビジネスとしてではなく、ローカルで活動する人たちをサポートするコミュニティとして機能させることを目的としているので、このへんはずっと変わらない。

その後、コワーキングツアーと称して、各地のコワーキングを訪ねて周り、コワーキングを軸に人間関係を結ぶことをはじめたのが2016年。(7年経って、いまだにウェブサイトがないのはいかがなものか)

5〜6年、コワーキングの運営をしてきて、待てよ、このままずっとここにいるのはよくないんじゃないか、 もっと他のコワーキングのことを知ろう、という想いに突き動かされての企画。

訪ねた先で仲間を作って、コワーキング同士、コワーカー同士がつながるきっかけになればいいなと思い、原則、現地集合・現地解散方式、来たい人はご自由に参加してねというノリで、断続的に開催してきた。これまでに114ヶ所のコワーキングにおじゃましている(ツアーとしてではない訪問を加えると、たぶんその倍近い)。

このツアーで各地のコワーキングを巡るうちに、ローカルのコワーキングで実際に行われていることを知るにつけ、やっぱりコワーキングがただの作業場ではないことが判ってきた。それを図にしたのがコワーキング曼荼羅だ。

コワーキング曼荼羅についてはこちらを参照ください。

で、ようやく本題へ。

まあ、そんなこんなでやってきたカフーツだが、先日、この記事を読んで、ビビビと来た。

以前、ブログでも書いたように、今年のカフーツのテーマとして「本とコワーキングの合体」がある。

今年と言いながら、もう5ヶ月過ぎようとしているのだが、来週、24日(水)にカフーツ13周年ジェリーで「カクサク(やりたいこと宣言)」として皆さんと話し合う予定。

で、ひとり出版社と店主の選書による個人書店の運営に関心があるので、その手の情報を収集していて先の記事に行き当たったのだが、ビビビと来たのはコクテイル書房さん言うところのここ。

「後継者がいないと個人商店は続かないというのが通説ですが、僕は店主に依存した店舗ではなく、街のようにさまざまな人が関わり合い、作り上げるシェア型書店のようなものを作りたいと考えていました」(狩野)

ぼくはカフーツというコワーキングを自分のものとはまったく思っていない。ぼく自身もコワーカーの一人であって、たまたま言い出しっぺなので管理人を務めているだけで、コワーキングはあくまでコミュニティだから、ぼくもその一員という位置づけでという感覚のままで13年やってきた。

ついでに、コワーキングスペースのことを説明するときに「共有」のワークスペースという人がいるけれど、共有ではなくて共用だと思っている。誰かが所有するのではなくて、そこにあるワークスペースを希望する者が共同で使う、つまり共用する。そういうことだと思ってる。だから、場所貸し業とも思っていない。

「ほんじゃ、どこで儲けるのよ?」とすぐ突っ込む人もいるが、場所を貸すことだけが収益モデルだと思い込んでる人はそう噛みつく。ただそれは「場所」に固執しているからで、そこではないところで収益を上げる仕組みを作ることが可能であることを知らないだけだ。コワーキングはその収益モデルを作るプラットフォームだ。要するに「ハコ」ではなくて「ヒト」が稼ぐということ(ということをオンライン講座で話してる)。

もうひとつついでに、コワーキングを「店」と呼ぶ人もいるが、コワーキングがコミュニティであるとするならば、それは共同体という概念であって、店ではない。

「ユーザーVSコワーキング運営者」ととらえるからそう思うのかもしれないが、そうではなくて、「ユーザーWITHコワーキング運営者」、もしくは「みんなコワーカー」が本当。言い換えると、コワーキングはビジネスするための方法論、スキームであって、コワーキング自体がビジネスの目的ではない。そこを履き違えている人が多い。

なので、利用者はお客さんではなくてコワーカー=仲間だ。だから、究極的には利用者がみなで共同運営するのが理想だと考えている。

ということを前提として、話を戻すと、そのビビビと来たのは、「店主に依存した店舗ではなく、街のようにさまざまな人が関わり合い、作り上げるシェア型書店のようなもの」というところ。

コミュニティであるカフーツをぼく個人のものではないとするならば、いずれぼくがカフーツの運営から退く時が来た時、「はい、おしまいね」と閉めてしまうのではなくて、そのコミュニティで共同運営する形でバトンをつないでくれるのが理想だな、と思っている。勝手に。

実は、先だってからはじめている「間借りコワーキング」も、単なる思いつきではなくて、その文脈上にある。

いつもぼくがいて(まあ、コワーキングツアーで閉めるときもあるけれど)、伊藤という人のカルチャーだけがそこにあるのではなくて、カフーツを使う人がそれぞれのコミュニテイをカフーツという場を利用して運営するほうが、多様な価値観、世界観を相互に提供し共有できると思ったからだ。この「相互に」が大事。

その延長線上に、ご自身でコワーキングを開設してもらえれば、それもまたウレシイ。いわば、シェアキッチンのコワーキング版という位置づけだが、それもこれも共同体という概念が前提だ。

であるならば、伊藤が引退するとなった時(いつのことだか知らないけれど)、共同体として引き継いでもらえる体制を整えておく必要があるな、と思っている。

カフーツという共同体が誰のものでもなく皆のものであり、共同体自身で運営して維持継続していく体制を作ること。それが、言い出しっぺであるぼくの役目だ。

(トップ画像:タナカユウヤ

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