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コミュニティがなければコワーキングはただの仕事場に過ぎない:今日のアウトテイク#199(2024-06-04)

<アウトテイク>
・SNSに投稿する前の推敲(もしくは配慮)なしのメモ、殴り書き
・ブログ記事として仕上げる前の思索の断片、または下書き
・一部、筆が乗ってきて文字数多いのもあり〼
・たまに過去に書いたネタを展開する場合も
・コワーキング関連のネタが多め
・要するに「伊藤の現在地点」

※相変わらずこの方の言葉にはシビレル。


#今日のBGM

#今日のコトバ

"これを知る者はこれを好む者に如(し)かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如(し)かず。"
(孔子『論語』)

#コミュニティがなければコワーキングはただの仕事場に過ぎない

わが敬愛するCat Johnson氏はコワーキングスペースの運営者が学び、共有し、つながるためのオンラインイベント「CoworkingConvos」を、2019年以来、毎月開催している。

コワーキングコミュニティに焦点を当てた、カジュアルで楽しく、かつ教育的なイベントで、これまでになんと7,000人以上の参加者があり、数十カ国から参加者が集まっているんですって。スゴイ。

英語でオンラインだったら、世界のどこからでも参加者があっても不思議はないけれども、それを毎月、定例で継続してきていることが、それだけのボリュームになっている理由だろう。立派。

そのCat Johnson氏が配信しているニュースレターで、「CoworkingConvos」のPRに絡んでこんなことを言っていた。

コワーキングの運営に関する核心的なことなので、ちょっと長いが引用して雑訳する。

「CoworkingConvos」の新メンバーは、Convo中の寛容さ、コラボレーション、エンゲージメントのレベルに驚かされます。ゲストや参加者は、最高のヒント、洞察、戦略を分かち合います。私たちはそれを避けたり、ため込んだりしない。お互いを見せ合います

人によって得意分野、専門分野、スキルセット、弱点が異なるという事実は、ある月のゲストが次の月には生徒になり、その逆もまた然りということを意味します。

「CoworkingConvos」の理念は、コワーキングの黎明期に遡ります。そこでは、世界中の一握りの人々がつながり、コラボレーションし、仕事をレベルアップするためのスペースを作っていました。

相互扶助と情報共有が初期のコワーキング・ムーブメントの中心でした。2012年に私がコワーキングに参加した頃には、コワーキングのパイオニアたちの間で、寛大さ、オープンさ、コラボレーションの精神が確立されていました。

この精神こそが、私がコワーキングに惹かれた理由であり、コワーキングを続けている理由であり、コワーキングが世界的な産業に成長しても、人間性に根ざしたものであり続けられるよう、私自身の仕事を推進している理由なのです。

これ、つまり、例のこれです。

「ある月のゲストが次の月には生徒になり、その逆もまた然り」というのは、シェアの精神で教えたり教えられたりが日常的に起こることを言ってる。溜め込まず、分け合う。ぼくがカフーツを開くことになったのも、元はと言えばネットマーケティングの勉強会でお互いに教え合ってたからだ。

「人々がつながり、コラボレーションし、仕事をレベルアップする」というのは、コラボによってひとつの案件にチームで取り組んで仕事するということ。

人はだれも一人では仕事できない。お互いにできるところを補完し合って完了して納品して対価を得る。いわゆるプロジェクト制だ。それで仕事のレベルはたしかにアップする。現代はこのワークスタイルが一番いいと思う。

そして、「コワーキングが世界的な産業に成長しても、人間性に根ざしたものであり続けられるよう」というところ、ビビビと来た。

先日の「コワーキングカンファレンスJapan2024」でも、ビジネス(産業)としてコワーキングを捉えている参加者が多かった印象だ。いや、それはそれでいい。

ただ、先の「5大価値」を提供することで利用者のカツドウを支援する仕組みがあるのがコワーキングであって、ハコを作って席を売るだけの行為を、いかに巨大産業化しようとも、コワーキングと呼ぶことにいささか抵抗感がある。

そこはやっぱり、彼女が言うように、「人間性に根ざしたもの」であり続けられるべきだ、と思ってる。

そういえば、そのカンファレンスで「コミュニティがあれば儲かるんですか?」と質問した不動産業者がいたことを書いたけれど、

たぶん、あの方はコワーキングしたことがないからコワーカーの気持ちが判らないのではないかしらね。今、思ったけれど。

コミュニティは単なる仲良しグループではない。同じ志向性や思想を持つ者が価値観や世界観を共有して、信頼関係のある中、何某かのカツドウを共にする。それは、仕事かもしれないし、社会活動かもしれないし、趣味の会かもしれない。いずれにしろ、そこにチームができることで、なし得ることの範囲が広がる。

儲かるか儲からないかは、このチームをどう援用するかによる。そういう発想があれば、コミュニティを見る目も変わると思うのだが。

毎度繰り返すが、コワーキングは席を貸して利用料金を徴収するための「目的」ではない。コワーカーの活動をサポートする過程でコワーカーと協働関係を結び、継続的な価値を共創することもできる「仕組み」であり「スキーム」。その場合、席数や利用料金や営業時間は関係ない。それとは別軸の収益モデルが機能するということに気づいてもらいたい。

そして彼女は言う。

コミュニティがなければ、コワーキングはただの仕事(場)に過ぎません面白みも、革新性も、先見性も、楽しさもありません。

まさに我が意を得たり。

コワーキングをオフィスと混同していると、きっとここが判らない。ぼくらは、そんなもの求めていないし、やろうとは思わない。コワーキングはオモシロクて、オドロキがあって、先を行ってて、楽しいからコワーキングなのだ。

コワーキング業界が勢いよく前進する中、私たちがこれまで歩んできた道のりを「CoworkingConvos」が思い起こさせ、これから進むべき道へのきっかけになればと願っています。

ぼくは、この「CoworkingConvos」の部分を、自分のやっているカツドウに置き換えて、それがこれまでの道のりを思い起こさせ、これからの道を切り拓く、と脳内変換して読んだ。まだまだ道は続く。

ところで、「CoworkingConvos」に触発されたわけではないが、ぼくのコワーキングマネージャー養成講座も、少し趣向を変えて、今後は、「コワーキング曼荼羅」を使って、自分たちにとってあるべきコワーキングとは何かを構想するワークショップにする予定。

そこにビジネスモデルキャンバスと、「やりたいこと宣言&皆で応援する会」のエッセンスをミックスする。こんなコワーキングのワークショップ、ちょっとないと思う。順調に行けば7月に開講。詳細は追って告知します。

ということで、今日はこのへんで。


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