子供の頃の吃音(どもり)とその名残り~でも意外とどもってる人いるかも~

小学生の頃、私はどもりがひどかった。

それより小さい頃は、親以外の前であまり言葉を発したことがないので覚えていない。

小学生になり、例えば友達のさとこちゃんに話しかけようとすると、「さ、さ、さ、さ、さとこちゃん・・」という感じ。また吃音というのは、始めの一文字の声が出てこない事も指すようだが、それもひどかった。

不自由なのは学校の授業中。先生に当てられ立ち上がっても、一文字目が出てこない。やっと出てきても、どもりがひどい。毎日がスリルで苦痛。あーあ、何で地球が誕生したんだろう、人類が誕生しなければ、私は今こんな思いをしなくて済んだのに・・と、地球がない宇宙の事を度々想像していた。

親戚の家に行っても話しかけられるのが怖くて、母が立つと私も立ち、常に後ろにくっ付いていた。とは言え、母はどもりの事をあまり把握していなかったようなので、人見知りのためと思っていたと思う。実際それも大いにあったが。

そして自宅で最も緊張するのは電話に出るときだった。昔は、電話が鳴ったら必ず出るという雰囲気があったと思う。両親がそばにいないと私が出るのだが、言葉が出ない時は出ない。自分の苗字を何とか絞り出して言うことに、いつも必死だった。

ホントに不自由だなあと思っていたが、その事でいじめられたりしなかったのは、まだ救いだった。また、言葉が口から出ない代わりか、文章を書くのは比較的好きで、宿題と関係なく自主的に文を書いて学校に持って行ったりしていた。

小学5、6年生になると、ちょっとコツを覚えてきた。当てられたとき間を開けずに、椅子を立った勢いで言葉を発すると上手くいく。タイミングを逃すとまた詰まってしまうが、それでも授業中よく手を挙げるようになった。

中学生になると徐々にどもりが気にならなくなってきたが、そんな子供だった私が、大人になって毎日たくさんの患者さんと話す仕事をするなんて、想像もできなかった。

今はほとんど不自由はないが、たまーに、患者さんの苗字の最初の一文字が母音だと詰まりそうになる。しかし焦らず、一呼吸おいてゆっくり声を出せば大丈夫だ。そして、今でも出来れば電話には出たくない。問題なく応対は出来るのだが・・。電話が鳴らない職場にちょっと憧れる。

そんな吃音も懐かしいと思えるくらいになり、何を取り上げても過去より今が快適だなーと思う。負を知らなければ正も分からないし。

でもやはり、更なる快適さを求めるなら、不特定多数の人と直接に接することなく、電話にも出ない環境を手に入れたい・・!

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