私が繰り返し悩んでいたことについて長女から有難いアドバイスをもらったので書き留めておきたい〜親心は親のエゴ〜
”親の心子知らず”とか、”親心は親になったら分かる”というフレーズを聞いたことがある人は多いのではないか。しかし私はむしろ親になって、この”親心”は考えることを放棄した親のエゴだと理解した。子供が本当に必要としているかを考えず、一方的に与えて自分の満足感や安心感を得たり、都合悪くなったら”親心なんだから”とか”親子でしょ”とか、子供にだって恐縮する心はあるし、いい迷惑だ。子供心はどうでもいいのか。力が抜けてやる気がなくなる。私も娘に確認してみて初めて、”ああ、これは一方的な行いで、娘は望んでいなかったんだ”と気付くことがあったし、まだまだ気付いていないことも多いと思う。
「不自由なく育ててくれて、高い学費を出してくれて、子供の事を想っている親に何てことを言うんだ!感謝しなさい!」と言いたい人がいるのは承知で、やっぱり本当に思っていることは書いておきたい。そして子供側で悩んでいた私を娘がどのように救ってくれたか、についても書いておきたい。
自分でも”40過ぎるまで同じことでどれだけ悩んだら気が済むんだ”と呆れるが、悩みの一つは親から送られてくる荷物。季節の美味しい果物が適量入っているのはとても嬉しいのだが、隙間を埋めるがごとく細かい食料が入っていたり、時には大量の野菜が詰められていて、これいつ誰が料理するのよ・・と思うことが何度もあった。ただ自分のその時の気分やテンションによって捉え方が違ったのも確かだ。そして数年前に自分と向き合う前までは、食材が送られてきた時はストレスを感じながらもそれを押し切って、ひたすらその消費に一生懸命になっていた。しかし、自分の感覚を大切にして快適な生活が送れるようになった今だからこそ、コントロールにエネルギーを要する量の食材や、あまり摂りたくない食材の存在がより辛く感じる。
先日、田舎のペンションに泊まった翌日に親戚の結婚式と披露宴に出席して帰ってくる、というハードなお出かけをしてきた。親戚関係なので当然両親にも会い、特に母の行動や言動に色々と思うところが出てきてしまい、でも交通費や結婚式の祝儀代も両親が出してくれたので、頭が上がらない自分にも情けなくなっていた。そして帰ってきて数日間、あまりにも疲れて精神的な余裕もなくなっていた。そしてもしもまた食材の荷物が送られてきたらと考え始めてしまい、頭の中が堂々巡りになってきた。さらに、もう何も親に関わりたくない!と頭に血が上って胸がモヤモヤして、久しぶりに残念な状態になってしまった。どうしよう疲れてるのにこのままじゃ眠れないと思い、紙に「荷物いらない、荷物いらない、こっち見ないで、近寄ってこないで、何も言わないで、荷物いらない、荷物いらない・・・」としばらく書きなぐり、その紙を捨てた。それでも落ち着かなかった。
そこへ、お風呂から上がった長女がやって来た。もう彼女の力を借りるしかないと思い、かくかくしかじかと話した。長女は言った。「あのね、ママるん、もう少しママるんが落ち着いたら言おうと思っていたんだけど、ばあちゃん達に対するこの前のママるんの態度はちょっとひどかったよ。気持ちは分かるけどね。ばあちゃん達にしてみれば、何の自覚もないんだから訳が分からないと思うよ。」「あと披露宴会場の中でママるんをふと見た時に、オーラはあるけど貫禄がないなって思った。」
そうか・・、つまり周りに惑わされ圧倒されている私が出てしまったようだ。さらに長女は言った。「もっと大きな目で全体を見るようにしないと。ばあちゃんたちの言動とか行動に対しても、全部まじめに捉えすぎなんだよ。私はその時何か思っても次の日には忘れちゃうから、ママるんの感覚は良く分からないけど。だから、ばあちゃんの事で何か思っても、そういう人もいるなーくらいに考えて、荷物の事だって笑い話にしちゃえばいいんだよ。あとは逃げる! ただね、今はママるん疲れすぎてて、状態が良くないよ。」 また私は、自分が母親に信用されていないと感じることを話した。それについては、母の私に対する態度を見て、長女も同感だと言った。また、結婚式会場で母に突然後ろから服を触られて、”ウワーっ!”と気分が悪くなったことも長女に話した。「そうかー、デリケートなんだねー・・。」
私の行動や言動について感じたことを意見し、解決方法をアドバイスし、私の感覚を受け止めてくれた長女がありがたかった。そして、軽くショックを受けながら頭の中を整理して私は言った。「そうだね。言ってくれたように、少し離れたところから見て、笑い話にして、逃げちゃえばいいんだね。確かに私は何でも真面目に捉えすぎちゃうね。」 そして私は、人の事をコントロールしたがる母が、孫の事をコントロールしようとしたり、今後の孫の動向について直接本人に尋問してくるのではないか、と不安を感じていることも長女に話した。すると彼女は言った。「あのさ、そこは私を信じてよ。」
・・私も変なところで親心みたいなのが出てきてしまった。娘を信用すると決めていたのに、まだ足りなかった。確かに、必要な時にサービス精神が旺盛で私よりも優しく賢い娘なら、母の事も上手にかわせると思った。
大学進学で家を出るまで実家に居た頃の私は、自分と向き合うことを避け、レール上の学校生活を何とかこなすことだけを考え、母が心配して尋問してくるのを避けるために適当にテンションを上げて、自分の感覚をごまかしてきた。その後ここ数年に至るまで、どのように不安感や自己否定感を取り除いてきたか、母は目の前で私を見ていないし、理解し得ないと思う。そこには、既存のいわゆる常識から外れる思考が多いので、私だって自分が気付きを得る前だったら反射的に拒否するかもしれない。だから、母には今後も私の事は真面目に説明しない方が良い、やはり人はコントロール出来ないのだから、自分が捉え方を変えるしかないと改めて思った。しかも、世間で言われている”毒親”に比べれば全く問題ないに等しい。私次第で良親になる。でも私自身は子供にとって悩ましい親にはなりたくないので、考えることを放棄したくないと思った。
もっと全体を俯瞰して見て、笑い飛ばして、必要なら逃げる!
自分を押し殺したり自分に言い聞かせたりしない良い方法だ。普段から職場の人間関係でも訓練できる!
「ありがとう。安眠できそう。」私は娘に言い、すぐに寝付いてしまった。
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