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私自身の話~自分を解放するために考えてきたこと~

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外向性が演じられる内向型人間で、HSPと少しのサイコパス的要素を持つであろう自分の考えや経験。何よりも自由を得るために、自分の価値観で生きていきたいという思い。
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#価値観

自粛生活の方が気持が安定して快適そうな子がいたら・・~そのまま引きこもってもいいんじゃない?~

ウィルスの影響で世間では自粛生活となっている。我が家も外出は控えるモードになっているが、基本的な生活はあまり変わらない。 私は医療関係のため、仕事には通っている。医療関係なのでマスクは必須だが、使い捨てを何十回でも洗って使ってやる、と切り替えているので、並んで買ったり高い値段で買うことに労力は使っていない。 長女は3月まで通信高校に通っていたため、基本的に家に居るのは変わりない。4月以降も特に何も決まっていないので今のところ家に居る。 次女は小さい頃から、休日は一日中自

レールに乗った人生〜クソの役には立っていた〜

私の辿ってきた道を簡単に言えば、レールに乗った人生である。小、中、高卒業し、浪人せず薬学部に入り、留年せず卒業し、薬剤師国家試験も1回で合格した。しかし、数年前まではそういう自分を認めながらも、自己否定も強く不安定だった。 子供の頃は集団生活に居心地の悪さを強く感じながらも、何とか順応するよう自分に言い聞かせて学校に通ってきた。6歳下の弟は小学校高学年から不登校になった。彼は大人の世界の様々な矛盾に気付き、目覚めるのが早かったタイプだ。私は弟が感じていることに同感しながらも

人と輪になって向かい合うと逃げ出したくなる~自分の内向性を理解すれば全然問題ない~

私は人の顔を見たり、人の声を聞くのが好きではない。もちろん完全に人から遮断されたら、それは不安だし寂しいというのは想像できるが。そもそも小学校から大学まで、人の話し声や人の動きで頭の中がグルグルすることが多かった。運動会や何々大会のような、みんなで何かをしましょうみたいなのは、ホント勘弁して欲しかった。キャンプファイヤーみたいに輪になるのも居心地が悪い。しかし授業中静かなら、自分と黒板と先生に集中して勉強を理解するのは面白いと感じた。学校が授業のみだったら、どんなに良かっただ

子供から吸収しなければもったいない!  〜親ぶることをやめれば、お互い良いことばかりだ〜

とかく親と言うものは、子供よりも自分の方が上である、知識がある、経験があると思いがちだ。しかし考えてみれば、自分という一人の人間と自分が見てきたものは、広い世界のほんの一部だ。更に子供のためと言いながら、自分の安心のために、多くの人がしている"努力"という名の行動を取らせようとする。私もその親の一人だったと思う。 しかしある時、”これは子供から吸収しなければもったいないな”と気付いた。長女は中学2年くらいから、有名人から一般の若い人のブログなどで、多くの考えや生き方を検索し

ものすごく自分が変わろうとしていた時に、次女に求めた助言の記録〜自分が気づかない自分のウソ〜

先日、自分が2年前に記録していたものを、久しぶりに読んでみた。離婚を決心し、自分自身も変わろうと必死だった頃だ。自分についているウソは自分で見つけるのが難しいということを知り、身近にいる当時11歳の次女に質問したものだった。 「私の普段の発言とか行動で、⁈って思うこと何かない?」次女はしばらく考えてこう答えたそうだ。 「うーん、例えば・・、仕事から帰ってきた時にニコニコしてても、目の奥に"あー疲れた〜"っていうのが見えたりして、家の中でくらい、そんなに頑張らなくてもいいの

テレビを見ないことを突っ込まれなくなった〜ここ5年くらいで世の中の雰囲気が変わってきた?〜

もうあまり珍しくないと思うが、私は家でほとんどテレビを見ない。家の中で他人の喋り声がするのが嫌だし、コントロールされた情報を見るのも嫌だ。主なニュースはネットで見ている。 当然、有名人の事やワイドショーネタも知らない事が多い。5年くらい前だったら、職場で「えー!知らないの⁈」と言われることもあったが、最近雰囲気が変わっきたなと感じる。大衆と同じものを見ていなくても珍しくなくなったというか、自分から情報を取りに行く雰囲気が、前よりも出てきたと思う。変わっていくかもしれない世の

あまり好きでなかった父の見え方が大きく変わった理由~でも昔の私では気づけなかったな~

4年ほど前まで、父に対して人間的に魅力を感じなかった。 「不自由なく育ててくれて、私立の薬学部まで卒業させてくれて感謝はしているが、人間としてはあまり父を好きではない」と人に説明していた。 人を楽しませるのが上手ではないし、気の利いた言葉も出てこないし、食卓ではいつも斜め下を向いていて、時折ため息をついて、ストレスが胃に来やすくて、体質的に太れず身長183cmで60kg未満だった。 子供に何か強く強制することはないが、”~をした方がいいよ”とか、いつも先回りをするのが、

40歳過ぎて最も体調が良い日々を迎えた~気づくことと、いたわること~

前回の不安感からの解放と連動しているが、今が一番体調が良い。 小学生の頃は、毎朝ひどい吐き気と共に起きていた。しかし人間とはそういうものだと思い、親に訴えるわけでもなく、何とか朝食を詰め込んでいた。 小学校では人の話し声や動き、匂いで目が回るような感覚で毎日過ごしていた。 中学生になると、毎朝の吐き気はあまり感じなくなり、"えっ、人間て毎朝気持ち悪くなるわけじゃなかったの⁉︎"と気づいた。 しかし中学時代は、動悸とトイレの近さと共に過ごすことになった。大きめの物音や、

年上の子に泣かされて家に帰った時の母の対応~よしよし、なんて言ってもらえない~

小学校低学年の私はある日、近所の年上の子に泣かされ、泣きながら家に帰った。 玄関で私の姿を見た母は、 「自分でカタをつけてきなさい!」 と言って、家に入れてくれなかった。 私はカタをつけに行けるわけもなく、薄暗い中、家の近くをトボトボと歩いた。 泣き止んで落ち着いた頃、再び家に帰ると、 母は何も言わず、少し微笑んで家の中に入れてくれた。 "泣いている自分を何とかして欲しい" という根性が気に入らなかったのだろう。 厳しいイメージの母ではなかったが、彼女の様々

涙のツボ~普段泣かない人でも、何でー?っていうところで涙って出てくるよね~

私はなかなか涙が出てこない。感情の起伏自体はすごくあると思うのだが。夫にも結婚当初から”泣かない女”と言われていた。それまで男女の喧嘩において、女が泣いて話が出来なくなってしまう事にうんざりしていた夫は、泣かない私を歓迎してくれた。しかしの当の夫は感動して泣きたい人だったので、彼はそういう場面をよく探していた。 とは言え私も何か動かされた時、思いがけず涙が出ることはあった。 自尊心が強いので、子供の頃は人に注意されると目に涙を溜めていた。全くもって理不尽なことをクラスメイ

前向きに考えてるね、と人に言われた時、違和感を感じたので考えてみた。頑張って前を向いているのではなく、考えたり工夫することを放棄していないだけだ。

学校懇談会で今年気づいたこと~退屈だった理由はこれか!~

小学校や中学校の学校懇談会。 担任がどんな先生かを知りたいので、年度の始めだけ毎年出席している。 先日は中1次女のクラス懇談会に出席した。姉が小1から数えると16回目くらい。 懇談会では必ずと言っていいほど、親が順番に自分の子供について話をする、というのがある。 うちの子はー、こういう子でー、もう少しこうしてくれたらー、でもこんなところもあってー・・ 正直ほとんどが退屈な話。 しかし今回話を聞きながら、ある図が頭に浮かんだ。 つまり、多くの人が考える基準をあらわ

”自分の言葉に自分が一番影響を受ける”を実感した時~うさん臭くもなかった~

自分が使う言葉は自分に返ってくる 自分の言葉に自分が一番影響を受ける というのを聞いたことがある人は多いかもしれない。 数年前、私は心底これに納得した。 ある日私が、何かを食べた時いつものように「これウマっ!」と言うと、長女が「あまりウマいとか使わずに、美味しいって言った方がいいよ」と言ってきた。 あれ?いつも一緒にウマって言ってたのにー、と思っていると彼女は「人は思った以上に自分が使う言葉に影響されるらしいから、なるべく綺麗な言葉を使った方がいいよ」と言う。 ほ

恩師~塾をクビになった先生~

高校2年生の時通っていた英語の塾の先生。私が間違いなく恩師と呼べる方の一人だ。 群馬県のある村で育った私は、周りにはいわゆる学習塾はなかった。町の高校に行き楽しさを知ってしまった私は、まじめに勉強していたとは到底言えず、しかし何となく英語は、いざという時に自力で習得するのが難しいので何とかしなくてはと思っていた。そこで両親にお願いして、高2から英語だけ塾に行かせてもらった。 先生は40代くらいの男性だった。 初日か2日目か忘れたが、先生の口からこんなセリフが出てきた。「