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人と輪になって向かい合うと逃げ出したくなる~自分の内向性を理解すれば全然問題ない~

私は人の顔を見たり、人の声を聞くのが好きではない。もちろん完全に人から遮断されたら、それは不安だし寂しいというのは想像できるが。そもそも小学校から大学まで、人の話し声や人の動きで頭の中がグルグルすることが多かった。運動会や何々大会のような、みんなで何かをしましょうみたいなのは、ホント勘弁して欲しかった。キャンプファイヤーみたいに輪になるのも居心地が悪い。しかし授業中静かなら、自分と黒板と先生に集中して勉強を理解するのは面白いと感じた。学校が授業のみだったら、どんなに良かっただろうと思う(体育は要らないが)。何にしても、一つの空間の中に多くの人と詰め込まれる生活は、もうやりたくないなーと思う。

もっと小さい頃に戻れば、母が私を公園に連れて行き、一人でも誰かが遊んでいると、「子供がいるから帰ろう」と公園に入りたがらなかったという。以前、吃音について書いたが、”どもり”があったのも、人に圧倒されやすいのと関係があったと思う。

自分の子供が小さい頃は、当然ママ友は居なかったし作らなかった。外交は夫の役割だった。しかし保育園に預ける生活だったので、娘たちはそこで人と接することが出来たので良かった。

今でも、よほど体調が優れている日でなければ、人混みに行くと圧倒されてしまうし、買い物に行っても人の存在に目が回り、落ち着いて商品が選べなくて断念することがある。買うものが決まっていれば、なるべく通販で買っている。

しかしタチが良いのか悪いのか、私は必要なら外向性を大いに演じられる。ただしその後はやっぱりヘトヘトになる。薬局で働いていると多くの患者さんと接するため、その外向性を発揮することになる。また、接客だけの仕事ではないので、自分の役割に集中すれば、それほど辛くは感じない。どうにも気分が盛り上げられず、人の顔を見るのが辛い時は苦肉の策で、よくできたロボットだなー、と思いながら人を見るようにしている。薬局内でただの作業的な仕事をしているときに人が集まってくると、居たたまれない気分になって別の仕事を探したりする。それでも今の薬局のメンバーには非常に恵まれていて、人間関係のストレスが少ないので15年間働いている。しかし多少自分の性格を出してはいるが、人の顔を見たくないとか声を聞きたくないとか、もしそのまま話したら、”精神科に行った方がいいんじゃない”と言われそうだなと思い、ふと寂しく感じることがある。こんな想いを長女に話したとき、「うーん、それについては根本的な解決は仕事を辞める以外ないね。」と言われた。

それでも、私は別に人が嫌いだとは思わない。気が知れている人と会うのは楽しいと感じることもあるし、必要な場面では人に対して自分を発揮してきたと思う。面白い人には興味があるし、これからもたくさん出会いたい。ただ、人と向かい合って他愛もない話をするのがつまらなくて逃げたくなるのだ。

今までもそういう自分を受け入れては来たが、3か月ほど前に「内向型人間のすごい力」という本を読み、腑に落ちた。そして、全く残念な性格だとは思わなくなった。今後、外向性は演じているもの、ここぞという時に使うものと自覚し、多くの人に”ええーっ!!”と思われるような行動や思考にこそ優位性があると理解して、内向性を発揮していこうと思う。


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