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「できる」と「やれる」は違います。

人と言うのは経験を積めば積むほど、「自分は出来る」というふうに思い込みます。もちろんその出来ると言う基準と言うのは、人それぞれで違うと思いますが、だいたいの方は同じように、


経験が自信となっていると思います。


もちろん自信を持つということは、人としてとても大切なことです。その自信というのが、行動への原動力になると思いますし、人に教える時の根拠にもなってくるんではないのかなと思います。しかしながら、



「出来る」という言葉が、「やれる」という意味と勘違いしていることが多くなってきているなと思っています。



「出来る」と「やれる」という意味って、結構違うんです。ですがその言葉の意味を理解していない人が本当に多くて、それが同じような意味に使われることが増えてきています。似たような言葉であっても意味が大きく違っていて、この「出来る」と「やれる」というのは、実に明確な違いというのが存在しています。この言葉の意味を調べてみると、


「できる」
あるべき品質を知っていて、その品質まで持って行く技術を持っている。だから安定して成果物を出せる状態。

「やれる」
とりあえず手の動かし方は知っている。こなせる。だからやれと言われれば一応やれる状態。


という意味になります。こうやって見ると「似て非なるもの」という事が分かります。分かりにくいかもしれないですが、もう少し分かりやすく説明すると、資格というのが分かりやすいかもしれません。能力的にその行為をやれる能力というのがあったとしても、実際に資格を保持していなければ、その行為をすることが出来ないという事というのが存在します。もちろんやれないよりはやれる方が良いに越したことないです。しかしながら、


やれるという事に満足してしまって、そこから向上しないという事は、そこで成長が止まってしまう事を意味します。



人の評価というのは、やれることで評価されることではありません。出来ることを増やすことによって人の評価されることになります。という事は私たちは出来ることを増やしていかなければいけないという事です。出来るという事は、ある程度のレベルが必要です。もしかしたら資格等のライセンスが必要なこともあるかもしれません。自分の中でそういう「使える武器」を増やしていくという事が、


自分自身を成長させるためには必要となるわけです。


なので、やれるという事に満足するのではなくて、その行為を少しでも「出来る」に近づけるようにするのには、何が必要であるのかという事を探し続けられるかどうかというのが、世間が評価する「やる気」なんではないのかなと個人的には思っています。

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