【掌編】バイアスと想像
仕事帰り、最寄りのコンビニに寄って、缶ビールとつまみを購入、家へ向かって歩き出す。
事故が多くて、そのせいかたまには警官が立哨している住宅地の四叉路にまで来たときのこと、坂上から自転車がノーブレーキで交差点に差し掛かり、しかもスマートフォンを見ながら片手運転をしているので接触しそうになる。
とっさに避けたのは自転車ではなく、こちらの方である。
そのまま何事もなかったように走り去る自転車を見送りながら、追いかけて飛び蹴りをかましたい気持ちに駆られるが、もう間に合わない。もはや怒鳴り声すら届かない距離だ。
一時停止無視、片手運転、無灯火、その上ひょっとしたら酔っていたのかもしれぬ。スマホのディスプレイに青く照らし出されていたあの顔は……。
思慮の足りない若者かもしないし、傍若無人な中年かもしれないし、注意散漫な年寄りかもしれぬ。男でも女でもあり得る。想像してみればよい。
そうすれば、あなたのバイアスがわかるだろう。
帰宅ラッシュの通勤電車も、郊外へ差しかかると空いてきて、ようやく座ることができる。
みんなスマホをいじっているな、と周囲を見まわして、またスマホいじりに戻って時を忘れる。ニュースを読んだり、SNSのタイムラインをチェックしたり。
列車が駅に停車し、自動扉が開いてまた閉まり走り出す。繰り返すうちに乗客はどんどん少なくなってゆく。
扉が開く、すると「あ、ごめん!」と男の声がやや頓狂に上がって、その直後にゴツンと大きな音がして、振り返ると、老人がホームに仰向けに倒れている。
その倒れてピクリとも動かない白髪の老爺を、わらわらと乗客たちは一様にスマホを見ながら避けて、コンコースへと続く階段へと向かうのだが、踏みそうで踏まないのである。これが正常性バイアスというやつなのか。
誰かが助けるだろう、すぐにでも誰かが駆け寄って介抱し、駅員か救急車を呼ぶだろう、そう思って、介抱もせず、駅員も呼ばずに座ったままでいる。外の出来事は、中からはガラス一枚隔ててある以上に遠くに感じられる。
電車が発車すると、みんな何事もなかったように又スマホをいじり始めて、改めて正常性バイアスという言葉が浮かんだ。
何が起こったのか、想像力は勝手にシーンを作り出す。声からすると中年男がスマホ歩きで、足元のおぼつかない年寄りにぶつかる。「あ、ごめん!」老人はそのまま、手をついたり、受け身をとったりすることもなく(できずに)、仰向けに倒れて後頭部を強打する。ゴツン!
中年男は慌てて辺りを見回すが、咎める眼差しに出会うこともなく、そそくさと逃げ去る。しばらくは、これに懲りてスマホ歩きはしないかもしれない。
そして、倒れた老人から、腰かけたままどんどん遠ざかってゆく私の胸のうちは嫌なもので一杯になるのだが、誰ともそれを共有することができないままだ。車内にただひとりでもよい、この気持ちのやり場のなさを分かち合える者がいたならなあ!
(了)
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