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【エッセイ】捜神記私抄 その五

スーパー・パワーへの憧れ
 子どもの頃、イスラエルから来日した自称エスパーが一大ムーブメントを巻き起こした。どの程度のギャラかわからぬが、TVに出演しスプーンを曲げたり、壊れた古時計を動かしたり、掌の上で種子を発芽させたりしたものだ。特にスプーン曲げは、おそらくその手軽さからであろう、ブームとなって全国津々浦々から超能力少年少女が続々と名乗りを上げた。純真無垢であった私も又、日々スプーン曲げに精進したものだが、結局成功したことは一度もなかったのである。

 それにしても、今思い返してみると、仮にインチキでなかったとしても、スプーン曲げとは実にシケた超能力であることよ。手で曲げた方がよっぽど早いし、そもそも何のためにスプーンを曲げるのか。スープ、飲みにくいだろ。遅刻しそうな時に会社へテレポーテーションとか、どうせならもうちょっと役に立つ、使える超能力を身につけたいものである。そういえば、念力を使って、女の子のスカートめくりに興ずるという中学生的発想のアメリカ映画があったことを思い出す。

 日の下に新しきものはない、と言えば、じゃあAIやブロックチェーンはどうなんだと言われそうであるが、それはさて措く。超能力への憧れは、当然ステンレスや真鍮製のスプーンなど存在するはるか以前からあっただろうし、自称能力者も存在しただろう。キリストが水をワインに変えたり、水の上を歩いたり、死者を生き返らせたりしなかったなら、あるいはそういう話がまことしやかに伝わらなかったら、一体あれほどの信者を獲得できたのか疑問である。たしかお釈迦様も神通力を持っていたし、「怪力乱神を語らず」などという孔子は、教祖としては少数派である。

 現代になっても、空中からネックレスや指輪を取り出して見せたアフロヘアのインドの聖者がいたし、ヨガの修行を積み超能力を獲得したとかいうカルトの教祖もいた。『超能力秘密の開発法』という本まで出していて、その表紙の空中浮遊の写真は……あぐらをかいたままジャンプしているようにしか見えなかった。大体、本まで書いておいて、一体何が秘密なのか。これが、超能力を使って脱獄したとなれば、もっと信者が増えただろうけど、当然そうはならなかった。

 エスパーなどという言葉がなかった古代中国では、空を飛んだり、雨を降らせたり、とんでもなく長命であったり、とにかく人智を超えた能力を獲得しようと神仙を目指して修行する者を方士といった。『捜神記』にも、様々な説話が収録されている。

山にこもって、およそ七年間修行している人があった。すると、老君が彼にきりを与えて、岩に穴をあけよと言った。この五尺も厚さのある岩に穴があくとき、仙道に通じたことになるというのである。四十年かかって石に穴があいた。そして男は神仙丹(不老長寿の薬)の処方を授かったという。
巻1「石を穿うがって仙道に入る」

 当然ペテン師も昔からいたのだろうけど、この手の話を真に受けて人生を棒に振った人も、少なからずいたのだろうなあ。

(続く)

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