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【エッセイ】八ヶ岳とお酒と私

 大型の台風が接近していた。週明けには上陸して、大荒れになるという。山行はもはや絶望的だった。

 そもそも北アルプスに行くつもりが、出遅れたせいで山小屋の予約が取れず、かと言って今更テントと食料を背負って登る自信もなく、八ヶ岳への転戦となった。それが台風接近だと?

 当日、激しい雨音に目が覚める。やはり無理かと予報を調べてみると山梨方面は晴れと出ている。天候は刻々と移り変わっている。

 新宿で特急に乗ったときは篠突く雨、窓ガラスを雨滴が次々とおたまじゃくのように這って流れてゆく。それが大月を過ぎて、長いトンネルを出ると、なんと嘘のような晴天が広がっているではないか。

 左手にはどーんと雄大な南アルプス、右手には目的の八ヶ岳……ではなく、茅ヶ岳、いわゆるニセヤツと言われる山、百名山で有名な深田久弥が亡くなった山である。1700mぐらい、遠い昔に登った記憶がある。山、山、山、胸が高鳴る。

 本格的な登山から遠ざかってずいぶん久しい。そもそも夏に八ヶ岳に登るのなんて、二十年ぶりぐらいにでもなるか。あれが自分にとって最初の、本格的な縦走(山脈のピークを順に登ってゆく)であって、高校教師であり、私の最初の山の先生であるS先生に連れて行ってもらった。

 その時は一泊二日で小淵沢駅からタクシーで登山口まで行き、編笠山→権現岳→赤岳(最高峰標高2,899m)→横岳→硫黄岳→東天狗岳→黒百合平→渋の湯というルートだった。標高が高く岩場が連続する南八ヶ岳から穏やかな北八ヶ岳まで。ハッキリ言うと、体力的にも技術的にも初心者にはキツ過ぎた。

 それがどういうわけか山への目覚めとなって、社会人山岳会に入会し、そこでは縦走なんてやらせてもらえなくて、岩登りや冬山にチャレンジするようになり、八ヶ岳は冬に登る山に。赤岳主陵、小同心クラック、中山尾根、阿弥陀岳北陵などバリエーションルートを登らせてもらった。石尊陵の取付で雪崩に呑まれ、自力で脱出し、他のパーティの面々を(半泣きになりながら)掘り出したこともある。

 一般縦走路は冬壁を登った後での下山ルートだった。

 なぜ八ヶ岳のバリエーションルートは積雪期に登るのか、先輩に訊いてもハッキリした答えは返ってこない。岩が脆いからとか、簡単過ぎるからとか、人それぞれ。そういうものらしかった。そんなわけで、無雪期には北岳バットレスや谷川岳の一ノ倉沢などを登らせてもらった。

 あの頃は山のことばかりで、本棚の文学書が一掃されて、山の本ばかりになったな……。

 さて、そんな時代はとうに過ぎて、現役の頃から体重は10キロ以上増えている(控えめに言って)。それが世界的なパンデミックが明けて(本当は明けてないけど規制が取っ払われて)、山小屋もやっているなら、夏山なら簡単に登れるだろうとタカをくくったわけだ。

美濃戸から続くシラビソの林

 登山口である美濃戸口から行者小屋までコースタイムより20分も早く到着。やはりベテランだ、まだまだ体力も衰えていないと自惚れるが、ここから先(最高峰赤岳を目指す)はもう散々だった。

行者小屋から宿泊予定の山小屋を見上げる。無理っぽい。

 そこからの急な登り、文三郎道でバテた。いつまで経っても尾根が近づかず、十歩登っては立ち止まり……ついにはひっくり返った(厳冬期にロープやらカラビナやら登攀具を背負って口笛吹きながら登ってた道なのに)。とうとうバスで一緒だった単独の女の子に涼しい顔して追い抜かれた。阿弥陀岳経由など、夢のまた夢。

岩陵が迫ってくる

 足が攣る。やばい。それどころか手の指まで攣るのは、熱中症になって以来だ。高山なので気温は高くないが、急な脱水症状と塩分不足が原因かと思われる。

 高齢者が山で動けなくなってヘリが救出なんてニュースが頭をよぎる。まだ高齢者じゃないし、許されんだろ。

 すると一天にわかにかき曇り、時間はどんどん過ぎてゆく。

岩場ならお手のもの……のはずだった。

 まあ、無事だから、これを書いているわけであって……とりあえず続きます。

(続く)

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