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【連作】無為のひと③光と陰

 倉木が東北から東京に戻り早速顔を出すと、珍しいことに、というか絶えてなかったことだが、バー《アルバトロス》は大変混み合っていた。マスターの退院祝い(復帰してまだ一週間も経っていなかった)に常連だけでなく足が遠のいていたかつての馴染み客も一挙に駆けつけてきてたようで、にわか景気に湧いている。

 カウンターの向こうで妙に白い顔をして、忙しそうに酒をつくっているマスターに目礼すると、口角を上げて返礼してくる。半年ぶりの再会だった。頬がこけ骨相が浮き出しているから、一見健康的な痩せ方には見えないかもしれないけれど、リハビリが順調なのか、濁っていた瞳が澄んで視線も鋭く、かつて見たこともないぐらいにてきぱき動いている。そもそも元は顔がひどくらむくんでいたし、胸の筋肉は落ちて、その分だらしなく腹がたるんでいたのである。後遺症はなく店も順調で、一切は杞憂だったかのようだ。

 精悍さを取り戻したマスターに、今更目を瞠る者は倉木以外にはいないのかというと、そうでもなく、そのすぐ隣で見知らぬうら若き女性が二人、熱い視線をマスターに送っているではないか。
「杉本さんが、こんなにお元気に働いているなんてねえ」
「ほんと、お店もこんなに繁盛して」
 なんてことを話しながらクスクス笑っているのが、小鳥のさえずりのように耳に心地よい。

「失礼ですが、マスターとお知り合いの方ですか?」と、倉木は眩しそうに顔を向けた。
「あらあ、お知り合いだなんて」眼鏡をかけた方が答えた。
「あたしたち、ファンですの、マスターの」眼鏡をかけていない方が言い添える。
 両名ともすでにしたたかに酔って、いささかしどけない。

 昔は(といっても、それほどまで昔ではないと思われるのだが)この店も若い客が多く、というか私たちもマスターもまだまだ若く、皆で長期休暇に旅行したり、週末に近郊にハイキングに出かけたり、花見をしたりしたもので、その頃の写真がアルバムに残っている。彼らのほとんどが結婚し(しばしばこの店で出会った者同士で)、家庭を持ち子を育て、そうでなくてもとうにナイトライフから卒業し、倉木が知らない顔ぶれなのであった。

 多くの写真の中心には苦み走ったいい男が姿勢正しく写っており、「おや、このイケメンは誰ですか?」「それはマスターだよ」「なんとまあ!」というような会話が何度も繰り返されたほどで、店主目当ての女性客がいても不思議ではなかったのである……その昔は。しかし、今現在、胡麻塩頭に無精ひげを生やしたオヤジ、しかもこれといって特技も才能もなければ、財産もキャリアない、しょぼくれたバーの店主に若い女性ファンができるということは、倉木でなくてもにわかに信じられない。

「あんな」マスターが近寄ってきて、ハキハキと言った。「この子らは看護婦さんよ、俺のリハビリみてくれたの。鬼のように厳しかったぜ」そして遠ざかった。これは未だかつてなかったことであるが、二十二時を廻っているのに素面のままだった。

「もう何度も何度も看護婦じゃないと説明しているのにねえ。そもそも看護婦なんて言葉、もう使わないし」
「でも、杉本さんらしいわあ」

 こんな二人に面倒をみてもらえるなら、入院生活も悪くないと思う倉木であったが、残念なことに、彼女たちはその後二度と姿を見せなかった。その代わりというわけでもないだろうが、古いアルバムに写っていたかつての常連たちが入れ替わり立ち替わりやって来た。皆、写真の頃よりも少しだけ年をくって、髪が薄くなったり、白くなったり、頬や顎の下の肉付きが良くなっている。そうして、この退院景気が一巡すると押し寄せてきた人の波も遠くへと退いて、それはつまり平穏でいつも通りの日常が戻ってきたということなのであった。

 閑古鳥が鳴くようになると、マスターはまた仕事中に呑みだした。大の大人が自己責任でやっていることだから、当然咎めたり、忠告したりする者もいない。そもそも人に偉そうに禁酒を奨められる常連は一人もいなかった、いるはずもなかった。

「なんだか急に静かになったねえ」誰かがカウンターでしみじみと言った。マスターは黙ってジャズのボリュームを上げる。誰かが置いていったCDで、マスター自身はジャズに全く詳しくなく、それどころか音楽にとくに趣味もなく、そもそも趣味というものがない人だった。強いて挙げるなら、パチンコがそうだったと言えるかもしれなけれど、熱中すると店を開けずに打っていたし、負けが込んで止めてしまった。同じ依存するなら、まだ酒の方が安上がりだからと、自分の店で呑んでいるのである(それなら他人の店で呑むより安上がりだし、客が来れば金も稼げる)。
「別に元に戻っただけじゃない」と倉木。
「それが一層静かに感じられる。昔は毎晩賑やかだったもんさ」
「ふーん」倉木が気のない返事をした。
「まあ、昔は昔、今は今」誰かが言った。
「今は今、そして未来は?」
 マスターは会話に加わらず、静かに生ビールをあおっている。

 マスターの脳がいわば壊れて修復されて後、まるで連鎖反応のように様々なものが次々と壊れていったが、そちらの方は二度と修復されることはなかった。結局のところ、何ひとつとして杞憂ではなかったかのように。

 先ず客に貰ったというCDプレイヤーが故障して、ラジオ放送を流すようになった。リサイクルショップで数千円出せば手に入るような安物だったのだが(スピーカーの片一方は元々音が出なかったし)、新調されることはなかった。夏になって、今度はエアコンが音を上げたが、修理されることなく放置され、店内は耐え難いまでに温度が上がり、カウンターの上の玩具めいた扇風機が首を振ると、かえって熱気が押し寄せて、客足がさらに遠のく要因となった。その次は製氷機と冷凍庫の番だった。店で氷をつくれなくなり、コンビニで袋入りを買ってきても、室温が高いからすぐに溶けてしまう。さらにスツールが冨田先生の体重に悲鳴を上げて、いきなりひしゃげた。転げ落ちた先生は、まるでわざとのようにたくさんのボトルを道連れにした。未開封の請求書がどんどん積み重なって、その厚みから私たちは歳月の流れを計測することができた。

「いやさ、この年になるとほんと一年が早いんだよね。光陰矢の如し」あるとき、冨田先生があまりにも月並みな感慨を述べた。「明けたと思ったら、もう暮れか、てなもので」
 あくまでも一般論だったが、マスターはいきなり目を剥いたものだ。
「そうか、もう暮れになるのか」
 皆が黙り込んで店内がしんとしたので(耳を澄ませて、扉の外に師走のざわめきを聞き取ろうとするかのように)、仕方なく倉木がつっこんだ。
「まだっす!」

(了)

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