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【エッセイ】捜神記私抄 その一

 近所の古本屋でたまたま目に触れた『捜神記そうじんき』(干宝著・竹田晃訳)という中国の古典を読んでみた。読み終えた今となっては、なんでこんなものを読んでみようと思ったのか、我ながらきれいサッパリ覚えていないけれど、深い考えもなく、いつもと毛色の違ったものをとでも思ったのだろう。


 一話がわずか二、三行からほんの数頁だから、隙間時間の読書にちょうど良い、一日一話ぐらいのペースでゆっくり(464話あるから、464日かけて)読めば負担にはならないというのは、今から思えば甘い考えであった。

 まあ、ぶっちゃけ言うとあんまり面白くない。それは、古い時代の説話なんだから、今読んで巻を措くあたわざるなんてことはない。それはわかっていたつもりだ。それにしても、毎日々々仙人やら予言やら化け物、幽霊の類型的な(互いに似通った)話を読み続けるのは、やはり何というか、ある種の根気強さが必要である。

 六朝時代の志怪小説・全20巻(翻訳は一冊)464話を通読したところで何か得るものがあるわけでもないし、誰も感心してくれるはずがないどころか、余程閑なんだろうと誤解を招くだけかもしれぬ。たしかに古典ではなく、政治・経済、歴史を勉強した方が為になるのではないかと思いつつも、とにかく一度乗りかかった船だと意地になった(こんな風に貴重な時間を無駄に費やしているような気がしないでもない)。自慢や勉強の為の読書ではない。しかし、何かネタが転がっているのではないか、どこかでインスパイアされるのではないか、そんなスケベ心があったのは事実なのだが。

 まあ、せっかく頑張って読み終えたのだから、ちょっとでも面白い話を皆様にご紹介できればと思った次第なのである。いや、本当に。

(続く)

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