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【エッセイ】八ヶ岳とお酒と私(続々)

 相部屋で一緒になった快活な若者は、「あと一時間くらいしたら、本格的に降ってきますから、今のうちに下山をしないと」と親切に教えてくれた。

「地蔵尾根ですか?」
「そうですね、昨日赤岳には登ったんで、僕はこのまま下山します」
「うーん、どうしようかな……」

 コーヒーなど飲んでなんとなくグスグズしているうちに、皆さっさと出発してしまった。重い腰を持ち上げると、脚はひどい筋肉痛である。でも、行けるところまで行こう、横岳まで行って、引き返してきても良い。何だったらその先には小屋もある。

 冷たい霧雨の中、出発。両側の切れ落ちた岩尾根を伝ってゆくと、冷たいホールド、濡れたクサリやハシゴに指がかじかんでくるけれど(防水性のグローブを忘れてしまった)、やっぱり赤岳と横岳の間の岩尾根のアップダウンが、程良い緊張感があって一番面白い。全身を使って登ると、体中が沸き立つようになって、筋肉痛も時間も下界も我も忘れる。

両側が切れ落ちているけど、残念ながらガスって見えない。

 霧(山屋はガスと呼ぶ)も雲も、要するに大気中に浮かぶ細かい水滴(水蒸気が冷やされたもの)であり、違いは地表に接しているかどうかということらしい。稜線で岩肌に張りついてる自分にとっては霧でも、下界から見ると(見えないけど)雲の中を移動していることになる。

 スパッと切れ落ちた斜面の下からゆっくりと霧が上ってくると、私を包み込んで、やがて反対側へと下りてゆく。雨脚が強まってきた。

雨に濡れた岩肌は冷たく、滑りやすい。
やっぱり誰もいない横岳山頂。

 横岳はその名の通り、横に細長い、ピークの連続するギザギザの山。そのギザギザの隙間を縫うようにしてピークを巻いたり、越えたり。二十三夜峰、日ノ岳、鉾岳、石尊峰、三叉峰、最高峰である奥の院2,829mを踏んで、台座の頭へ。左手(西側)下方に小同心と大同心(ともに岩峰)が見えるはずだが、残念ながら濃霧に隠れている。

 大同心は下から見ると巨大な大仏のように見える。登攀するにはアブミ(縄梯子のようなもの)が必要で、残念ながら登ったことはない。アブミといえば、夏に瑞牆山の大ヤスリ岩(岩峰)に登ったな。山頂の人が手を降ってくれたりして、それはもう得意の絶頂だった。でも、アブミって手足で直に登るより、ずっと恐ろしいんですよ。

 クラシックルートへ憧れる(た)のは、分相応というもので、ヨセミテやパタゴニアのビッグウォールへ遠征した先輩もいたけれど、自分にはお金も時間も技術も体力もなかった。今もない。というか、当たり前だが、体力は衰える一方だ。山は待ってくれない。これは先生の教え。

 自分のいた山岳会は、自分が入会する(直)前にエベレストに有志で遠征していて、登頂者も出したけど、皆さん仕事を辞めて行っているわけで、若い人はともかく、帰ってきてから清掃の仕事に就いて、起業して清掃会社を作った方もいた……。社長兼社員一人のみ。

 自分だったら、人生一度のチャンスにどうしたか。借金して仕事を辞めてまでヒマラヤへ行く決心がついただろうか……。どちらにせよ、もう二度とそんな機会は巡ってこない。

時間を、下界をしばし忘れる。

 山を登りながら、昔登った山を思い出す。すっかり忘れていた記憶が、体を動かすことで甦ってくる。そして、少しだけ感傷的な気持ちになる。

一瞬霧が晴れて、なだらかな硫黄岳の山容が。

 台座ノ頭を過ぎ、しだいに険しさが失せて平坦な下りとなると、雨が止んで、背後から太陽がうっすらと霧の中に乏しい光を放つ。やがて霧が晴れて目の前に硫黄岳のたおやかな山容が現れる。デカい。こちらから見ると穏やかではあるけど、向こう側には壮大な爆裂火口があって、山肌が激しく削れ落ちている。ずっと火口だと説明されていたけれど、単なる崩壊の跡であるらしい。

 鞍部に下りきる手前でその日初めて人とすれ違った。

オーレン小屋から来たパーティと山頂で逢う。

 巨塔のようなケルンが連続するのを目印に、堆積した平たい岩を踏んで緩やかな斜面を登ると、あっという間に硫黄岳山頂に。昨日のバテ方がウソみたい。しかし、又天気が荒れて来て(本当に目まぐるしい)、ザックカバーが飛ばされる程の風だ(なんとか回収しました。険しい岩場なら無理だったろう)

 今回、最後のピークは赤岩の頭。ここから森林限界に別れを告げ、退屈な樹林帯を下ることになる。もう一泊ぐらいするんだったと後悔していると、ハイマツの影で身を伏せるように強風を避けて休んでいると登山者とバッタリ。それがなんと昨夜小屋で一緒だった快活な若者ではないか、地蔵尾根を下ると言っていたのに。一旦下山して、赤岳鉱泉まで移動して、それから諦め切れず樹林帯をわしわし登って来たことになる、このタイムで。展望荘から赤岩の頭まで、地図のコースタイムでは上からなら二時間ちょい、一旦下りたなら三時間40分はかかる、それが同時刻の到着なのだから凄い体力ではないか。天気が良くなったので、硫黄岳を目指して登ってここまで来たところで、悪天候に捕まったというわけ。

「まさか縦走してきたんですか」と訊かれて、ちょっと得意げに答える。「そうだよ。せっかくだから行けるところまで行こうと。ヤバかったら、小屋へ避難すれば良いかと」
「どうでした?」
「稜線で吹かれ、降られ。でもね、行けないことはなかった、行って良かった」
「あー、俺もそうすれば良かったなあ」と、彼は頭を抱えた。この風では、今となっては硫黄岳登頂も難しいかもしれない。
「そうだねー」どういうわけか勝ち誇るような気分になって、満面の笑みを浮かべていたに違いない。

 またいつかこのコースを歩く日が来るのか。

 うっかりして美濃戸口でたった7分差でバスを逃し、次がおよそ三時間後、ビールとワインを過ごして、バスが来る頃にはすっかり出来上がってしまった私である。

(了)

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