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【短編】憂鬱な家庭訪問

 子どもの頃、家庭訪問というものが
それはそれは憂鬱だったことを秋子はよく覚えている。彼女の家庭は貧しかったから、それを担任に見られるのが、子ども心にも嫌で仕方なかったのである。

 長屋タイプの木造集合住宅、玄関の下駄箱の上の水槽のガラスには藻がこびりついて、中で泳ぐメダカの姿がほとんど見えなかった。ポコポコとポンプの立てる音や、壁の薄い隣からもれ聞こえてくるテレビの音が、今でも何かの拍子に耳に蘇ってくると、たちまちあの頃いつも体中を支配していたかのような気怠さに襲われるのだった。

 上がりかまちを上がってすぐ右手にトイレ、左手に階段と収納、短い廊下の先に台所と食堂があって、食卓には常に象印の魔法瓶とお盆が置いてあり、そこには母が服用していた数種類の処方薬の薬包が重ねられてあった。今思えば、心の病のクスリであったろう。

 学校から帰ると、夜の仕事をしている母はいつも二階の和室で横になっていたものだ。ランドセルを玄関に置くと、母を起こさないよう静かに扉を閉めてすぐに遊びに出たけれど、実は秋子には友達がひとりもいなくて、放課後の長い時間をあてもなくさまよった。

 あるとき、暗くなって戻ると二階から母の悲鳴が聞こえて、板張りの狭くて急な階段を、黒光りして滑りやすいので手をついて上って、襖を開け放った。男が母に覆い被さっていて、襲われていると誤解した秋子は恐怖で立ち尽くした。振り返った男の顔を見ると、彼女の担任だった。

 そんなことを思い出したのは、今年も家庭訪問の季節がきたからだった。今では、秋子は訪問される側ではなく、する側になっている。玄関先での手短かなやり取りだけで、プライバシーに配慮して家の中へ上がるということはない戸口訪問だから、昔に比べると訪問する方もされる方もずいぶんと気が楽になったものだ。

 とはいえ、要注意家庭の訪問は、やはり憂鬱である。貧困、虐待、ネグレクト、いわゆるモンスターペアレントなど、全く問題ないクラスなど一つもない。

 車だと駐車スペースがないので、自転車で担当する四年三組の家庭を回ってゆくが、古くからの住宅地ばかりではない。沈滞した商店街や再開発地帯、町外れの田園地帯の方からも生徒たちは通ってくる。

 秋子はペダルを漕ぎながら、これからその家を初めて訪問することになる転校生の鈴木玲のことを考える。誰とも打ち解けないクラスでも異質な存在、どういう事情があるのかわからないが一学期の途中で転校してきて、まだクラスに馴染めないのではなく、まるでクラスメイトに関心がなく、彼らの方からも異物としてはっきりと敬遠されている。もちろん担任として、なんとかしなければという責任感がある。しかし、あの孤独な女の子に対して何かそれ以上の感情移入というか、自己投影のようなものがあるのかもしれなかった。特定の生徒への過度の思い入れは、教師として戒めなけらばならいことは、彼女とてよくわかっていたのだけれども。

 登校時、玲が猫を抱いているのを見かけことがある。赤いランドセルを背負って、キジトラの仔猫をぎゅっと抱きしめ、何か甘い言葉を呟きながら頬ずりしていた。

 その光景に秋子は胸を締めつけられた。やっぱり知性や人間的な感情の欠けた子ではなかったんだ、愛されることが必要なように、それと同じくらいひとは愛することも必要なんだ。だけど学校へペットを連れてきてはいけない、声をかけようと近づいていって、秋子は悲鳴をあげた。仔猫は死んでおり、すでに腐乱し始めていた。

 あの子はたしかに闇を抱えている。虐待かネグレクトか、その原因を解き明かすためには、親と話し合わなければならないし、場合によっては相談所や警察との連携が必要かもしれない。

 スマートフォンの地図アプリのナビでたどり着いた鈴木玲の家は団地だったけれど、時代に取り残されたような佇まいは、秋子が育った長屋と同じだった。クリーム色の外壁は色褪せ、薄汚れ、ところどころ塗装が剥がれヒビ割れ、ベランダや窓の手すり、郵便受けは焦げついたかのように錆に覆われている。時代は異なるが、その歴史的な役割をすでに終えて、じっと静かに解体を待っているようなところがそっくりだった。自転車を駐輪場に停めて、階段を上る。

 扉を開けたのは、若い女、当たり前だけど秋子よりもずっと若く、娘と言って良いほどの年齢の女だった。秋子を見るとなぜかハッと息を呑んで、扉を半開きのままして、こちらの出方をうかがっている。

 まったくどうかしている、秋子は白昼夢を振り払うかのように頭を振った。扉の向こう側に自分がとうに捨てた老いた母親の姿を思い浮かべていたことに、今更ながら気がついたからだった。でも、このやつれた女は若かった頃の母にどこか似ていやしないだろうか? たとえば、やつれているところとか。

「お母さん?」と秋子は呟いた。

 相手が身をすくませ、後退りする。その瞳に怖れが滲んでいた。

 まさか、そんなはずはない。わたしの娘、と秋子は思った。母親を捨てたように娘も捨てた。いや、そうではない、気がついたときには中絶には手遅れで、出産後にどこかへ連れ去られていったのだった。父親は小学生のときの担任だった、あのとき家庭訪問にやって来た。

 そのことを今になって、彼女は完全に思い出すことができたのである。

(了)

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