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笈を負い、故郷に錦を(1)

 ちょうど多感な高校生のときに、ちくま文庫で太宰治の全集が毎月一巻ずつ出版されて、それを読むのが楽しみになった。10巻もある全集を読破した元々のきっかけは、当時、ギター少年がロックレジェンドに心酔するような仕方で傾倒していた三島由紀夫で、たしか『小説家の休暇』という日記の体裁を借りた批評集の中に、有名な(?)太宰批判があったからである。

 手元にないから、何十年も昔の記憶で書くが、『斜陽』を俎上に上げ、敬語の使い方から始まって、貴族の描写がいかにデタラメか具体例を挙げ、今ではちょっと考えられないけれど、最後には作者の人格否定のようなところまで至っていたように思う。太宰のような悩みは器械体操(ボディビルのことか?)で克服できるだとか、弱いライオンが強いライオンより美しいということはないだとか。

 ここまで弱さというものを否定してしまって良いものであろうかと、息苦しくなる。強さとは、ある時期、ある状況にあって、一定の条件が揃った場合にのみ発揮されるものでしかないとしたら? それに人が猛獣とは別種の生物であるのは、明白ではないか。ただ三島が嫌悪したのは、太宰が読者へ見せるコケットリーというか、アピールのようなものであり、ここで言う弱さというのは障がいや病のことではなく、つまりいわゆる社会的弱者(そろそろ別の表現に代わっても良いにような気もする)に纏わる「弱」ではなく、なんか苦しんでますポーズのことであるのはわかる。そして、小説家があるキャラクターを創造し、ストーリーの展開の中で読者に共感を呼び起こすというのではなく、一度「太宰治」というブランドを確立しさえすれば、何度でも繰り返しブランド印の作品を量産できることになるのである。

 この本には他にも、志賀直哉や堀辰雄などの名前も見え、文豪が文豪について語るという面白さもあり、とにかく教科書で『走れメロス』を読んだことぐらいしかなかった私は、俄然太宰に興味が出たというわけである。もちろん、真っ先に手に取ったのは『斜陽』だった。最近では読む先からポロポロとその内容が記憶からこぼれ落ちてゆくような読書であるのに、10代半ばに読んだ本は今でも鮮明(という程でもないか)に覚えているということはある。感受性が豊かだったというと、いかにも陳腐な表現になってしまうが、陳腐だからといって事実と異なるということにはなるまい。

 細部となると記憶ちがいがあるかもしれないが、お母様(語り手であるヒロインの)がスウプをさらりさらり(ひらりひらりだったか)と匙にすくうとか、ギロチンギロチンシュルシュルシュとか、人間は恋と革命のために生まれてきたのだ、とか……そんな表現やフレーズが未だに残っている一方で、とくに何か心にひっかかるところがなかったのは、三島に傾倒しているぐらいだから趣味が合わなかったということだろう。後者は、没落貴族というものをロマンを廃し、シニカルに描いていた。

 ところが、田舎の本屋(もちろん、駐車場付き)の文庫コーナーで全集の第一巻が平積みになり、その表紙の荒地に枯れ木が一本寒々と立っているような絵に魅せられて手に取ると、そのままレジへと直行したのである。これも何かきっかけだから、とりあえず読んでみよう、と。当時はたしか、吉本ばななの『キッチン』だか、村上春樹の『ノルウェイの森』が大大ベストセラーになっていたかと。遅れてきた文学少年の無惨さを思わないでもない。

 さて、全集の第一巻、巻頭の処女作『晩年』の「選ばれてあることの、恍惚と不安」などというヴェルレーヌ(初耳である)のエピグラムからして、いやらしい。自分はまったく凡才で箸にも棒にもかからぬと正当なる自己評価ができる少年少女は、ヴェルレーヌなど愛読するはずがない。自分はひょっとしたら選ばれている、人とはちがうなどと実にいやらしい自惚れに浸っている輩、そう、片田舎の「感受性の豊か」な少年は、太宰節とも言えるようなユニークな語り口(それは最後の方にはほとんど七五調になってしまった)にたちまち魅了されてしまった。今更ながら頬を引っ叩いて目覚めさせてやりたいけれど、もう遅すぎる。

 以上は長くなったが、前置きであって、その全集の何巻目にあったか覚えておらぬが、『善蔵を思う』という、あまり有名でもないし、とくに傑作とも言えない短篇、アンソロジーや傑作選が編まれることがあっても決して選ばれることのないような、どうということのない作品について語りたかったのである。

 故郷の新聞社が東京で何か会合を開くのに文化人として招かれて、酔っ払ってスピーチだか挨拶で失敗するというような話である。語り手はもちろん、太宰本人と等身大の作家で、毎月のように雑誌に原稿を書いているから、思いつくままに身辺雑記風の作品を連発していたのではないか(ネタに詰まると翻案ものなど手がけるようになる)。大体、見合いをすれば見合い小説を書き、結婚すれば結婚小説を書き、疎開すれば疎開小説を書くという風だから、同時代の読者は作品を読むだけで、作者の消息が知ることができるわけである。このような作品の発表の仕方は好ましいとは言えないかもしれないが、そうでなければ短い作家生活の間に全10巻分の仕事などとても残せないだろう。

 それはともかく、『善蔵を思う』の善蔵とは誰か。作中にはそのような人物は出てこないのである。当時はもちろんインターネットなどなかったし、図書館に人名辞典はあったが、苗字で引くものであるし、ちくま版の全集には他の出版社の文庫本と違って、註がなかった。だから、省電とか、紀元節とか手元の辞書に載っていない単語の意味は何となく想像する他なかったのである。善蔵もしかり。

 しばらくして、太宰と同じく津軽出身の作家葛西善蔵に思い当たったのは、山岸外史の『人間太宰治』(やはり、ちくま文庫)を読んで、太宰が葛西を愛読していたという記述があったからで、早速『哀しき父』とか『子をつれて』などを読んでみて、表現の痩せ衰えた貧乏私小説に驚かされた。まったく素人の作文レベルではないかと、片田舎の高校生は単純に思い込んだ。

 作家を志し、故郷を捨てて東京に暮らす先輩として、善蔵のことを思い浮かべることがあったとしても何の不思議もない。先輩は酒で身を滅ぼし、後輩の方も若いうちから薬物中毒で入院したりしている。酒やドラッグに耽っていては、どっしりした読み応えのある長編小説を入念に計画し、じっくり執筆できるはずもなく、勢いよく感性に任せて短篇を乱発することになるが、やがてネタも尽きるはずだ。

 太宰治とか中原中也のような抒情的かつ自己破滅型の言語表現者は、世が世ならロックバンドでも組んで、それもカリスマ性があるからフロントマンだろうと思わないでもないが、話を元に戻すと、この短篇には衣錦還郷という言葉が何度も出てくる。これなら、さすがに註はいらない。読んで字の如く、故郷に錦を飾る、名を成し富を築いて帰郷する(そして、自慢する)、立身出世、ああ、なんとも、なんともな四字熟語ではないか。都会者には決してわからぬ、この泥臭さ。当時の大学進学率がどれほどのものかわからぬが、良いとこのボンが、地方から東京帝大に入学し、酒と女とクスリで身を持ち崩す。あるいは、左翼活動も少しは齧ったのか。学ばない、働かない、稼がない、いつまでも仕送りに頼る、そしてそのアリバイがやっぱり文学であり、文学による衣錦還郷だったとしたなら、やっぱり、ああ、なんともと思ってしまうのである。

(続く)



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