【抱負】明けました、おめでとうございます。

この年末年始、仕事や部活をせずに過ごした。
人生28年で、小学6年生以来。実に14年ぶりのことである。

2020年12月に、私は適応障害と診断され、診断された翌日より仕事を休み始めた。
当初は、大きな罪悪感を抱いていた。朝起きて涙し、ご飯を食べるたびに涙し、家族や友人に報告するたびに涙した。

さらには、仕事の夢を頻繁に見ていた。失敗していた、休んでいることを責められる、休むことを許されない。そういった内容で、心が休まることはなかった。

そして、そのころに書いたnoteでは、目標を3つ掲げていた。

一、毎日泣かない
二、家にある本を読み返す
三、「今日勤務していたら…」を考えない

達成状況は以下の通りである。


一、毎日泣かない

今、毎日泣くことはなくなった。
休職後、2週間ほどは毎日泣いていた。1日に何回も数え切れないほど泣いていた。
そこから1日に数回、5回、3回、1回と徐々に涙の落ちる回数が減っていった。

直近で唯一悲しい涙しを流したことと言えば、会社の所長から予定外に電話がかかってきたことだ。
私と会社は、通院日に診察結果と現状報告をすると直属の上司と決めたはずだ。
よりによって、ある意味適応障害の原因とも思える人物から不意に電話がかかってきたことに、出勤していた時の感情がこみ上げてきた。
「なんで?」とか「こっちは話すことなんかないで」とか思いながら、1回目の電話は出ることができなかった。その後、胃痛が激しく、食事ができなかった。
翌日、改めて所長の携帯から着信があり、逃げ続けることもできないと思い、呼吸を整えた。

ご「もしもし」
所「おやすみしてるって聞いて。元気してる?」
ご「(元気なわけないやん)はい。お休みして申し訳ございません」

〜 なんやらかんやら適当な話に「はい」と相槌を撃ち続けること5分 〜

所「よかったら〇〇課長(他の課)と3人で食事でもどうかしら?」
ご「(コロナのことも考慮してないんかな)はあ」
所「近くに相談できる大人もいないでしょ?
  それに、完璧主義?とかそういうのも、ね。どうかな」
ご「(私がそうなったのは職場の環境やん)いや〜」
所「家にずっと引きこもって一人でいるのもよくないし、
  会社の環境についても考えたいし、ね」
ご「申し訳ございませんが、まだそこまで回復していないので
  遠慮させていただきます。」

といったような会話をした。

疑問符が頭の中を飛び交った。
何をおっしゃっているか、理解することができなかった。
電話の内容に普通に対応できるなら、私は休職することなんてなかったはずだ。

そして、涙が溢れ出た。
これが直近の涙の訳である。


二、家にある本を読み返す

家には、伊坂幸太郎の文庫本が多数ある。
キャプテンサンダーボルト・あるキング・ジャイロスコープを読み返した。
本当は再読に合わせて、読書日記をつけるつもりだったが、それには至らなかった。

近日中には、死神シリーズ・ギャングシリーズを読み返そうと考えている。


三、「今日勤務していたら…」を考えない

これは、かなり実践できている。
お正月休みで曜日感覚がなくなったことが、功を奏した。
気がつけば、年が明けて6日経過しているし、今日は水曜日だし…(まだ4日(月)くらいだと思っていました)

通常、年始の業務としては、4日から請求書の作成や経理の月次業務、正月手当ての確認・計上(250人×5日分を手作業で確実に)などなど、ボリュームがある。それに加え、正確性が必要かつ清掃・配布物等の雑務もこなすとストレスはマックスに感じる。
数分おきに声をかけられ中座し、やり直しを繰り返すと、私は爆発するのだ!!!

おっと、「今日勤務していたら…」をついつい考えてしまった。



このように、概ね達成と言える結果となった。

今年の抱負は、

一、すぐに泣かない
二、自分の思ったこと感じたことを大事にする
三、人に優しくしてもらった3倍、人に優しくする
四、人生の方向転換をする

で許していただきたい。


☕️


さいごに、
年始、幼なじみからもらった勇気の言葉で締めようと思う。

「ごぼうちゃんの心はごぼうちゃんのものやから、
負担になるものは切り捨てていいんよ」

そうだ。その通りだ。
前に進める方法を模索しよう。


☕️


本年も、どうかよろしくお願い申し上げます。

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