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心の中にあるエネルギーが空っぽになっていることに気づいた日

「まだ、大丈夫。まだ、頑張れる。踏ん張れる」

気がつけば、頑張れなくなっていた。頑張るってなんやっけ?頑張ってなんの意味があるんやろ?と疑問だけが頭の中を埋め尽くし、あれだけ「正確性を高めよう」と言われていたにもかかわらず、しょうもないミスを連発していた。

“いつも”となにか違う。そう思えざるを得なかった。

会社では“皆んなが求める自分“を演じて、息苦しさを覚えた。意識して息をしないと止まってしまいそうな感覚に陥る。呼吸って難しいことなんだと実感する。

それでも、休むことなく遅れることなく会社には行った。この時の私の心の根底には「休んだら、遅刻したら、悪口を言われるから、ちゃんとせな」という気持ちでいっぱいだった。
さらに、毎日私主体で動いている仕事があったために、休んではいけないという使命感と責任感でなんとか繋ぎ止められていた。

休みの日も仕事のことが頭から離れない。家にいても心が休まらない。さらには、夜夢でも仕事をしており、夢の中で現実の失敗に気づき眠れなくなる。というような日々が1ヶ月弱続いた。

「弱音を吐いてはいけない」

これは、私が私に課せたルールだ。
私よりしんどい人、苦しい人、頑張ってる人がいるから、文句を飲み込んで“苦しい”が通過するまでぐっと堪え忍ぼう。
無理と思う前に、できるかもしれない全てをやり尽くそう。
そして、弱音を吐くのは自分一人では本当に首が回らなくなってしまったときだけ、と。

このように、無意識の間に無理を続けていたのだろう。心の中にあったエネルギーが枯渇しているような感覚に陥った。

もうダメだと思い、姉に相談した。受診を勧められ心療内科へ足を運んだ。もちろん出勤予定の日だったが、この時初めて“ズル休み”した。(私の中では“もうダメだ”を続けて仕事に行かなくちゃいけないと思っていたし、体調も不調なところはあったが健康だと思っていたから、“ズル休み”をしたような感覚になっていた)

こうして、無事(?)医師からの診断がでた。

適応障害

適応障害ってなんだ?休まないといけないのか?とこの時点でもずっと仕事のことばっかり考えていたもんだから、案外自分は仕事が好きだったのかもしれない。

とにかく、ストレスの原因から一旦離れて休養しようという診断であった。適応障害ってそんな感じなんだろうか。

そのことを、上司に伝えると一緒に泣いてくれた。
『まだ大丈夫やと思ってて、いつもと様子違うのもほったらかしにしてた。あなたなら大丈夫と思っていた。ごめんね、何もしてあげれなくてごめんね』と。
ああ、私の事情で人を悲しませてしまった。とても申し訳なく思う。そして自分でも、適応障害ってただの甘えなんじゃないの?気持ちの問題でしょ?と診断が出てもそう思っている。


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実は、つい先日のことだ。
休職中にSNSを更新するのもよくないことは承知の上だが、経過の記録も残したい。それに、同じように悩んでいる人へ情報公開もしたい。
休んでいる中でもなんとか人の役に立ちたいと考え、公開することにした。

はじめての精神疾患。(疾患というほど重たいものでもないのか?)わからないことが多すぎて困る。
まずは、日々なにをすべきなのか計画を立て、時間がなくてできなかったことをやってみようと思う。

目標①
毎日泣かない

目標②
家にある本を読み返す




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