見出し画像

生きる力〜バックパックでの旅を通して〜後編


おはようございます!
GEMS UNITED代表の大曲です。

今日は、少し間が空いてしまいましたが、バックパックの旅アウシュビッツ後編を投稿します。

前編はこちら。

帰還した人々

残酷な場所がそのまま残っており、雪の積もった冷たく悲しいその場に立って、本当に現実であったことなんだと衝撃を受けていましたが、
その後、そんな中でも、生きて無事に母国に帰還した人々がいることを知って、とても興味がわきました。
後編はそのことについてを書いていきます。

オーストリアの首都ウィーンに生まれたフランクルという精神科医が書いた著書『夜と霧』に、彼の体験談の記録と、彼の見解が記されています。

ユダヤ人であるフランクルは自らも強制収容所に送られ、自らも生き地獄を経験すると同時に、極限状態に置かれた人間たちを目の当たりにしました。その記録がこの『夜と霧』です。

しかし、彼が1番この本で伝えたかったことは、ジャーナリスティックなことではなく、人間の美しさの部分なのだと、読んでみるとわかります。

とんでもない仕打ちをされながらも、明日の命の保証もない中で、それでも心を奪われずに生きていた人々の美しさが描かれています。
自分も飢えているのに、もっと飢えている人にパンを与える人がいたり、過酷でいつ命が絶たれるかわからない状況でも、夕日の美しさに感動する心を忘れない人がいたそうです。

人を生かしているのは未来への希望



以下は、『100分de名著 フランクル 夜と霧』から内容を抜粋して、要約したものです。
以下で、未来への期待や希望が人の生きるパワーになるのだと学びました。

強制収容所に収容された人の中に、命を奪われる前に、絶望して自ら命を断つ人もいました。
高電圧のかかった鉄線網に触れれば、それだけで死ぬことができたのです。
そうした状況下で、なんとかしのいで生きて帰ってこられた人と、亡くなった人の違いはなんだったのか。人々の『生』と『死』を分けたものはなんだったのでしょうか。
その一つは、「未来に対して希望を持ちえているか否か」であったとフランクルは言います。
そのことを端的に表すエピソードがあります。
有名な作曲家兼脚本家だったある仲間が、フランクルにそっと打ち明けました。
彼は1945年2月のある夜に、きたる3月30日に戦争が終わり、自分たちも解放される夢を見たというのです。それ以来、彼にとって3月30日が、希望の光となりました。
が、その日が近づいても戦局が好転する様子はありません。どうやら「正夢ではなかったらしい」という気配が濃厚になってきました。
すると、彼は3月29日に突然高熱を発して発疹チフスを発病し、翌日にはひどいせん妄状態に陥って意識を失いました。彼にとって苦悩が終わるはずだったまさにその日、3月30日の翌日に彼は亡くなったのです。
〜省略〜
人間がどこまでも「時間的に存在」であること、したがって、未来に希望を持つことが、いかに精神的な支えになっているかを示しているエピソードです。

なにで価値をつけるか

今の社会の中で、新たなものを生み出したり、実績を作ったり、プライベートも含めて色んな経験をしたりすることも、もちろん価値のあることです。
ただ、結果がなければ無価値か、何かの業界や業種でなければ無価値か、というとそうではないと思います。
『やること』で自分の価値をつけるのでなく、どんなものごとでも、それにどんな態度で、どこまでの結果にこだわり、どんな思いで取り組めるのか、その末に、人に喜びを与えることのできる結果になっているのか、
という『在り方や生き方』の観点で、自分に価値をつけたいと改めて学んだ出来事となりました。『やること』というのは、その想いを体現するための選択肢にすぎないんだと感じました。

私の周りには、まさにこの『在り方や生き方』を磨き、世の中の沢山の方々に喜びを与え、事業を拡張し続けている経営者の方々も沢山います。
私自身はまだまだ未熟で、目の前のことに必死で全体が見えなくなることがあったり、トライandエラーを繰り返しておりますが、謙虚な学び、自分で納得ができる人生を最後まで歩んでいきます。

この世の中にも、心から自分で納得ができる人生を、目指して努力する生き生きとした人が沢山増えるように、今日も自分の管理下にあることに励みます。

今日は、このへんで。

#大曲加七子
#経営者
#表現者
#海外

いいなと思ったら応援しよう!