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生きる力〜バックパックでの旅を通して〜アウシュビッツ前編

おはようございます!
GEMS UNITED合同会社代表の大曲です。

今日は、バックパックで回った国や地域で感じたことについてシェアします。

18歳の時に、イタリア留学を決めて海外に出て行きましたが、留学を経て、最後にヨーロッパをバックパックで周ってから、日本に帰国しました。

もともとは直帰する予定でしたが、ヨーロッパは陸続きで、夏休みの2週間だけでも気軽に留学に来る学生が多く、わたしが日本に帰国する時にはみんな先に母国に帰っていたので、友人がいる国々を転々と回って帰ることにしたのです。(ヨーロッパは遠いので、いるうちに回ってやろうというのもありました。笑)

当時はお金もあまりかけられなかったので、安い飛行機を乗り継いで旅をしていました。
本当に飛ぶんだろうか、、と、思えるくらいガタガタ揺れて壊れそうな飛行機に乗って、
まず1番最初に行った国は、ポーランドでした。
(ポーランド行きの旅は、とてもパンチの効い旅だったので、違う投稿でシェアします笑)

アウシュビッツに行くことを決めた理由

友人から、『きっと今後、旅行で行くことはないと思うから、行ってみるのもオススメだよ!』と勧めてもらった、というのがシンプルな理由。
友人たちが言うのなら!と決めましたが、最初は旅先の候補にも上がっていない都市でした。
理由は、世界史の教科書で見た記憶は、暗くて残酷なイメージだったからです。

しかし実際に、歴史が残る場に行ってみて、この目で見て触れて感じることができて、とてもよかったです。お勧めしてくれた友人に感謝です!

現地までの道のりとそこで感じた人の温かさ

ポーランドのクラコフという街で友人たちに泊めてもらっていた私は、てっきりその友人たちがそのまま一緒に来るだろう!と思い込んでいたのですが、バス乗り場までアテンドしてくれて、『このバスに乗れば、アウシュビッツまで行くよ!僕たちは学校に行ってくるね!』とニコニコと手を振っていました笑
『えーーーーー!』と思いましたが、思い込んでいたのは自分だし、送ってくれただけでもありがたいので、あとは何とか自分で行ってみよう、、とポーランド語は全く分からずでしたが隣のおばちゃんが『ココ!ココ!』みたいなジェスチャーをしていたので、バスを降りてみました。笑
教えてくださり本当にありがたいです。

季節は12月の真冬。雪が一面に積もっていて、とても寒く、施設がどこなのかももよく分からなかったので犬を散歩していたおじちゃんに聞くと、『あっち』と指を刺して示してくれました。
そしてなんと、寒そうにしている私を見て、彼の手袋を外して、わたしにくれたのです。
優しい温かい笑顔たっぷりに、『それじゃ』と去っていきました。(その手袋は、その後のバックパックでずっと付けていました。感謝!)

そして、ついにアウシュビッツ強制収容所に到着したのです。

わたしが見たアウシュビッツ強制収容所

当時、18歳だった私は、あまりに歴史がそのまま残っているその場を見て、恐怖のあまり『やっぱり、、帰ろうかな、、』とよぎるほどに、冷たく残酷な雰囲気が漂っていました。
ちょうど日本人の男性が出て来たので声をかけると、『今からですか?ぜひ見て来てください。』と答えたその表情から、自分の目で見なければ!と思い直して入りました。

世界史の資料集などで理解していたものが、全てそのまま。
ある場では、花が添えてあったり、スペインの画家ゴヤの『マドリード、1808年5月3日』がよぎって、たくさんの方々が銃殺される情景が浮かんでくるようでした。
建物の中にも入ることができて、1人だと怖すぎたので、どこの国だかの修学旅行生と見られる団体にくっついて回りました。

ガス室、火葬場、人を貨物のように運ぶ列車、『本当にあったことなんだよな、』信じがたい事実がそこにはありました。人間はここまで狂えるのか、、と恐ろしくもなりました。
ただ、この状況下でも、生きて祖国に帰った方々がいるということを知って、そのことについて知りたくなったのです。

人を生かしている未来への『希望』

思ったより長くなってしまったので、次の内容を後編として書かせていただきます。
ここまでお読みいただきありがとうございます。

後編を、お楽しみに♪

GEMS UNITED 代表 大曲加七子

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