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わたしが留学を決めた理由

こんにちは。
かなこです♪

今日は、『なぜ留学を決めたのか』について書こうと思います。

わたしがイタリアに飛び立ったのは、18歳になって高校を卒業した年の5月。
みんな4月から大学に行ったり、専門学校に行ったり、浪人して予備校に行ったりして新生活を送っていました。
みんなとは全く違う道を踏み出していくことに、とてもワクワクしていたことを覚えています。

▪️バレエに打ち込んだ日々と葛藤

わたしが留学を決めたのは、実は高校2年の冬でした。
『身長がどうがんばっても伸びない。』
背が伸びると言われているあらゆるものを試しましたが、伸びず、、。足を切断して、骨を伸ばしていく手術のやり方もあるようでしたが、あまりに痛そうすぎて、踏み出せませんでした。

『憧れのバレエダンサーのようになりたい。』
主役を頂くような実力でもなく、背も小さかった私は大声では言えなかったですが、その思いをもって真剣に頑張っていました。泣いて帰った日も実は沢山ありました。
5歳から地元のバレエ教室で踊りを始めて、中学生で、『プロを目指しているような子がいるスタジオに行きたい!』と、谷桃子バレエ団の系列の小野バレエスタジオに入り、そこで出会ったH・Sちゃん(東京シティバレエ団で大活躍している女性ー今年引退したようですが♪)のお誘いで、本田実男先生の教室にも通い、頑張ってきました。

▪️バレエの道か他の道か、選択の理由

高校2年の後半に入ると、高校の終わりが見えてきます。わたしはこれで食べていけるのだろうか。世の中で名の通った一流のバレエ団に入れるのだろうか。
もちろん、色んなレベルがあるので、レベル問わずにとにかくどこかに入りたい、というならば入れたと思います。でもわたしは、新しい道を選択しました。

踊ることや表現すること、感動的な作品に仕上げていくこと、沢山の醍醐味と生きがいややりがいがあります。
でも恐らく、わたしが望んでいたことは、
『この人生で大成したい!』ということだったのかと思います。
自分の力を発揮させて、自分を思い切り輝かせて、活躍する人でありたい!
わたしが気がついていない可能性が、わたしにはまだあるかもしれない、見出したい、何者かになりたい!

当時、ここまではっきりとは自分で理解できていなかったですが、
この思いを開花させるべく、だれも知っている人がいない世界で、思いきりチャレンジしてみたかったのです。

高校2年生の冬に、イタリアツアーの広告を見つけて申し込み(たしか10万くらいでした!)それに乗って下見をして、中でもフィレンツェという街は、日本でいう京都のような古都で職人さんも多く芸術溢れた街でとても気に入りました。
『ここに来よう!』そう決めて、留学を決めました。

『いいんじゃない!』と受け入れてくれた親にも感謝です。(今思うと、とても寛大です。笑)そして、留学費用を出して頂き感謝です!

結果的に海外での冒険は、とても良い経験になりましたが、あれは、10代だったから、もしくは社会に出る前だったから、良かったのかもしれないと思っています。
社会人になったあとにも葛藤があり、将来を考えていた時期がありましたが、また留学に行きたい!とならなかったのには、理由があります。

このことに関しては、また別の記事で投稿していきますので、お楽しみに!

海外のリアルな奮闘記も、これから投稿していきますので、今日はこの辺で。

かなこ

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