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後藤ひとりが脳みそに焼き付いてしまった男の話

最近の話だ。
とても困ったことがある。

とあるキャラクターのことが脳に焼き付いてしまい、事あるごとにフラッシュバックする症状に見舞われているのである。

何をしてても。
何を見てても。
いつも、視界の端に彼女が居るような気がして、作業の手が止まる。

彼女のことを考えすぎて考えすぎて、イカれてしまう。

それすなわち。
僕の脳みそに対する危機(インシデント)の発生である。

では、インシデントが発生した現場でやるべき事は何か?
当然、その原因の究明、排除、そして是正である。

すでにこの状態が続いて、三か月以上。
いつ重大事故に繋がるか測りかねる状況だ。
事態は切迫していると言える。

と、いうわけで。

絶賛放映中アニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」の主人公、「後藤ひとり」という名の、危機への対応を始めようと思う。


ステップ1.調査

©はまじあき/芳文社・アニプレックス

インシデントが発生した場合、最初にやるべきはその原因となった要素を検知し、報告することである。

僕の場合、「彼女のことを常に考えてしまう」という異常行動に対する原因を考えることがそれに当たるだろう。

原因。
それはつまり、彼女というキャラクターの「好きなところ」と、現実世界の何かしらの出来事が脳内で繋がってしまうので、彼女の事を想ってしまうという行動に結びつく、ということだ。

一考してみると、たしかに思い当たる点はいくつかある。
試しに、軽くいくつか列挙してみよう。


〇インシデントの原因となる、後藤ひとりの好きなところ

・陰キャの解像度が高い。
・喋る前に「あっ」をつけてしまうという、会話に対する余裕のなさ。
・OPのラストで見せる寂しそうな表情。
・友達が遊びに来るからと入念に準備し、スベってしまう所。
・山田にたかられる所が好き
・山田となんだかんだ通じ合っているところが好き
・喜多ちゃんとの関係性が尊すぎる所が好き
・喜多ちゃんがライブ中なのに後藤ひとりがカッコ良すぎて(圧倒されて)目を離せなくなっているところが「分かる」って感じで好き
・喜多ちゃん好き
・虹夏ちゃんに恩を感じて自信を持ってからギターヒーローだと名乗ろうと努力していた事実が好き
・虹夏ちゃん好きクソ好き
・虹夏ちゃんの夢を叶えるために勇気を出せる所が好き
・虹夏ちゃんが8話ラストで「この性格を直してから話したかったんです、と、特に、虹夏ちゃんには…」と後藤ひとりに言われた際に感極まったように嘆息する所
・妹いるとはっちゃけられない所が好き
・妹に土下座する所がクソ情けなくて好き
・なんだかんだ妹に慕われている所が好き
・アニメスタッフに遊ばれている所が好き
・アニメスタッフに後藤は何しても良いと思われてそうなところが好き
・アンソロジーで各作家陣に「いかに後藤ひとりで遊ぶか」を競われている所が好き
・頑張って勉強して綺麗にノートも取るのに点数が取れない所が途方もなく尊すぎる
・なんど撫でつけても直らないアホ毛が「努力がなかなか報われない」彼女のキャラクターを象徴しているようで好き
・すぐ調子にのって体で表現を始めちゃうところがロックで好き
・頼まれると断れない所がすごく分かるし共感できてしまう
・ギターを持つと最高にカッコいい所が好き
・しかし1話8話のけろりら作画の後藤ひとりは最高に可愛いな
・いや各話のアニメーターさんたちのクセが出てる後藤ひとりも全部可愛いな
・虹夏ちゃんも喜多ちゃんもクソ可愛い
・山田もクズ可愛い
・笑いでもギターでも、「その場の雰囲気をいつも吹き飛ばしてくれる」所が好き
・真顔かつ喋らないとイケメンなところが好き
・顔面崩壊したあと瞬間的に美少女に戻る作画が好き
・変身するまでもなく、もう承認欲求モンスターであるところが好き
・6д9で表現できる記号性および簡易性が便利
・全身全霊でロックを体現した女なところが好き
・第三話冒頭の喜多ちゃんから逃げ出す際に足をぐるぐる巻きにして加速、視聴者カメラを通過する際にモーター音がする所が好き
・下北沢のツチノコであるところが好き
・ドリンクの場所が早くて覚えられないので歌にして覚えようとギターを召喚するところが好き
・質量保存の法則を無視してゴミ箱の中からギターを取り出しているのになぜか説得力のある動きの作画をしてもらっている所が好き
・第三話冒頭の学校階段下に隠れて喜多ちゃんを覗く時のペラペラの手が好き
・脚本レベルで”他キャラクターとコミュニケーションが成立し過ぎないように気を付け”られてしまっている所が好き(吉田恵梨香さんありがとう)
・自分を変えるために勇気を出せる所が眩しい
・少しづつでも変わる努力をする理由が「笑顔がみたい」「一緒に楽しくしたい」なところが好き
・ニコ動でMADが作られまくっている所がおもちゃみたいで好き
・勇気を出して声を出したシーンがどれも泣ける
・2話19分25秒~20分05秒 好き
・3話01分00秒~OP 好き
・5話と8話でくっそイケメンなところが好き
・脳内世界がアジカンとかサカナクションPVモチーフなところが好き
・8話の覚醒シーンで「このままじゃ嫌だ!」のあとスッ……っと目が据わって無言で弾きだすところが好き
・5話でも8話でも、ギターの実力を発揮するシーンで「足を踏み出す」ところが好き
・青山吉能さんの声がめちゃくちゃに良い所が好き、キャスト陣みんな好き
・青山吉能さんの演技が面白すぎる所が好き
・青山吉能さんの演技がたまにSEと区別がつかなくなる所が好き
・青山吉能さんの声帯が心配になる所が好き
・たぶん音響監督さんがすごい拘りのある人なのだと分かる所が好き
・青山吉能さんの後藤ひとりへの理解度が高すぎて人に喋りかける際の後藤ひとりの演技の一つ一つの声の震えに”コミュ障”の魂が宿っている所が好き
・頭のおかしい奇行も、ギターで鬱屈した雰囲気をブチ壊すカッコよさも、すべて後藤ひとりがロックンローラーであることの証明であり、それらが彼女にとって等価な行動であるところが好き
・コツコツ勉強しているのにできない、運動もできない、動物にも子供にも舐められ、本当にギターしかない”後のなさ”が良い。追い詰められ、あらゆる意味で鬱屈していながら、それらの要素が決してマイナスじゃないキャラであることが救いだと思う。
・いつも「人にガッカリされたくなくて嘘をつく所」が好き。嘘を吐く理由もギターを練習する理由も、自分を変えるために一歩踏み出す理由も、その全てが「人にガッカリされたくない」事が理由なのが一貫性があって良い。
・詞の中に彼女が鬱屈とため込んだ叫びが溢れているところがとても”良い”。しかも、そこに自分への否定の詞はないところがとても”良い”。猫背のまま虎になる―――それはまさに、自身を否定せず社会に抗う、ロックンロールという音楽の体現、”それ”のキャラクターとしての顕現である。その後藤ひとりの音楽性を実際の楽曲に落とし込んで再現した音楽チームには脱帽だ。素晴らしい。例えば、「かわいい」では青くなって否定するのに「カッコいい」「すごい」と言われるとすぐトロける所が分かりやすいか。「かわいい」を微塵も目指していないアーティスト性が彼女にはあるのである。


一旦やめよう。
筆が乗って乗って仕方がないので、ここで終わりにした。

つまるところ、原因は無限にあるということが分かった。

「後藤ひとり」というキャラクターがあまりにも刺さりすぎているのだ。
もう、このキャラクターのどの部分が僕の何に刺さっているのかすら分からない。

え?
詰んでね?


ステップ2.分析

ステップ1では、「どうしようもなく後藤ひとりが心にブッ刺さっている」ということがとりあえず分かった。
では、いったん「原因から対応策を考える」というやり方については諦め、なにがインシデントを発生させるリスクとなるのか、その分析を自身のキャラクター観から行おうと思う。

持論。
僕は「良いキャラクター」の条件とは、視聴者の感情をどれだけ揺さぶることが出来るか、にあると思っている。

たとえば。
ハードボイルドなオッサンキャラだったら、視聴者に対しどれだけ「カッコいいなあ」と思ってもらえるかが勝負どころだろう。

だが、「カッコいい」だけじゃ魅力としては少し足りない。
それにくわえて、「可愛い所がある」とか、「動物には優しい」とか、親近感や意外性というエッセンスが加えられることで、より身近に感じられたり、「カッコいい」以外にも色んな感情を揺さぶられるようになることで更なる魅力に繋がっていくのだと思う。

その考え方から考察する。
だとすると、恐らく僕は「後藤ひとり」に自身が持つありとあらゆる感情を揺さぶられまくっていると思われる。


©はまじあき/芳文社・アニプレックス


なにせこの娘、噛めば噛むほど味がするのだ。
それでいて、死ぬほど共感できるエピソードが多い。

試しに、2話冒頭で感じたことを書いてみる。


虹夏たちが来てからじゃないと入れなくてウロウロしてる後藤ひとり。
あと十分、十五分とドンドン伸びていって、結局入れない。
僕もこれやったことある。
「高校は誰も自分を知らない所に行きたくて・・・」と虹夏とリョウに打ち明ける後藤ひとり。
僕と高校選んだ理由が同じで泣いてしまった。

©はまじあき/芳文社・アニプレックス


こういう共感エピソードのせいで、否応なく後藤ひとりには感情移入してしまうのだと思う。
行動の一つ一つが、いちいち切ねェのだ。

ただ、「後藤ひとり」の恐ろしい所はこれだけに留まらない。
なにせ、彼女は視聴者の――僕の感情を揺さぶる回数が多すぎるのだ。

ガッツリと感情移入させ、切なさや同情を引き寄せた上で、彼女は視聴者を全力で笑わせに来るのである。
泣かせにくるのである。
ほんわかさせにくるのである。

そして―――全力で、シビれさせに来るのである。

現在放映している10話までで、何度爆笑させられたことか。
何度、ドン引きさせられたことか。
そして、憧れと眩しさを感じさせられたことか。

まさしく、笑いと泣きと同情とエモの化身。
キャラクターから得られる全てのプラスの感情を、僕は彼女と、彼女の身の回りの友人たちと、彼女の物語から得ることができる。

かつて一人のキャラクターからここまで色んな感情を抱かされたことがあっただろうか。
いやない。

好きになったキャラクターは数いれど、ここまでエモのジェットコースターみたいなアトラクション娘は初めてなのである。

考えてもみて欲しい。

ただでさえ解像度の高い陰キャ描写で感情移入させられるキャラに、
笑って泣いて切なくなって愛おしくなって憧れてを繰り返し、
何度も感情を往復ビンタされている僕の気持ちを。

しかも、それは全部急所に当たっている。
もはやHPの残りはとっくにゼロである。

そしてそんな状態で。
第8話「ぼっち・ざ・ろっく」。
この話をリアタイ視聴してしまった場合、ヒトはどうなるだろうか?



©はまじあき/芳文社・アニプレックス


あっ・・・


あば・・・・・・・


あびゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ


あっ、あっ、あっ


あっ・・・



ひとりちゃんカッコいいよぉ・・・
しゅき・・・



分かってしまったのだがひとりちゃんってもしかしていわゆるロックンロール・ミュージックに頻出している世界の憂鬱を吹き飛ばしてくれるロックンロールの化身の擬人化それそのものなんじゃないですかねラジオならぬテレビから抜け出してきたエレクトリックな怪物であり憂鬱な世界を吹き飛ばしてくれるモンスターであり馬鹿げたメッセージまきちらす万有引力のロックンロールというかまさしく夢見たロックヒーローというかあらゆるロックンロールが歌に仮託しているヒーロー像をそのままキャラクターにしたというかその表現に成功しているというか全く新しいアニメキャラクター像というか基本的に避けるべきとされているガチの陰キャ像をあえて取り入れることでその新規性に拍車をかけるだけでなくその陰キャというキャラクターを綿密に描くことによってその人生の過程に発生する渇望を矛盾なく描きそれをギターに叩きつけることによって世界の憂鬱を破壊してくれるそれはまさにロックの



ステップ3.リスク評価

それでは分析がつつがなく終わったところで、インシデントに対するリスク評価に移ろうと思う。

評価とは、もちろん「ぼっち・ざ・ろっく!」というアニメがいかに素晴らしいかということだ。
それ以外に評価に値する事象はないことは明白である。

そう。
諸君らもご存じの通り、「ぼっち・ざ・ろっく!」とは、本当に”良い”アニメなのだ。

作画が良いアニメという話なら、今期は本当に数が多い。
だが、その中でも「ぼっち・ざ・ろっく!」の特に良いところとして言うのであれば、異常なまでに演出がきめ細かい所だと思う。

各キャラクターになりきったモーションアクターを使ったライブシーンの良さはもはや語るまでもないが、なんでもないようなシーンでも、キャラクターの「実在感」にせまるような超細かい演出が本当に”良”い。

以下、例を挙げる。

2話冒頭。
虹夏ちゃんが頭上で手を叩いて、自分の手の反動で少しづつのけぞっている。
ひとりちゃんが勇気を出して接客を頑張るシーン。
手とドリンクの揺れ方でちょっと力が籠ってるなぁ、と感じさせる演出。
感情移入して観ている人でないと気付かない細かさ。
5話伝説の虹夏ちゃん天使シーン。
自販機から取り出す時にサイドテールを抑えているところ、捨てたあとに手を振っちゃう所。

©はまじあき/芳文社・アニプレックス

これも挙げるとキリがない。
僕のように死ぬほどリピっているオタクは分かるだろうが、ほとんどの人は気にも留めないような細部に神が宿りまくっていることが分かるだろうか。

なるほど、これはもはや神話である。

見れば見るほど発見があるし、無限に楽しめるため何度も見てしまう。

毎話それぞれに細かい良さがあるの本当に凄いのだ。
どの絵コンテでも、演出でも、原画でもすべてに良さがある。
最高だ。


・・・。

いや・・・これおかしくないか?

冷静に考えてみれば、これはあまりに”良”すぎる。

あまりにキャラの”解像度”が高すぎる。

実在感が、強すぎる。

いや、間違いなくアニメなのだが、まるでそこに”生きている”かのような。


ん?

もしかして「ぼざろ」って現実なんじゃないか・・・?


つまり・・・
下北沢に・・・?



ひとりちゃん・・・

どこ・・・?




虹夏ちゃん……?



喜多ちゃん・・・
山田・・・?


どこ・・・?




ステップ4.対策

というわけで、下北沢をいくら探してもひとりちゃんは居なかった。
これは由々しき事態である。
いったいどこを探せば彼女に会えるのだろうか?

下北沢にいない。
ということは、金沢八景に行けば会える・・・?



うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお



っしゃあッ!!
海ほたるッッッ!!!


ひとりちゃん
ずっとここで、待ってるね
君が来るのを・・・


ステップ5.再発防止

ここまで駄文にお付き合い頂いた諸君に感謝を申し上げたい。
以上で、「後藤ひとり」というキャラクターがいかに最高かということが分かってもらえたかと思う。

最後に。
今後は何をすれば、より彼女のことをより高い次元で想い続けることができるかを考えていきたい。

①ブルーレイを全巻買う
 実行済である。当然の行動だ。

②アルバム・シングルを全部買う
 これも当然実行済だ。

③グッズを買う
 現在は入手困難なものが多いが、仕事をサボって手に入れたきららMAX付録のギターピックや、仕事をほっぽり出して一次受注をGETしたONKYOコラボのアクスタやイヤホンは入手済である。

④ギターを買う、ピンクジャージで過ごす

当然、実行済である。

これを着て金沢八景で物思いに耽る時が最近で一番幸せな瞬間だ。

⑤下北沢に住む
 ワンチャン有である。ここのところ毎週通っているし。
 何だったらこのために現在、転職も考えている。


以上で、本稿の内容はまとまったと思う。

書き始めはどうなることかと思ったが、予想以上に趣旨を果たすことができて自分でも感無量といったところだ。

もしキャラクターに脳を焼かれて困っている人がいれば、本稿のリスク対応モデルが参考になればと思う。
それでは、「ぼっち・ざ・ろっく!」最終回という人生の終わりまで、諸君らが心穏やかに過ごせることを切に願う。


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