困った人の話、困った人=発達障害?

 この一ヶ月、実に色々なことがあった気がする。
教習所通い始めるわ、元恋人と完全に縁を切るわ、趣味の界隈で晒し上げが発生するわ。

 教習所以外はこれ、問題のある他人の存在で起きていることだ。元恋人は詳細は省略するが、うつ病が悪化して他人を慮らなくなったし、晒し上げされた人はその更に上を行く自己中を発揮していた。

 我々は生活していると、度々こういう「困った人」に遭遇すると思う。
困った人の対処は場合によっては本当に困る。それはよくわかる。僕が先月遭遇したのは趣味のコミュニティだったので追放という形で解決されたが、仕事だとそうもいかないからその困り具合は筆舌に尽くし難いだろう。

 じゃあ、そういう人達って発達障害なんですか?と問いかけてみたい。

 はっきり言おう。この問いにイエスと答えられてしまうと僕としては非常に困ってしまう。
僕がどれだけ人間性に尖りのある人物かは知らないが、少なくとも彼らの問題は「発達障害だから」ではとても説明がつかないものだったのだ。
 困った人が困った人である理由を全て発達障害のせいにされてしまうと、それは我々発達障害者への偏見を助長することになりかねない。
 今回は「困った人」について考察してみようと思う。

困った人に対して、どう対処すればいいの?

 それは困った人がどういう困らせ方をしてくるかにもよるんですが、基本的には放置、あるいは距離を置く、でいいと思います。
 
 困った人を治療してあげろとかは口が裂けても言いませんよ。彼らは彼らで問題を抱えた可哀想な人達ですが、それは個人で出来ることでは到底ないですし、その責任もありません。
というか、やめておいた方がいいです。僕もやろうとしたことがあるので深くは言いませんが。

困った人はどうして困った人なの?
可能性1 発達障害だから

 いや発達障害じゃないって言いたいんじゃないんかい!と思った方もいるでしょう。
ですがこのパターンは少なからず存在すると思うので、まず最初に紹介します。

 僕はぜんぜんそういう傾向ないな、と思うので受け売りでしかないんですが、発達障害者は言葉を文字通りに受け取ってしまう人たちがいます。よく言われる話ですよね。
 これは端的に言うと、思考の柔軟性に欠けるということです。謙遜や皮肉を理解できないってそういうことですよね。
 思考の柔軟性に欠ける人間は、正直何をやっても不器用なところがあります。別れた元恋人がそうでした。
柔軟性が人並みにある人間からしたら、ものすごく遠回りをしているようなことを平気でします。
 こういう人が何かしらの理由で、会社で「困った人」になってしまうのは仕方ないんじゃないかなと思います。

理由その2 家庭環境がカスだった

 これも元恋人を観察した結果得られた知識なんですが、家庭環境がカスだと、認知が歪みます。
 特に普通に接しているだけなのに「あの人は私を嫌っている」とか勝手に思い込んだりしたり、少し叱っただけで過剰に怯えて、肝心の内容が入っていかなかったりします。

 どういう風に歪んでいるかはケースバイケースですし、何の問題もない家庭もそれはそれで珍しいとは思いますが、「困った人」に進化するレベルだとなかなか厳しい家庭だったんじゃないかと思われます。

理由3 シンプルに性格がカス

 はい。最後にこれを持ってきたのは、一番身も蓋もない話だからです。
 その人の人生や特徴を神の目で見つめたとしても、何の理由もないのに何故か性格がカスな奴というのは存在します。
 というか、発達障害だの家庭環境の問題を先に話したのは、彼らへの偏見を強めて欲しくないからですね。
何の理由もない人格カスがいる一方で、発達障害や劣悪な家庭環境を抱えても、「普通の人」として過ごしている人がいます。
だから「困った人」全てが発達障害、アダルトチルドレンではない、そういうもの全てに当てはまらないシンプルな性格カスもいるんだということが、僕がこの記事で一番伝えたかったことです。

総評

 まぁ、だいたいの困った人は発達障害か家庭環境の問題を抱えているとは思います。
 彼らは彼らで望んでその境遇に生まれたわけではないので、彼ら自身も苦しんでいる当事者ではありますが、それを他人であるあなたが救ってやる必要はありません。
 そして、全ての発達障害者やアダルトチルドレンが「困った人」というわけでもありません。特に理由もない「困った人」がいるのと同じようにね。

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