カール・ポランニーの『大転換』(研究ノート)
以前の仕事や現在の研究で、地域に根差した商売や活動をする人々と接することが度々ある。話を聞いていて感じるのは、顔の見える関係性の中での秩序と、大きなスケールの政治経済の動きや法制度などが、往々にして嚙み合っていないことだ。
そうしたギャップを考える上でのヒントにならないかと、経済史家カール・ポランニーの古典『大転換 市場社会の形成と崩壊』を読んでいた。やっと読み終わったので、内容で重要だと思った部分と、私が研究している地理学と関連して考えたことについて書いておきたい。
この本は第二次世界大戦真っ只中の1944年に書かれている。世界恐慌で金本位制が崩壊し、各国は生産の統制や保護貿易を強化し、ファシズムと社会主義が勢いを増していた。資本主義の発展と共に広がった「市場に委ねれば上手くいく」という社会像が、大きく揺らいでいた時代だ。ポランニーの議論は幅広くて難解だが、訳者の解説を頼りながら素人なりに読み解くと、二つの主張に大別できる。
・人間はもともと、相互依存的関係に根差した組織や集団で生活しており、取引で個人的利益を得ようとする経済主義的な性質は持っていなかった
・自己調整的市場社会は、19世紀のイギリスで人為的につくられたもので、自然の産物ではない。こうした社会は人々の伝統的な行動原理や価値観、組織を破壊し、苦痛と困難をもたらした
ポランニーは歴史を紐解きながら、人々が共同体の中で生きていたヨーロッパの封建制時代までは、経済的動機のみに基づかない生産と分配の秩序がある程度通用していたとする。当時の人々の行動原理として、互酬、再分配、家政 の三つがあるという。実際の働きを、西メラネシアの島嶼共同体を例に考えると、次のような形になる。共同体の中で、男性は収穫物を自分の姉妹やその家族に与えることで、男として賞賛される。すると、彼の妻や子どもも周囲から食べ物を与えられる(互酬)。収穫物は首長が貯蔵庫で保管し、祝祭や踊りなどの儀礼を通じて分配される(再分配)。そして収穫や貯蔵は、共同体の人々の必要を満たすためだけに行われる(家政)。
この三つの原理は、領主が支配する荘園、家父長制の家族、地縁に基づく村落など、さまざまな共同体に当てはまるものだった。それまでアダム・スミスたちによって、人間は元来交換で利益を得る性質があり、時代の進歩に伴って交換が合理的になり市場社会が確立されたという単純な歴史観が共有されていたが、ポランニーはそれを否定する。もちろん古代ギリシアやローマでは高度な商業が発達し、島嶼や川辺の共同体では交易が活発になされていた。しかしこの時点での交換は、他の三つの原理と比べ、あくまで自給自足ができない部分を補う脇役に過ぎなかったという。
中世の交易と都市について述べたこの辺の記述は面白い。長距離輸送に適した羊毛の遠隔交易、日々の生活に必要な農作物などの局地交易が発達し、都市があちこちに生まれるのだが、両者の交易は分断されていて、全国市場には育たない。都市の商人や職人ギルドが遠隔交易の利益を独占し、資本主義的な商業が浸透しないようにしていたからだ。都市の共同体の特権を守るための行為が、後背地である農村の共同体を維持させてもいた。
もちろん、こうした共同体社会は牧歌的ではなく、同調圧力と相互監視に満ち、暴力による統治も蔓延っていた。現代的な自由などなかったと思う。一方で、人々は共同体の中にいる限り、自分の力で生きるためにより多くの利益を得ようと頑張る必要もなかった。それが怠惰だという発想が存在しなかったのではないか。今日と明日は常に同じ。それでよかったわけだ。では、交換が脇役から主役に踊り出し、市場が全てを支配する社会はどのような力学で作り出されたのだろうか。
大きな要因は、土地、労働、貨幣が商品化されたことだ。食料や衣服、農工具を生み出す土地や人間の使用に値段が付き、市場で交換されるようになり、その値段を表象する貨幣を手に入れる市場も発達する。その道筋を作ったのが、中央集権化と貿易財貨の貯め込みを狙う重商主義国家だった。ただ重商主義の時代は、商品化の程度はまだゆるやかなものだった。大転換は18世紀末の産業革命だ。機械が飛躍的に大型かつ精密になり、工業生産は貿易商人に代わって産業資本家が莫大な投資をして行うものになる。巨大な土地と大勢の人員を投入し、大量生産をしなければ投資を回収できない。かくして土地と労働の商品化が一気に推し進められた。農村は疲弊し、土地に紐づかなくなった下層農民は都市へと流れ込み、労働者化していく。国内、国外の双方で取引が爆発的に増え、紙幣が普及するとその価値をいかに担保するかが問題になり、国際的な金本位制が編み出される。自己調整的市場システムはこうして新たに確立された。
当然、伝統社会から市場社会への移行過程では凄まじい混乱が生じる。特に労働者化し競争を強いられるようになった人びとの生活は悲惨という言葉を超えるものだった。ポランニーはこうした市場の一方的な拡張に対して、反抗する社会防衛機能が働くことを見出している。イギリスの農村の地主貴族の既得権益を守るスピーナムランド法や穀物法は、貧困層を痛めつけたが、労働の急激な市場化を遅らせたり工場法などの労働運動が盛り上がったりする土台となった。自由貿易やそれを支える金本位制も、国が設立した中央銀行が通貨の価値を維持したり金融市場を安定化させたりと、政治の干渉があるから成り立った。市場システムは不完全なもので、社会防衛とのせめぎ合いがあってこそ、資本主義社会は持続してこれたというわけだ。
市場化を推し進める交換と、時に社会防衛として現れる互酬、再分配、家政。資本主義がいっそう高度化した現代でも、後者の三つの経済原理は様々な形で働いているのかもしれない。当事者にとって全くありがたくなくても、実はその人の生存権を保障していたり、後々から見ると物事のバランスを保たせることになったりした慣習や制度もあるのだろうから、社会経済の事象は複合的な時間-空間スケールで見ないと分からない、ということなのだろう。ポランニーが後の著作も含めて明らかにしてきたのは、実体的な経済は独立しては存在せず、政治や文化という非経済的な存在に埋め込まれているということだそうだ。地理学的に捉えるならば「空間に埋め込まれている」ということになるだろう。
中澤高志(2016) 「ポランニアン経済地理学という企図 -実証研究にむけた若干の展望-」. 明治大学教養論集 514:49–92.
https://meiji.repo.nii.ac.jp/records/8546
地理学でポランニーの思想を扱った研究としては、明治大の中澤高志先生の論文がある。同じ日本の地方圏でも、東北では高齢者の介護を家族が担うのに対し、九州では事業所のサービスに委ねる傾向があることについて、互酬や再分配、家政の働きについて検討をしている。興味深いのは、介護サービスを商品化するからといって、それが交換だけに回収できない、つまり何らかの互酬や再分配の働きがあるのではないかということだ。
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