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境界線をあいまいにして「ここちよさ」を地域に拡張する

シャッター温泉街に本社を移動することにした

1.11に日置市と連携協定を結ばせてもらい、日置市湯之元というシャッター温泉街への本社移転の発表をした。詳しくはリンクのPR Timesか日経の記事を見てほしい。日置市長と温泉に入りながら記念写真をしたり、市長やゆるキャラと街を浴衣で練り歩いたりと楽しかった。

本社移転だけでなく、山ほどある空き家にもオフィス機能を持たせて街全体をオフィス化するという発表も反響を呼んだ。何故こんなことを企業としてしたいのか、はプレスリリースや日経の記事で充分語られてると思うんだけど、なぜ自分がこんな事をしたいのか、内発的な部分を書いてみようと思う。

ここちよいの、いいよね

自分は地方企業の4代目ということで、お坊ちゃんだ。どのくらいかというと、指にはめて遊ぶのは、とんがりコーンでなくてヨックモックのシガールだった。

毎週ファミコンのカセットをじいちゃんに買ってもらえるので、買うものがなくなって「美味しんぼ」のソフトを買ってしまうほどのおぼっちゃまだった。

例えに共感が得られるのかわからないけど、そのくらいチヤホヤ育てられた。なので、不自由なものとか、不快なものが苦手で、つねに、「ここちよい」状態にいたいと思っている。

Happy wife, Happy life

なので、家庭もここちよくあって欲しいと思ってる。我が家の家訓は「Happy wife, Happy life」。昔、イタリアで聞いた言葉で、パートナーをハッピーにすれば、自分もハッピーになるという意味。

ここまでは「自分」、ここまでは「パートナー」という区分けをするのでなく、自他の境界を曖昧にして全体をハッピーに出来るよう動いた方が、自分の幸福度がより上がるというのは、経験則として感じている。それが、ここちよい、家庭につながると思ってる(出来ているかボスに聞くのはこわいw) 。

会社も、ここちよく、あってほしい

会社経営でもそうだ。自分と他人の人生が交わる会社という場所に、ここちよくあってほしい。「ここちいい」は、「ヌルい」という意味でない。成長が実感でき、そして心理的安全戦も高い組織が、自分にとっては、ここちよい。個人vs職場という捉え方ではなく、自分の「ここちよさ」を所属する組織にも拡張したい、と思っている。

先日社員と作った会社のバリュー(行動規範)も、組織をここちよくするための、全員の約束事と言える

境目を曖昧(あいまい)にする

上記2つの例、個人と家庭、個人と職場、の例では、自分のテリトリーをここまで!とはっきりさせず、家庭や職場との境界性を曖昧にしている。

そして、今回の本社移転に伴う「街まるごとオフィス」も同じで自分の動機も、会社と街の境界線を曖昧にし、「ここちよさ」を地域にも拡張したい、ということだ。会社を「自分のテリトリーはここまで!入ってくんな!」という区切られた空間にするのではなく、地域との境目が曖昧な場にしたいと思っている。

街中に作業場所やミーティングルームがあることで社員は街の中をなかば強制的に歩くことになる。また、次の段階では、例えば、引退後は自分自身のジャズ喫茶を開きたいという夢と街がクロスするような場面も出るかもしれない。そうすれば、社員の人生と街の境目も溶けていく。

なにが起こるかは分からないし、目標もない

最近読んで、本当に良かった本にエフェクチエーションがある。VUCA(未来を予測できない)な今の世界では、達成目標を作ってそこへのステップを踏むというアプローチではなく、1歩目のキッカケを作った後は、今あるリソースでベストな選択を柔軟に積み重ねていくという方がいいんじゃない?というアプローチだ(言葉足らずなので、ちゃんとした定義はググるか本を読んでほしい)。

エフェクチエーションのプロセスは、型紙のある服作りに対して、いろんな切地をその場の流れで重ねるキルトを重ねる行為に例えられる。今回の街まるごとオフィスや本社移転には、目標となる完成系はない。ただ個人として決めてるのは、境界を曖昧にしたいということと、自分と企業の間に作っている「ここちよさ」を地域に拡張したいという事だけ。1枚目のキルトは置けたと思う。どんな形になるのか楽しみだ。

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