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Web3はビッグブラザーを打倒するのか?

Web3の盛り上がり

2021年秋頃から「Web3」というキーワードを目にする機会が増えてきた。どうやらWeb2.0(この単語自体15年ぶりくらいに聞いた)の次の世代のインターネットのことらしい。

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Web3のGoogle Trend

Web3の提唱者のGavin Woodは、Why We Need Web 3.0という記事の中で、

Consider Web 3.0 to be an executable Magna Carta — “the foundation of the freedom of the individual against the arbitrary authority of the despot.”
Why We Need Web 3.0

と語っている。「実行可能なマグナカルタ(専制君主から個人の自由を勝ち取る)」というのは、Web2.0の覇者が独占する富やデータをDecentralized(非中央集権化/分散化)し個人の手に取り戻す、というような趣旨。壮大なビジョンだ。

Web3について触れられている色々な記事等を読んでみて、Web3の根幹にある問題意識や技術革新の種としてのブロックチェーンというコンセプトにはとても賛同している。一方で、その実現に向けてはいくつかの疑問、というか疑念がある。

このnoteでは、自分の頭の整理のために、Web3とは何か?その実現に向けてどんな課題があるのか?について整理してみる。

Web3に至るコンテクスト

まずは、情報伝達の歴史を辿りながらWeb3に至るコンテクストを整理してみる。

インターネット以前の世界

情報伝達の歴史

古代まで遡ると、情報伝達における最初期のイノベーションは「文字」の発明だろう。文字によって人は、情報を正確に「複製」することが可能になり、時間を超えて正確な情報を伝達出来るようになった。これによって人類は「知」を世代を超えて蓄積することが可能になった。

次の大きなイノベーションは紀元前の中国で発明された「紙」だろう。軽量な媒体に情報を記せる事で、より大量の情報をより速く・広く伝達出来るようになった。これにより一つの政権が統治可能な領土の広さが爆発的に拡大した。併せて、道路や運河も整備され情報の「流通」が戦や統治の成否を左右するようになった。

次に、15世紀にグーテンベルクによって発明(実用化)された「活版印刷」。これによって情報の「複製」コストが圧倒的に下がり、同じ情報をたくさんの人に伝達することが可能になった。それが宗教革命を誘因し民主主義の誕生の一端となった。

19世紀に入り「電気通信技術」が発達すると情報の「流通」の限界コストが劇的に下がり、情報をより速く・広く伝達出来るようになった。更に、ブロードキャスティング(同じ情報を全ての端末に送る)によって情報の「複製」の限界コストも実質的にゼロになっていった。この電気通信技術は新聞の速報性を高めたり、テレビやラジオを通じて音声や映像までもが速く・広く伝達可能になり、マスメディアの時代が本格的に到来した。

このように、情報の「複製」「流通」の技術革新は、生活様式のみならず戦争や政治、社会の在り様までも劇的に変えていった。

インターネットの誕生

インターネットの為した偉業

1960年代から70年代にかけてインターネットの原型となるコンピュータ同士の通信技術(ARPANET)が発達し、1980年代にかけてTCP/IPという現在のインターネットの基礎となる「プロトコル」が確立されデファクトスタンダードとして定着していった。

「プロトコル」というのはコンピュータ同士が情報をやり取りするための「取り決め」で、コンピュータ同士が会話をするための言語のようなもの。このプロトコルの標準化は、例えるなら世界中の言語の統一のようなもので、これによって世界中のコンピュータが相互に通信可能になり、World Wide Webという概念が実現可能になった。

インターネットが実現した最も本質的な革命は、「情報の複製と流通の限界コストがゼロ」という情報伝達における最大級のイノベーションの果実を、ネットワークに接続する全てのコンピュータにもたらしたこと(=情報発信の民主化)だろう。

マスメディアの時代においては、新聞・雑誌の紙媒体は「複製=印刷」「流通=宅配・配本」の構築と維持には莫大な資本が必要なため参入障壁が高く、ラジオ・テレビでは電波帯域という希少資源の利用を許認可された権益者しか情報の発信者となる事は出来なかった。

この既得権益を打破し、「情報の複製と流通(=情報発信)の民主化」したことがインターネットの起こした最も本質的な革命であり、その功罪が現代社会を形作っていると言えるだろう。

Web1.0の時代

Web1.0の時代

情報発信が民主化されたことで、多くの人がホームページを始めとした情報発信を行うようになりインターネット上に情報コンテンツが爆発的に増大していった。

そして、爆発するコンテンツの中から自分の望むコンテンツにたどり着くための「インターネットの入り口」がビジネスにおけるWeb1.0の主戦場になった。Yahoo!のようなポータルサイトやGoogleのような検索サイトが台頭し、「入り口」に大量の人が殺到することで、そこが「メディア」と化し、インターネット広告ビジネスが勃興した。

この時代はまだ、静的コンテンツと言われる発信者が作成した固定的な情報を受信者が閲覧するという一方通行の情報伝達が主要な使われ方だった。

Web2.0の時代

Web2.0の時代

2005年頃からインターネットの次のフェーズという意味でWeb2.0という単語が盛り上がった。Web2.0自体は、Web3という単語が昨今注目を集めるまでは2005年頃から2~3年流行ったバズワードでしかなかったが、ここでは、Web1.0とWeb3の間をWeb2.0であるとここでは定義する。

Web2.0の時代の主戦場はインターネットに接続したユーザ同士の「インタラクション」と言えるだろう。

インターネットビジネスの興隆に伴い、コンピュータの性能は飛躍的に向上し通信速度も飛躍的に高速化していった。それによって多くの人がインターネットを閲覧するだけでなく、インターネットに情報を発信することが出来るようになっていった。これによりブログやYouTubeのようなCGC; Consumer Generated Contentsが爆発的に増大していった。

更にiPhoneの誕生以降、多くの人がインターネットに接続するモバイルデバイスを持つようになると、FacebookやTwitterのようなSNS/Social Mediaが勢いを増していった。

こうして、文字の発明から数千年の時を経て、誰もがインターネット上で情報を発信したりコミュニケーション出来るという「情報発信の民主化」が達成された。

Web2.0のもたらした問題

Web2.0の導いた先

「情報発信の民主化」が人類をユートピアに導いたのかというと、僕らが生きている今日の世界は残念ながらそうではないようだ。農業革命が支配と争いを拡大し、産業革命が搾取を拡大していったように、インターネット革命も功罪併せ持つ構図となっていった。

巨大Tech企業による寡占に至る構造

「インタラクション」がインターネットビジネスの主戦場になっていったことで、ネットワーク外部性(参加者が増えるほど体験価値が向上する)が強く働くようになった。言い換えると、勝者がより強くなるフィードバックループが確立された。

同時に、ユーザとコンテンツが増えれば増えるほど、ユーザが消費したいコンテンツを能動的/主体的に選択することが困難になっていった。結果、そのユーザの過去の行動からその人が好みそうなコンテンツを提供する「レコメンデーション」がサービスの体験価値における最も重要なピースとなっていった。

レコメンドアルゴリズムはその性質上、多くのデータが集まるほど精度が向上する。言い換えると、データに対する規模の経済のメカニズムが働く構造を持っている。レコメンド技術がネットワーク外部性のフィードバックループを更に強化することで、規模の経済のメカニズムは加速度的に強化され、少数の巨大Tech企業が市場を寡占する構造へと急速に収斂していった。

インターネットビジネスの産業構造

加えて、インターネットの「情報の複製と流通の限界コストがゼロ」という特性は、製造業のように「多くの人を雇用しプロセスを標準化して教育する」よりも、「少数の天才が属人的に作り出した唯一無二のソフトウェアを無限にばら撒く」方が競争力が高まるという構造を内包している。

Web2.0の覇者への責任追及の高まり

この「データに対する規模の経済」と「少数精鋭チームの優位性」が、富の偏在(=格差)とその固定化に拍車を掛けていくという構造が生まれていった。

こうした経済的合理性に加えて、レコメンデーションは社会の分断と対立の深刻化にも大きな影響を与えていると言われている。レコメンデーションは、その特性上、今/過去の自分と似た人の好みに合った情報が提示され続けるため、見たい情報しか提示されなくなり視野狭窄を起こすフィルターバブルという現象を引き起こした。

こういった歪みが、Brexitや米国大統領選等、多くの政治的活動にも影響を与え始め、巨大Tech企業に対する社会的責任を追求する声が日増しに増大していった。

Web3への期待

Web3の挑戦

こういった現状へのアンチテーゼとしてWeb3という概念が提唱され、その中核を担う技術がブロックチェーンである(と理解している)。

Web2.0の世界では、データを囲い込むことが勝者が勝ち続けるフィードバックループを生む。この構造が生み出した問題への最大の処方箋は「データの民主化」だろう。

ブロックチェーンは「データの民主化」を実現する可能性を秘めた技術である。ブロックチェーンの詳細についての説明は割愛するが、ざっくり言ってしまうと、データを中央のサーバではなく皆の端末に分散して保持してそのデータの生成や変更を衆人環視の元でやろうという技術(雑過ぎ?)。

ブロックチェーンとセキュリティ

こう説明すると、それってセキュリティ大丈夫なの?というのが最初に浮かぶ疑問だろう。この疑問についてセキュリティの三大要素であるConfidentiality(機密性)・Integrity(完全性)・Availability(可用性)の観点から簡単に整理する。

Confidentiality(機密性)というのは、その情報にアクセスして良い人以外がアクセス出来ないこと。ブロックチェーンでは、そのチェーン上で扱うデータを匿名化することでこの機密性を担保する。

Integrity(完全性)というのは、その情報に改ざんや不整合が無い状態のこと。ブロックチェーンでは、そのネットワーク参加者の多数決で規定されるブロックの連なり(まさにブロックチェーン)がこの完全性を担保する。

Availability(可用性)というのは、その情報が必要なときにいつでもアクセス出来ること。ブロックチェーンでは、そのネットワークの参加者の端末に情報を分散保持することでこの可用性を担保する。

Web2.0の世界では、これらはサービス提供者の能力や倫理感に依存する(Gavin Woodの言葉に言い換えると信頼/Trustを与える)以外の選択肢が存在しなかった。

Web3とは?

このブロックチェーンの技術上に構築されたアプリケーションを選択するという新しいインターネットの在り方がWeb3であり、それによってプラットフォーマーによるデータの独占とそれに紐づく富の偏在に抗うことが出来るのではないか、というのがWeb3の目指す世界である(と理解している)。

このようにWeb3はWeb2.0の問題の主要因を取り除き、世界はより平等で公平で生きやすくなるという期待のもと提唱され、いち個人としては是非実現して欲しいと切に願っている。

一方で、人類の歴史を振り返りながら考えてみると、その実現についてはいくつかの疑問、というか疑念もある。

Web3への疑念

Web3の理念実現への疑念

疑念1:Decentralizationは実現されるのか?

疑念1

Web3は、Web2.0の覇者によって独占されたデータや富を、ブロックチェーンを中核とする「技術」によってDecentralization(非中央集権化/分散化)し、現代の問題を解決しようと志している。第一の疑念は、そのDecentralizationは本当に実現されるのか?というものだ。

そもそもインターネットは「自律・分散・協調」の思想のもと、誰にも所有も独占もされていない。誰もが誰の許可を得ることもなくインターネット上に自分のサービスを構築し公開することが出来る。

では何故Web2.0の覇者の寡占状態になっているのか?それは単に経済合理性の帰結として、少数プレーヤーへの収斂が最適だったに過ぎない。

上述の通り、インターネットは情報発信の民主化という人類史に類を見ない民主的で開かれたイノベーションであったにも関わらず、その帰結は、産業革命(よりは多分随分マシだが)よろしく富の偏在とその固定化に寄与する結果を招いてしまった。要は、技術の問題ではなく、人間とその集団(=社会)が織りなす構造の問題なのではないか?

疑念2:民主的な意思決定機構は有能な独裁者に打ち勝てるのか?

疑念2

Web3のサービスを運営する組織の在り方としてDAO; Decentralized Autonomous Organizationという考え方がある。固定的な管理者が存在せず、組織の意思決定は参加者の多数決によって為される。

これは一見素晴らしいようにも思えるが、インターネットビジネスの勝ち方として果たして理にかなっているのか?

例えば、まだ殆どの人が気付いていない画期的な機能は多数決によって生まれるのか?Googleも検索サービスとしては後発で当初は投資家に見向きもされなかった。日本で言えばメルカリも当初はヤフオクがいるのに勝てるわけがないという見方が支配的だった。

世の中を大きく変えるサービスは、民主的な多数決によってではなく、その時のリーダーの確固たる信念によって多くの反対を押し切る形で実現されていった。

誰にも反対されないように全てを盛り込むという思想で生まれた「ボタンだらけのリモコン」が誰にとっても使いにくいように、多数決というのは万能な仕組みではない。人類史を振り返ってみても民主的な政治機構が衆愚政治によって崩壊したり暴走した例は枚挙に暇がない。

自由な経済システムのもとで、果たしてDAOによる民主的な組織運営は、従来型組織に太刀打ち可能なのだろうか?

疑念3:大衆は本当にWeb3を選択するのか?

疑念3

Web2.0の覇者への批判が高まっているという事実と同時に、それでもWeb2.0のサービスが覇権を握り続けているという現実もある。

オープンソースソフトウェア(OSS)は、Web3の思想が既にかなり体現されていると言えるだろう。僕らは既にWeb2.0に抗おうと思えば(限定的ではあれど)抗う術は持っている。にも関わらず、FirefoxよりもGoogle ChromeやMicrosoft Edgeが、LinuxよりもWindowsやMacが多くの個人に選択されている。

多くの人は、利用するソフトウェアを選択するとき、利用可能な情報を包括的かつ合理的に処理して意思決定しているわけではない。その選択には、継続的なサービス運営、カスタマーサポート、プロモーション、マーケティングと、様々な事業活動によって醸成された信頼や直感といった感情的価値が大きく寄与している。

実際に会社経営をしてみると、事業は創るよりも営む方がよっぽど大変だ。Web3やDAOは、既存事業者を上回るオペレーションを実行し得るのか?

まとめ

2021年秋頃から急速に盛り上がりはじめたWeb3について、そこに至る歴史的背景を紐解きながら、Web3が実現したい理想とその実現に向けた疑念を整理してみた。大枠は大きくは間違ってないと思う、多分。

Web3という単語自体は、Web2.0と同じように、単なるバズワードとして花火の様に一瞬で散っていくのかもしれない。

しかし、Web3の根ざしている問題意識は、世界の「解くべき問題」であるとは思うし、新しいインターネットの技術がその突破口を開くことには期待を持ち続けたい。

そのためには、技術やその先の近視眼的な経済的メリットだけではなく、これまで人類が歴史上積み重ねてきた過ちや教訓に学び、社会の構造そのものをどう変革していくのかという広い視野で議論を深めていく必要があるのではないか。そうでなければ、Web3は、Web2.0の世界と全く同じ構造を持った世界しか生み出せないのだろうと思う。

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