社会人コンプレックス

 ずっと、社会人に対してコンプレックスを抱いている。ふとしたときに自分と周りの社会人を比べて勝手に落ち込んでしまったりする。
 ただ、社会人という言葉はぼんやりしたもので、明確な定義は無いようだ。だから僕は、会社に雇用され責任を持って仕事をすることで安定した収入を得ている人を社会人だと思っている。その点、会社からの仕事がある訳でもなくアルバイトで得た不安定な収入で生活をしている僕は、悲しいことに社会人ではない。
 そもそも、大学に入る前から芸人になろうと決めていた僕は、社会人はもちろん就活すら経験していない。4年生になり周りが必死に就活に励むのを「勝手にやっとけ」と眼中に無いような顔をしたまま卒業を迎えた。
 というより、眼中に入れられなかった。彼らを直視すると、将来に安定も希望もない自分と比較してしまい不安でたまらなかったからだ。
 大学に入学した頃は、「俺は将来芸人として稼ぐから大学なんて卒業するだけでいいや」と本気で考えていたし、将来に不安なんてなかった。けど、周りが就活に励み出し、友達との会話も企業の話や面接の話など本気で将来を見据えた内容になっていくにつれ、「俺ほんまに芸人なって大丈夫なんか?先のこと考えて就職した方が良くないか?」とはじめは1:9くらいだった不安と希望の割合が徐々に逆転していった。
 とはいえ今更芸人の道を諦める勇気もなかった僕にとって、彼らを直視しないことは自己防衛として必要だったのだ。そして、卒業後NSCで先の見えない1年間を過ごしていた僕は、ある程度の収入を得て学生時代とは違う生活に変化する彼らを、SNSで遠い世界の人間のように眺めたまま芸人になった。

 そんな日々を過ごしていると、自分と社会人を比較して劣等感を感じるようになった。比較したところでどうしようもないと分かっているのに。
 そして、この劣等感は自分の幸せに水を差す。
 僕は、休みの日に古着屋に行くのが好きだ。安くて良い古着を買えるとテンションが上がるのだが、ふと冷静になって、「でも社会人はこんな服何着も買えるし、もっとハイブランドとか買うんやろうなあ」と考えてしまう。そして、3500円のスウェットを値札を見て棚に戻した自分が嫌になる。
 給料が入りひとりで回転寿司に行ってテンションが上がっていても、ふと冷静になって、「でも社会人は回らん寿司屋で、お酒飲みながら一貫何百円もするネタ食べてるんやろうなあ」と考えてしまう。そして、150円の皿を避けて100円の皿でお腹を満たす自分が嫌になる。
 「自分が幸せと感じているこれは、周りからすると第3希望くらいの幸せで、所詮は身の丈に合ったことで自分を満足させようとしているだけなんだろう」と、自分の幸せに自信が持てなくなるのだ。

 でも少し前、そんな僕に嬉しいことがあった。
 元消防士の同期と話しているとき、「今と消防士やった頃、どっちが幸せ?」と何気なく聞いてみたら、「今!!」と返ってきたのだ。「働いてたときの方がお金はあったけど、今の方が毎日楽しい」らしい。
 僕は、それがすごく嬉しかった。そして、社会人にコンプレックスなんて抱かなくていいんだと思った。僕が思う社会人、その代表とも言える公務員だった彼がそう答えるということは、安定や収入と幸せかどうかは比例しないということだからだ。むしろ、安定や収入より少しの希望の方が人生を豊かにするのかもしれない。そう考えると不安が9割の今を楽しめる気がした。
 正直、何気なくじゃなくてずっとこの質問をしたかった。答えを聞いて今に失望するのが怖かったけど、勇気を出して良かった。今の自分は幸せだし、未来に少しでも希望があれば人生は明るい。

 この前、その同期がお昼ご飯を食べていた。
「今金欠やねん」と言う同期の昼食は、駄菓子屋でよく見るペペロンチーノ2つだった。

 ほんまに今の方が楽しい?

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