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決意表明第二

 「できない」から逃げることが増えた。できないことを理由に逃げているというより、できないことへの挑戦自体から逃げているという感覚のため「できない」から、としている。
 これを実感する場面は多々あり、小さい頃と今を比べて一番違いを感じるのがこの部分だ。何かをやってみることと、すぐに逃げてしまう自分に寂しさを抱くこと、いつからかこの二つがセットになってしまった。

 そもそも、小さい頃は「できない」から逃げるなんて考えたこともなかった。
 小学五年生から始めたサッカー。周りより始めるのが遅く、運動神経も良くない僕は、みんなが当たり前にできることが全然できなかった。弱いチームだったにもかかわらず、試合にも出られなかった。
 それでも、やめたいと思うことは一度もなかった。
 理由は簡単で、できないまま終わることが悔しくて仕方なかったからだ。だから時間を忘れて練習したし、そうして少しずつできるようになっていく過程も楽しかった。

 でも、今の僕は、時間を忘れるほど何かに夢中になれないし、「できない」を楽しいとも思えない。
 できない自分を動かしていた悔しいという感情に疲れてしまったからだ。大人になっていくうちに、できない自分を突きつけられることが多くなっていくうちに、悔しいという感情と自分への失望が同義になった。
 悔しさは、限界の先にあるものだと思う。
「全力を出したのに負けてしまって悔しい」
「何回挑戦してもできなくて悔しい」
 悔しいと感じられるのは本気で何かに挑んだ人間だけで、悔しさはなによりも全力を尽くした証拠だ。
 しかし、言い換えると自分の限界を知らせるサインでもあり、全力を出しても届かなかったとも言えてしまう。だから疲れるのだ。自分の限界を突きつけられるのが怖いから。それなら、できない=才能が無いと早めに諦める方が自分に失望しなくて済む。歳を重ね、できない自分を知れば知るほど、そう考えるようになっていった。

 そんな自分を正当化するために、「できない」に挑戦している人たちにうじうじと文句を垂れることも多くなった。そっちの方が楽だからだ。自分の限界を知って失望するくらいなら本気で挑戦しない。「僕はできないのではなくやっていないだけ」
そんなスタンスを取って逃げてしまえば、自分の限界を知ることも知られることもない。

 そして、僕が今一番逃げているのがこのnoteだ。「ネタが面白くて文才があると思われたい」なんて息巻いて始めたのに、一年半でたった四つしか投稿していない。本気で取り組めば取り組むほど自分の才能の無さを痛感するからだ。それに対する悔しさももう湧いてこないため、本気になるほど自分のことが嫌いになる。
 元々本を読むのが苦手で、たまに小説を読んでも「まあ全部嘘の話やしなあ」と読み終えた後にあくびをしながら思ってしまうような僕が、唯一スラスラと読み進められるのがエッセイだった。リアルで人間臭くてその様子にクスッと笑ってしまうような文章が好きで、自分もこんな文章を書きたいと思いnoteを始めたのだが、いざ書いて自分で読んでみると、その薄ら寒さに耐えられなくなってすぐに消してしまう。「自分はこんなもんじゃない」と何度書き直しても結果は同じ。挙句の果てには『エッセイ 書き方』なんて検索する始末だ。そして、そんな風に書いては消して書いては消してを繰り返す内に、「できない」自分と向き合うことが嫌になって投稿することから逃げ続けている。
 誰だってすぐに良い文章が書ける訳がないことは分かっているし、周りが僕の書く文章に何かを思うほど僕に興味が無いことも分かっている。しかし、他人を批判することで自分のプライドを保ってきた僕はできない自分を受け入れられない。ずっと土俵の外から他人に石を投げ続けたせいで、いざ自分が土俵に立ったとき、とんでもない大きさの石が飛んでくるのではないかと勝手に恐れている。それが自意識過剰であることは百も承知だ。しかし、それでも恐れてしまう。これまで石を投げ続けた僕に一番大きな石を投げるのは過去の僕だからだ。評論家気取りで他人を批判してきた言葉が全て今のできない自分に当てはまることが怖くて仕方ない。結局、僕が「ネタが面白くて文才があると思われたい」相手は僕自身なのだろう。他人を批判することで自己肯定感を高めてきた僕は、理想だけが高くなっていて「できない」自分を許せない。そんな安っぽいプライドのせいで、僕はあらゆることから逃げ続けているのだ。

 おそらくこれから先も、僕は昔のように悔しさを原動力に何かに取り組むことはできないだろう。noteを書くときだって、くだらない自意識から生まれたもう一人の自分に怯え、飛んでくることのない石から身を守る方法を考え続けるのだろう。

 だから、これを読んでくれた方にお願いがあります。これから僕の文章を読むとき、どうか温かい目で読んでやってください。たとえそれがとんでもなく薄ら寒い駄文であっても。今の僕は、もう一人の自分から飛んでくる石から身を守ることに精一杯で、死角から投げられる石を避ける余裕はありません。でも、「できない」から逃げないために、「できない」自分を少しでも好きになるために、もう少し自分勝手に書き続けてみたいのでこんな甘っちょろいお願いをしています。
 いつか、くだらない自意識から生まれたもう一人の自分に「ネタが面白くて文才がある」と思わせる日を夢見て。

 以上、決意表明第二でした。


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