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伏竜は奇跡を呼んだか

1999年、小学校高学年の夏休み、当時私が夢中で遊んでいたロクヨンのゲームソフト、実況パワフルプロ野球にはシナリオと呼ばれるモードがあった。シナリオは実際にあったペナントレースの試合の中で実際に発生した重要な場面を切り取り、プレイヤーがそのチームを勝ちに導くようにプレイするといったものである。
夏休み中の努力の甲斐もあり、8月の後半になると12球団中11球団のシナリオっはクリアできていた。(当時はソフトバンクはダイエーで、横浜もDeNA買収前、日ハムも北海道移転前、東北楽天イーグルスは無く近鉄バファローズとオリックスブルーウェーブがまだ存在していた)
しかし何度チャレンジしてもクリアできないシナリオが、中日ドラゴンズの「伏竜は奇跡を呼んだか」だった。当時メジャー移籍前全盛期の佐々木主浩は特殊能力「威圧感」を持ち、相対するバッターのミートカーソルは米粒ほどの大きさに縮小された。そんなパワプロ史上最難関と呼ばれるこのシナリオの導入が以下の文章だ。

1998年8月21日横浜スタジアムでの横浜対中日戦、9回表の攻撃無死1塁。横浜との天王山も4-2。大魔神の前に敗北は確実かと思われた。続く下位打線も、この日ノーヒット。ここで星野監督は、代走起用が中心の大西を大打として送り出すのだった。
「お前、何とかしてこい!!!」

実況パワフルプロ野球6

このシナリオのキモはドラゴンズの控え選手で唯一絶好調の大西をいかにして最大限活用するかというところである。他の選手が絶望的なコンディションの中、闘将星野仙一は絶好調男大西にすべてを託したのだった。

以下の文章はそれから10年以上の時が経過した後の話となる。


1. ファーストキャリアとしての総合商社

自分語り

2010年代前半に私はとある総合商社に入社した。旧帝一工の文系学部を卒業し、どちらかといえば運動部で活動していたバイタリティや経験を評価してもらったことで内定を頂けたと思っている。(とはいえ実績はほとんど残せなかったのだが)
総合商社の志望理由は世界の舞台でビジネスをしてみたいといういかにも学生らしいフワッとしたものだったと思う。同じ理由で海運・航空・プラントエンジニアリングなどを受けていたが、最も早く内々定の連絡を貰えた、志望度の高い総合商社に入社することを決めた。連絡を貰ってほどなく、選考中の他の会社に断りの連絡を入れた。

当時は各商社は中国のGDP2ケタ成長の勢いに乗って空前の資源バブルの恩恵を享受しており、東洋経済のような週刊誌でも頻繁に商社の資源投資についての特集が組まれた。わかりやすい私はその事業領域に関心を持ち、配属面談でも上流ビジネスの部門を志望した。
希望叶って配属された部署は海外プロジェクト投資を行う部署だった。希望が叶ったのはいいものの、私にはその業務を行う知識が全くないことに入社初日に気づかされた。先に文系学部を卒業と述べたが、私は文学部で歴史を専攻しており、残念ながら経済や財務に対する感覚に非常に疎いと言わざるを得なかった。会社からの要請で簿記3級程度は取得してはいたが、その会計知識をどの様に扱うかといったような、実務に耐えうるレベルには到底達していなかった。
財務会計もわからない、契約書は読んだことない、英語もイマイチという一ミリも業務に役に立たない状態を一日も早く脱出するため、なんとか役に立てる状態になろうともがく日々が始まった。まず最初に目を付けたのが財務会計だった。業務で扱う財務モデルの、シート間で縦横無尽に飛びかう参照セルを何とか読み解き、実際の数字の動きを理解することで会計のロジックを帰納的に理解した。数字の動きの背景を理解するためには契約書を理解する必要があるので、関連する契約書にも目を通すよう心掛けたが、プロジェクトファイナンスの契約書には専門用語が多く、単語を調べるところから始まった。2年目に入るとなんとか数字周りの管理を任せてもらえるようになった。英会話は相変わらずド下手糞だったので週2でベル〇ッツに通った記憶がある。ちょっとはましになったと思う。

なんとなくプロジェクト実務がわかりかけてきたような気がするタイミングで異動の内示が出た。場所は地方支社だった。同世代の何人かが国内の支社にアサインされ、その内の何人かは海外以外への異動に強い拒否反応を示していたが、個人的にはこの異動を前向きに捉えていた。これまで数千億円規模の案件に一担当者として携わってきたが、その規模の大きさゆえに社外との接点は極めて限定的で、もう少し規模間の小さな案件で手触り感を得たいという思いが現れていたタイミングだった。結果的にこの地方支社への異動が今後の選択にいい意味で大きな影響を与えることになった。

配属された地方支社では地場の企業との合弁会社を立ち上げる案件で、自身が担当者として合弁パートナーの社長とやり取りをしながら、工場の立ち上げや販売方針についてパートナー企業と合意形成をしていくことになった。先ず感じたのが商社のような企業組織と地場のオーナー企業では意思決定のプロセスに大きな差があるということだった。大きな企業組織では合意形成は関連する部署との擦り合わせのもと細かく階層設定された権限によって最終化されるのに対し、オーナー企業では多少の相似はあれど究極的にはオーナーが是と言えば是、非と言えば非だった。従い、各担当者とコミュニケーションは取るものの、肝の部分は社長と直接合意を取ることが求められた。私はこの企業文化の違いに戸惑いつつも、意思決定の大部分を担うオーナー経営者の意思決定力と、その裏にある意思決定を誤れば会社の業績を大きく左右し得るという責任を一人で背負うその姿に深く衝撃を受けた。

その会社で働く社員の方々からも多くのことを学んだ。何よりも地元に生まれ育ち、地元に誇りを持ち、自分の仕事に誇りとプライドを持っていた。業界の専門知識を持たない私にも、彼らが知っていることを快く教えて頂いた。何よりも地元の良さをもっと外の人に知ってもらいたいという想いが、私のような東京から来た人間に対しても温かく接して頂けた原動力となっているのだろうと言葉の節々から感じた。同時に、この様な良い会社を作ってきた社長の人柄と能力には大企業で働いているとなかなか出会えないのだろうと感じた。

貴重な数年間をすごした後、再び東京のトレーディング部署に配属された。トレーディングでは契約のポジションをガッツリ取るような、まさに自己名義のトレーディングに携わり、貿易実務から為替・商品先物取引、更にはトレードファイナンス組成と商社の祖業に関わる物流取引の一通りを経験することができた。何よりもグローバル規模の需給感でトレード戦略を考え、その戦略を海外支店を巻き込んで実行していくスケール感は、商社以外ではなかなか経験できないものだったと感じる。上長から裁量を貰った上で海外出張し、海外取引先と長期契約交渉の場で担当者と議論しながら長期契約を握る経験は、時に背中に汗を書きながらも自身の経験の幅を広げてくれた。途中1年間海外研修に行く機会にも恵まれ、現地スタッフと協力しながら新しい海外ビジネスを作り上げる大変さと面白さを味わうことができた。

何故総合商社はファーストキャリアにオススメなのか

ここまで長々と自分語りをしてきたが、あくまで自分の経験(N=1)からのコメントではあるが、自分のようにビジネス関連のアカデミックバックグラウンドが無かったり、強い希望業界が無い場合、ファーストキャリアとして総合商社を選ぶのは非常にオススメだと思う。商社パーソンの所属部署やキャリアパスは千差万別なので、私個人がオススメできる理由をできるだけ一般化した上で以下3点に整理した。

  1. 物事の手綱を握る力
    商社の仕事では取引先やバックオフィス、海外支店、隣りにいる事務担当のアシスタントなど、多方面の関係者と意思疎通を図りながら進めることになるが、物事を進めるには主担当者である自分自身がタクトを振るう必要がある。
    この取引先の担当者には社内で話を通して貰うためにこの資料を作って渡そう、このバックオフィスはこの内容を確認するには少なくとも3営業日かかるのでこのタイミングで話を持っていこう、海外支店の担当者(現地スタッフ)にこの仕事を依頼したいけどJob Discription範囲内の業務か確認したいから先にGMに話を通しておこう、アシスタントの方にはこの作業を依頼したいけど背景まで説明したほうが作業しやすいので一度説明の時間を取っておいたほうがいいな……
    などなど、例を上げればきりがないが、商社では部下と上司という指示系統の縦の関係だけでなく、横の関係をうまく使って関係者が以下に動きやすいようにコミュニケーションを取るか、という点が求められる場面が多い。出向先であれば登場人物はさらに増え、関係構築もより複雑化する。この延長線上で社内外関係者を巻き込みまくって社内で数千億円規模の大きな案件を通した人はその力を評価されて偉くなっているケースが多い。相手との関係を考えたとき、自分は彼らの上司ではないどころか寧ろ年下であるため、相手を動かすためには何故そのアクションが必要なのかをわかり易く伝え納得してもらう必要がある。受け身では消して進まないこの仕事の仕方をキャリアの最初期に叩き込まれたのは良い経験だった。

  2. ジェネラリストとしてのスキルアップ
    総合商社では投資部隊あれば会計士・監査法人・弁護士・その他業界毎の専門コンサルタント、物流部隊であれば、乙仲・フォワーダー・先物ブローカーなど、専門性を生業とする人々と日々関わりながら業務を進めることになる。当然ながら専門性において彼らに叶う分けはないのだが、ジェネラリストたる商社の営業職は彼らと同じ土俵に立って彼らと同じ言語を使い、彼らの知見を120%引き出す為に、急ピッチで彼らの『言語』をキャッチアップする必要がある。
    私はジェネラリストの本質的価値を「事業において必要な知識をを専門家から効率よく引き出して適切に事業に活用することで組織にレバレッジをかけることができる人材」だと考えている。世間的にはジェネラリストと言うと専門性がなくキャリアに行き詰りやすいというネガティブな側面で語られやすいような気がするが、ここではポジティブな意味で総合商社ではジェネラリストとしての能力を伸ばすのに適切な環境があると思っている。

  3. 収益に対する嗅覚
    自分たちでポジションを持つ、いわゆる自己名義による物流商売では、判断を誤ると損をする可能性もある。その緊張感の中で客やトレーダーと話しながら相場観をつかんで仮説を作り、その仮説に従ってポジションを取りに行くという経験が自身の相場観やオーナーシップを養うことに繋がったと思う。事業投資に収益性や規模の観点で劣る物流商売は、総合商社全体で見ても縮小傾向か、若しくは子会社に外だしされる傾向にある。若手はこれまで以上に投資業務への配属が進み、売上を生み出す物流業務に関与する人数の割合は年々減っている。そんな環境の中だからこそあえて言うが、物流における1円を稼ぐ経験は投資部署に限らず、プロフェッショナルファームや投資銀行では経験できない嗅覚のようなものを養ってくれた。そして今現在この経験ができる国内企業はほぼ商社だけではないかと思う。

2. Why MBA, Why Europe, Why IE

Why MBA

上記に述べた通り、総合商社では他の会社では得難い業務経験ができたと思っている。得難い業務経験を得たことで自分に芽生えた思いはこの得難い業務経験の点をどの様に線にしていくか、ということだった。ぺーぺーながらも投資に携わり、優れた社長の下で中小企業経営に触れ、物流部署ではアイデアをもって売り上げと収益を生み出す経験を得た…… これらを踏まえて一つのアイデアとして挙がったのは経営ポジションを自分で経験したいということだった。しかしながら資源系のビジネスではなかなかそのようなポジションがなく、どのようにこの目標を達成するか頭を悩ませた。

そんな中で出会ったのがトラディショナル型サーチファンドというキャリアの選択肢だった。経営経験の無い(又は浅い)経営者候補に投資家が出資し、経営者候補は自分で経営者となる会社を探し、買収し、経営するという聞いたことのないスキームだった。日本ではIESEの卒業生の方が初めて立ち上げされたという。その方が説明会に登壇されると聞き、すぐに参加登録し話を聞いた。

面白い。すぐに私はパッと聞いた感じちょっと怪しいそのサーチファンドというスキームの悪魔的魅力に取りつかれた。

但し、こんな大胆な起業方法が自分に出来るかわからない。そもそも投資家がついてくれるのすら予想できない。でも本当に自分にもできるか試してみる価値はあるかもしれない。もし全く現実的でなかったら商社マンとしてMBAの経験を糧にしていこう。そんな心境でMBA受験を決めた。

Why Europe

トラディショナル型サーチファンドを目指すにあたり、国内外から投資を募る必要があることを事前に調べて認識していた。サーチファンドの発祥は米国で、サーチファンドの組成件数が多いのは米国だが、経済規模や投資環境が整っていることもあり、アメリカの多くの投資家は北米だけを投資ターゲットにしていた。一方、北米で成功したサーチファンドモデルは第2波としてラテンの国々を中心にエコシステムが拡大し、欧州全域に拡大していった背景もあり、欧州の投資家はより広域を投資対象として見ているような投資家も多いのではと思われた。

その中でもスペインはいち早くサーチファンドのエコシステムが普及した国であり、アカデミックの分野でもIESEで2年に一度Internationalを対象としたサーチファンドカンファレンスが開かれ、世界各国から投資家やサーチャーが集うなど中心的な役割を担っていた。そのような背景もあり、サーチファンドキャリア目指すにあたり、スペインでのネットワーキングが最も効率がいいように思われた。

というわけでWhy EuropeというよりはWhy Spainという形で地域は絞られた。

Why IE

スペインのMBA、となるとIESEかESADEかIEか、となるわけだが、最も重視したのはタイムラインだった。目標が定まった以上、無為に受験に時間を割くことはあまり意味のないものに思えた。サーチファンドにおけるサーチャーの最大の果実はそのキャリーにある。キャリーの獲得が一年遅れることによる現在価値への影響はそれなりに大きいだろう。その観点から2年制よりも1年制に分があるように感じた。

スペインの相場をものすごくざっくり言うと家賃に1,000ユーロ、その他経費に1,000ユーロで少なくとも月に2,000ユーロのコストがかかる。2年制の場合追加で約10ヵ月長く滞在することを考えると20,000ユーロ、ざっくり追加で300百万円はかかる。また30歳を越えた自分にとっては1年のキャリアの空白による機会損失は大きいとも感じていた。また、受験を決意したのが10月、IELTSの要件をそろえた12月時点では私のGMAT scoreは非常に頼りないものであり、GMATを要件とするIESEやESADEには更にもう1年を要するように思えた。

サーチファンドにおけるアカデミックな権威としてはIESEが頭一つ抜けているのは紛れもない事実であるが、環境面での差は行動量でカバーすることにした。寧ろ鶏口になってやろうという思いもあったと思う。
これら積極的且つ消極的な理由を複合し、IEのみを受験することとした。
出願が2022年3月、合格を貰ったのが4月というスピード決着だった。

3. Core competency

MBA受験の準備で自己分析をする過程で、自分のCore competency、つまり自分が人生を通じて社会で戦うための核となる能力は何かについて考えることにした。

MBAに行くような人はそれなりに学歴もあればキャリアもある。そんな中でハードスキルではなく、漠然としがちなソフトスキルの面で競争力のある面を仮説として言語化しておくことで、それを強みとして発揮できるよう行動していこうという算段である。

振返れば部活動や仕事においては、割とヘビーな要求をされることが多かったような気がするし、それを自分から拾いに行っていたのかもしれないが、とにかく自分の専門とするところではないことに半強制的にdive inし、周囲の力を借りながらのクソ根性コミットメントでやりきるという事案が多かった。それでも繰り返すうちに、たいていのことは気合でキャッチアップしてなんとかしてやろういうメンタリティを持てるまでには成長したし、そういう泥臭い戦い方はそんなに嫌いではなかった。

これらすべてをひっくるめて自分のCore competencyは「何とかする」という言葉に帰着するのではと考えた。

そこまで自己分析したところでふと20数年前に遊んだゲームのある選手が想起された。

そう、代打大西だ。

4. 伏竜は奇跡を呼んだか

話を冒頭に戻そう。その試合、史実では大西は佐々木から同点2ランホームランを放つ。

これが当時全盛期を迎えていた佐々木のシーズン唯一の被弾である。因みに大西にとってもその年に打ったホームランはこの1本だけである。そういう意味ではこの守護神を粉砕した一発は「奇跡的」と呼べるかもしれない。

問題はなぜ奇跡が起こったのかというところではないだろうか。なぜ星野監督は2割台前半そこそこの選手をこの場面で代打にだしたのだろうか。

奇跡を起こしたのは彼が監督に抱かせた「あいつなら何かやってくれるかもしれない」という期待感と、その期待感を抱かせた大西選手のひたむきなプレイスタイルにあると思う。奇跡は打席に立たなければ起こらない。彼はまさに「なんとかする」姿勢で代打の座を勝ち取り、奇跡を起こしたのだ。

彼の事例から自分自身を顧みたとき、「なんとかする」ことの価値は、自分にレバレッジをかけることで、次の(時に思いがけない)チャンスに繋がるという点にあるのだろう。

今後人生迷いが生じたときはパワプロ6の大西選手を思い出すことで、「なんとかする」べく頑張る自分を思い出そうと思う。



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