【教養としての故事成語】「蝸牛角上の争い」~人間社会のつまらぬ諍い
蝸牛角上の争い(かぎゅうかくじょうのあらそい)
【出典】
『荘子(そうじ)』「則陽(そくよう)」
【意味】
【故事】
戦国時代、魏と斉は、同盟を結んでいました。
ところが、斉がこれを破ったので、怒った魏の王様は、斉の王様を暗殺しようとしました。
すると、軍を起こして戦争すべきという者が現れ、また戦争に反対する者も出てきて、王様は決心しかねていました。
そこへ、戴晋人(たいしんじん)という人物が登場して、王様に語りかけました。
「王様は、カタツムリというものをご存じでしょうか」
「知っておるとも」
――カタツムリの左の角には触氏の国、右の角には蛮氏の国がありました。ある時、領地を争って戦い、数万の死者が出ました。
「なんだ、でたらめの話か」
「いえ、お話はこれからでございます。果てしない宇宙に心を遊ばせ、そこから地上の国々を見たならば、それこそ有るか無いかのちっぽけなものではありますまいか」
「そのとおりじゃ」
「その国々の中に魏があり、またその中に都があり、さらにその中に王様がおられます。とすれば、王様と蛮氏の間に、どれほどの違いがございましょうか」
「うむ、違いはないな」
王様は、戴晋人の話にすっかり感心して、斉との争いをやめました。
【解説】
人間の目から見れば、カタツムリの角の上にある国など、ちっぽけな存在である。それと同じように、果てしない宇宙から、この地上の世界を眺めたなら、人間社会のことなど、取るに足りない小さなものである。ましてや、領土をめぐる争いなど、なんとつまらぬことであるか。
この故事は、人間同士の争いが、いかに虚しく、無意味であるかを語っている。ここから、本人同士は大ごとに思っていても、実はとてもつまらない諍いをしていることを「蝸牛角上の争い」というようになった。
唐・白楽天の「對酒」と題する詩に、「蝸牛角上 何事をか争う、石火光中 此の身を寄す」(カタツムリの角の上のような狭い世界で、いったい何を争っているのか。火打ち石がチカッと光る一瞬の時間、そんなわずかな時間、人はこの世に身を寄せているのに)という句がある。人の世は狭い。人の命は短い。そんな中で争い合って、何の意味があるのか。カリカリ、イライラせずに、愉快に笑いながら人生を送ろうではないか、と歌った詩である。
*「對酒」は、別記事で投稿済です。
【用例】
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