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【北京随想】曲がると転ぶタクシーの話

タクシーの話の第2弾。

30年前、北京に赴任した際、
娘の日本人学校への送迎は、L師傅のお世話になった。↓↓↓

ふだん市内に買い物や外食に出る時は、流しのタクシーを利用した。
北京は広い。公共交通機関では行きにくい場合も多い。
小さな子供連れだと、すし詰めのバスは敬遠したくなる。
当時、地下鉄は、まだ市内全域には整備されていなかった。
それで、ついついタクシーに乗ってしまった。

タクシーは、中国語ではもともと「出租車」だが、「的士」ともいう。
香港の広東語では、英語 taxi の音訳で「的士」といい、これが本土でも普通に使われるようになった。

当時、北京では「面的」と呼ばれるミニタクシーがたくさん走っていた。
「面包」(パン)のような「的士」という意味で、ホールの食パンのような形をしたワンボックスの小型タクシーだ。

面的

一昔前は、タクシー(と言うよりハイヤー)は、みな黒塗りの高級セダン。
乗っているのは、金や権力を持っている人間だけ。庶民には縁がなかった。

80年代末から90年代初めにかけて、
「低品質、低料金のタクシーで、人民の需要に応える」
という政府のスローガンの下、面的が大量生産された。

乗り心地は悪いが、格安の料金。誰でも気軽に利用できる。
庶民の足として大いに歓迎された。
色は、決まって黄色。北京市全体が、菜の花畑のように黄色く染まった。

北京に赴任した当初、古株の外国人学者から、
「面的は危ないよ、乗らない方がいいよ」
と言われた。

なにが危ないのか。
一番の問題は、車の形態だ。バランスが悪い。
四角い食パンの形で、車幅が狭いわりに、車高は高い。
本来スピードを出せる性能はないのに、運転手はやたらと飛ばす。

運転手の多くが「個体戸」(個人営業者)だ。
走れば走るだけ儲かるので、過労でも寝不足でも、無理して走る。

「カーブを曲がるとコテンと転ぶんだよ、危ないよ」
と言われた。

北京滞在中、道に横たわっている面的を何度か目撃した。
やはり、あの車体で急ハンドルは危ない。

初めのうちは、ご忠告に従って、面的は敬遠していた。
しかし、安くて、便利だ。
北京の生活に慣れるうちに、面的にも慣れた。

一世を風靡した面的であったが、安全性と排気ガスの問題が表面化した。
やがて、強制廃車、製造禁止となり、90年代末には淘汰された。

わずか10年ほどの短い寿命ではあったが、北京の街を跋扈した面的の姿に、わたしは中国人のたくましさを見たような気がする。

中国が「世界の工場」と呼ばれ、急成長していた時代。
人々は、自分も豊かになれるかもしれない、と希望を抱いて必死で働いた。

面的が、そうした庶民の生活向上の一翼を担ったのは確かだ。
自転車とバスだけで移動していた人々が、今やマイカーに乗っている。
この成長過程の中間点に存在していたのが面的だ。

中国では、今年の春、すでに遠隔操作の完全自動運転タクシーが営業を開始した。

中国では、乗客は助手席に座るのが習わしだ。
面的の運転手は、ほとんどが地元北京の出身だった。

捲き舌音の強い北京弁で話しかけてくるので、聞き取るのに苦労した。
相手がわかろうがわからまいが、お構いなしに大声で話しかけてきた。

そんな会話を楽しむ機会もこれからはなくなる。
面的の記憶が、ますます遠い過去のものとなっていく。


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