【心に響く漢詩】杜甫「貧交行」~古今得難い良き友、真の理解者
貧交行 貧交行(ひんこうこう)
唐・杜甫(とほ)
翻手作雲覆手雨
紛紛輕薄何須數
君不見管鮑貧時交
此道今人棄如土
手(て)を翻(ひるがえ)せば雲(くも)と作(な)り 手を覆(くつがえ)せば雨(あめ)
紛紛(ふんぷん)たる軽薄(けいはく) 何(なん)ぞ数(かぞ)うるを須(もち)いん
君(きみ)見(み)ずや 管鮑(かんぽう) 貧時(ひんじ)の交(まじ)わりを
此(こ)の道(みち) 今人(こんじん) 棄(す)つること土(つち)の如(ごと)し
杜甫の経歴については、以下の記事をご参照ください。
「貧交行」は、杜甫四十一歳の頃の作です。
当時、杜甫は、科挙に落第し、都長安で貧窮の生活を送りながら、友人や知人を頼って、仕官の手づるを探し求めていました。
――手の平を上に向ければ雲となり、手の平らを下に向ければたちまち雨。世の中には軽薄な人たちが沢山。それをいちいち数え上げて何になろう。
四字熟語の「翻雲覆雨(ほんうんふくう)」は、この詩に由来します。
手の平を返すように、あっという間に変化してしまう浮薄な人情のさまをいいます。
――見たまえ、かの管仲(かんちゆう)と鮑叔(ほうしゅく)がまだ貧しかった時の友情を。彼らのような友情を、今の人たちは、まるで土くれのように捨て去ってしまっている。
管仲と鮑叔については、『史記』や『十八史略』などに、次のような逸話が記されています。
この逸話に由来する故事成語「管鮑の交わり」は、生涯変わらぬ人と人の深い絆、互いのことを本当に理解し合える真の友情をいいます。
杜甫は、仕官を志し、必死で自分を売り込んで、有力者への推挙を求めましたが、四十を過ぎた無位無冠の貧乏男に手を差し伸べようとする者は誰もいませんでした。
知り合いたちから冷遇を受けた杜甫は、「管鮑の交わり」など顧みようとしない薄っぺらな世態人情を歎きます。
杜甫と同時代の詩人高適(こうせき)も「邯鄲少年行」と題する詩の中で、同じような内容のことを歌っています。
金を使い果たしてしまうと、元通りのよそよそしい態度に戻ってしまう。まさに、「金の切れ目が縁の切れ目」そのままです。
私たちの周囲を見渡すと、利害損得で取捨する交友、肩書きに左右される人間関係、誠意のない口先だけの社交辞令・・・
千年以上前の詩人の歎いたセリフが、現代日本の社会にも違和感なく当てはまってしまうところに、時空を超えて、人の世の常を見る思いがします。
しかし、裏を返せば、身分や利害損得を度外視して付き合える良き友、真の理解者を生涯に一人でも持つことができれば、それがいかに有り難いことかを再認識させられます。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?