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【心に響く漢詩】鮑照「擬行路難」~人の心は木石に非ず

   擬行路難   行路難(こうろなん)に擬(ぎ)す
                    南朝・宋鮑照(ほうしょう)
  瀉水置平地   
  各自東西南北流 
  人生亦有命   
  安能行嘆復坐愁 
  酌酒以自寛
  擧杯斷絶歌路難
  心非木石豈無感
  呑聲躑躅不敢言

水(みず)を瀉(そそ)ぎて平地(へいち)に置(お)かば
各自(かくじ)東西南北(とうざいなんぼく)に流(なが)る
人生(じんせい)も亦(ま)た命(めい)有(あ)りて
安(いづく)んぞ能(よ)く行(ゆ)きては歎(たん)じ復(ま)た 坐(ざ)しては愁(うれ)えんや
酒(さけ)を酌(く)みて以(もっ)て自(みづか)ら寬(くつろ)ぎ
杯(さかずき)を挙(あ)げ断絶(だんぜつ)して路難(ろなん)を歌(うた)わん
心(こころ) 木石(ぼくせき)に非(あら)ざれば 豈(あ)に感(かん)無(な)からんや
声(こえ)を呑(の)んで躑躅(てきちょく)し敢(あ)えて言(い)わず

南北朝時代の南朝、宋・斉・梁・陳の四王朝では、貴族文化が栄え、優れた詩人を輩出しました。

なかでもその代表格は、東晋の陶淵明(とうえんめい)と並び称される南朝宋の謝霊運(しゃれいうん)です。

その謝霊運と同時代の傑出した詩人として、鮑照(ほうしょう)が挙げられます。

鮑照(414~466)は、字は明遠、東海郡(山東省)の出身です。
大貴族の謝霊運とは対照的に、寒門の出身で、そのため、門閥貴族の社会であった当時においては、官位昇進が厳しく制約されました。

王侯貴族の属官や地方官吏としての経歴を重ね、下級役人として生涯を終えました。

宋の臨海王の参軍となったことがあるので、後世しばしば「鮑参軍」と称されます。

詩人としては、謝霊運・顔延之(がんえんし)と並んで「元嘉の三大家」の一人に数えられています。(元嘉は、宋の年号です。)

楽府体の詩が多く、時世に対する憤懣や自己の不遇に対する苦悶を強い口調で吐露した質朴剛健な詩風で知られ、華麗で繊細な南朝の詩壇にあっては、異色の存在でした。

鮑照

代表作「擬行路難」(行路難に擬す)は、自分の才能とは無関係に、生まれた時代や家柄によって人生が決定づけられてしまう不条理を嘆いた詩です。

「行路難」は、漢代の楽府題です。人生行路の辛苦を歌ったものです。
 鮑照は、これになぞらえて「擬行路難」を作り、自らの官途の不遇や人生の苦悩や憂愁を歌っています。

「擬行路難」は、18首あります。ここでは、其四を読みます。

水(みず)を瀉(そそ)ぎて平地(へいち)に置(お)かば
各自(かくじ)東西南北(とうざいなんぼく)に流(なが)る

人生(じんせい)も亦(ま)た命(めい)有(あ)りて
安(いづく)んぞ能(よ)く行(ゆ)きては歎(たん)じ復(ま)た 坐(ざ)しては愁(うれ)えんや

――平たい地面に水を注げば、
水はそれぞれ四方八方に流れてゆく。
人の一生にもまた人それぞれに運命があるのだ。
歩いては嘆き坐しては愁うようなことをしていられようか。

人の運命は生まれながら決まっている。なんとも理不尽ではあるけれども、だからと言って、いつもくよくよ悲しんだり悩んだりしてもしかたがない、という憤りと諦めの心情を吐露しています。

酒(さけ)を酌(く)みて以(もっ)て自(みづか)ら寬(くつろ)ぎ
杯(さかずき)を挙(あ)げ断絶(だんぜつ)して路難(ろなん)を歌(うた)わん

心(こころ) 木石(ぼくせき)に非(あら)ざれば 豈(あ)に感(かん)無(な)からんや
声(こえ)を呑(の)んで躑躅(てきちょく)し敢(あ)えて言(い)わず

――いっそ酒を酌んで、少しはくつろいだ気分になろう。
杯を高く挙げ、愁いを断ち切り、「行路難」を歌う。
人の心は木や石ではないのだから、感情が無いわけがない。
声を呑み込み、躊躇しながら、あえて口には出さずにいるのだ。

憂さ晴らしの酒を飲んで歌うと、つい感情がこみ上げてきてしまう。それでも、出かかった言葉をぐっと堪えて言わずにいる、という憤懣やるかたない胸の内を歌ったものです。

鮑照の詩は、貴族文化全盛の当時にあっては、俗っぽく典雅を欠くとして、受けがよくありませんでした。

鮑照は、唐代に至ってようやく高い評価を受けるようになります。

杜甫は、「春日憶李白」(「春日李白を憶う」)と題する詩の中で、李白の詩才を讃えて、

清新庾開府 清新(せいしん)なるは 庾開府(ゆかいふ)
俊逸鮑参軍 俊逸(しゅんいつ)なるは 鮑参軍(ほうさんぐん)

というように、その俊逸な学識と才能を鮑照になぞらえています。



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