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講談「錯斬崔寧」~中国の冤罪物語

宋代の都会には演芸場が設けられ、そこで一般庶民向けの講談が行われていました。歴史語りから、恋愛・怪談・武侠・裁判・仏法まで、テーマは様々でした。

その中でよく知られたものに「錯斬崔寧さくざんさいねい」という冤罪物語があります。

この物語のダイジェストを講談口調で和訳してみます。

さて、皆様、今からお聞かせいたしますのは、南宋の都臨安で起きた世にも珍しい事件でございます。

都に劉貴りゅうきという男がおりました。この劉貴、商いを生業としておりましたが、これがまた商才というものがまるでなく、毎日貧乏暮らしに悩まされておったのでございます。

妻の王氏は、これまたできたお方でございますが、二人の間に子宝が授からぬときたもんで、劉貴は「こりゃいかん!」とばかりに、もう一人若い女を妾に迎え入れることにいたします。この妾の名前を二姐アルジエと申します。

さて、ある日のこと。義父殿、すなわち王氏の父上が誕生日を迎えるということで、これを祝わぬわけにはまいりません。劉貴と王氏は郊外にある義父殿の家を訪れることとなったのでございます。その留守中、二姐には家を守るようにと申しつけ、二人は家を後にいたしました。

この義父殿、劉貴と王氏の貧乏暮らしを案じ、なんと十五貫もの大金を差し出しまして、「この金をもって新たに商いを始め、少しでも暮らしを楽にしなさい」とおっしゃるではありませんか! これには劉貴、「ありがたや、ありがたや」と感謝の念に堪えず、金を背負って家路へと急ぎます。王氏はそのまま義父の家に数日滞在することになりました。

さて、帰り道のことでございます。劉貴は商売仲間の家に立ち寄りました。酒を振る舞われ、すっかりほろ酔い気分となった劉貴。顔は赤く、気分も上々、軽やかな足取りで家路をたどったのでございます。

家に着き、門を叩くと、留守を守っていた二姐は、うたた寝の真っ最中。
しばらくしてようやく気付き、戸を開けましたが、このちょっとした遅れが、酒の勢いも手伝ってか、劉貴の機嫌を損ねたのでございます。

「こいつ、寝てたな?」と、妙な気が起こり、「よし、一つ冗談で驚かしてやろう」と思いついたのが運の尽き。口をついて出た言葉が、「今しがた、おれはおまえを売り払ってきた!この金は、おまえを売った金だ!」ときたもんです。

さあ、冗談も度が過ぎれば災いとなるのは、この世の常でございますが、
二姐がこれを真に受けてしまいました。驚きのあまり、二姐は青ざめ、目もぐるぐる、心臓はバクバク。「なんと、わたしは売られてしまったのか!」と思い込み、その夜、劉貴が酔い潰れて寝入っている間に、こっそり家を抜け出してしまいます。

「まずは実家に帰って、両親に相談しなくては!」と、門を出た二姐。取り急ぎ隣家の朱三しゅさんの家に駆け込みます。「どうか一晩、泊めてください!」と頼み込み、事情を話したところ、朱三は快く二姐を泊めてやることとなりました。そして翌朝、二姐は慌ただしく朱三に礼を述べると、実家に向かって足早に旅立って行ったのでございます。

さて、二姐が家を出て行ったその晩、暗がりに忍び込んできたのは、一人の盗賊。なんとも不吉な訪問者でございます。

その盗賊、目を光らせて家の中を物色いたしますと、目に飛び込んできたのは、あの十五貫の大金。見逃す手はない!とばかりに、盗賊は金をかっさらおうと手を伸ばしたその瞬間、「何者だ!」と声が響き渡りました。そう、寝ていた劉貴がふとした物音で目を覚ましたのでございます。

劉貴はとっさに盗賊に飛びかかったのですが、寝起きで体が重く、何よりも酒が残っておりました。思うように体が動かず、盗賊と格闘を始めましたが、力負けしてしまったのでございます。盗賊は傍にあった斧を手に取るや否や、「えいや!」と振り下ろし、あろうことか、劉貴はその一撃で無残にも命を落としてしまったのでございます。

十五貫の大金を奪った盗賊は、すぐさま夜の闇に紛れて逃げ去り、家の中には血まみれとなった劉貴の無惨な姿が残されただけ。なんとも痛ましい光景でございます。

翌朝、近所の者たちがいつもと違う静けさを感じて、劉貴の家を訪れると、そこには、血だらけで倒れている劉貴の死体が!「これは一大事!」と、大騒ぎとなりますが、妻の王氏はまだ実家に滞在しており、妾の二姐も行方がわからない。何がどうなっているのか、誰も状況をつかめず、ただただ混乱するばかりでございました。

そこへ登場したのが隣の朱三。昨晩、二姐が突然自分の家に駆け込んで来て、一晩泊まっていったことをみなに話します。「何かあるに違いない」と集まった者たちはその話を聞いて事態の重大さを察し、すぐに王氏の実家へ訃報を伝える使いを出します。朱三は、近所の男を引き連れて、急ぎ二姐の後を追うことにいたしました。

さて、こちらは二姐。実家に向かって道を急いでいるうち、足が痛くなり、道端にへたり込んでしまいました。途方に暮れていたところへ、一人の若者が通りかかります。この若者、名を崔寧さいねいと言い、生糸を売り歩く商人でございます。

崔寧は座り込んでいる二姐を見て声をかけます。「どうされました?お困りの様子ですが、どこへ向かわれるのですか?」二姐は事細かに打ち明けるわけにもいかず、ただ「実家に向かう途中です」と答えました。すると崔寧、偶然にも同じ方向へ向かっており、「それならご一緒しましょう」と提案し、二人はしばらくの間、道を共にすることになりました。

世間話を交わしながら、先を急ぐ二人。そこへ、後方から迫る人影、それは朱三と近所の男でございました。「おーい、二姐!」と、朱三が声をかけ、息を切らしながら追いついたのでございます。

「ここにいたのか!とんでもないことが起こったんだ、すぐに家に戻れ!」と、朱三は家でかくかくしかじかの事が起きたと告げます。何も知らぬまま家を飛び出した二姐、そんなことが起こっているとは夢にも思わず、驚きを隠せません。

ここで問題となったのが二姐と一緒にいた崔寧でございます。知らない若者と一緒にいる二姐を見た朱三たちは、不審の念を抱きました。「この男は何者だ? ただの旅人とは思えんが」と疑念を深め、二人に詰め寄ります。

崔寧は、「何も知らず、ただ偶然道連れとなっただけだ」と説明しようとしますが、状況が状況、言い訳も通じません。「ともかく、すぐに家に戻れ。おまえも一緒に来い!」と、崔寧まで巻き込まれ、二姐と共に強引に連れ戻される羽目となったのでございます。

さて、朱三たちが二姐を連れて戻ると、そこは大変な騒ぎでございました。家の前には人だかりができ、口々に噂が飛び交っております。そこへ実家から戻ったばかりの王氏が駆けつけました。目の前に広がる光景、それは、夫
が血まみれで無惨にも倒れている姿。王氏はその場で泣き崩れ、叫び声は辺り一帯に響き渡りました。

泣きじゃくる王氏の姿を見て、二姐は何とか事情を説明しようとしました。「実は、劉貴さまが私を売り払ったと仰ったのです。それで怖くなり、家を飛び出してしまいました」と語るも、誰一人として信じる者はおりません。むしろ、その説明を聞いた王氏の疑念はますます深まり、怒りに満ちた表情で二姐に詰め寄ります。

「おまえ、わたしが留守の間に男と密通し、共謀して金を盗んだのか!」と、声を荒げて責め立てる王氏。二姐は泣きながら否定しますが、その隣に立っていた崔寧にも、すでに疑いの目が向けられておりました。

「いや、いや、わたしは関係ありません! 道中で二姐さんと出会って道連れになっただけです!」と崔寧は弁明しますが、誰も耳を貸さず、やがて誰かが叫びました。「おまえたちが共謀して劉貴を殺したんだ!」

周囲の者たちは、崔寧の荷物を調べ始めました。すると、驚くべきことに、崔寧の持っていた袋の中から、なんと、十五貫の金が出てきたではありませんか。「これは絹を売って儲けた正当な金です!」と必死に弁解する崔寧。しかし、その声は無情にもかき消され、「偶然にしては出来過ぎだ!おまえたちが犯人だ!」と、周囲の者たちは騒ぎ立て、二姐と崔寧はあっという間に逃れられぬ疑いの渦に巻き込まれていくのでございます。

さて、無実の二姐と崔寧は、その場で縛り上げられ、引き立てられて役所へ突き出されました。役人たちはすでに彼らが犯人であるかのような冷ややかな目を向けておりました。

まずは二姐が弁明します。「売り払ったと言われて家を出ただけです。崔寧さんとは、道中でたまたま出会っただけでございます!」と涙ながらに語ります。崔寧も必死に訴えます。「二姐さんとは今日初めて会っただけ。盗みも殺しも、まったく関係がございませぬ!」と。

ところが、盗まれた金が十五貫。そして崔寧の懐から出てきた金も、なんと十五貫。ここに至り、官吏どもは「こんな偶然があるものか」と口をそろえ、二人を罪人と決めつけました。無実の二人を待ち受けていたのは、冷酷非情なる拷問でございました。

鉄の棍棒で打たれ、脚に重しが乗せられ、体は耐えがたい痛みに軋みます。ついに二人は耐えかね、無実にもかかわらず罪を認めてしまったのです。「そうです、わたしたちがやりました・・・」と、無念の涙を流しながら告白したのでございます。

崔寧には斬首の刑が言い渡され、冷酷無比なる刀が一閃、彼の命は無残にも絶たれました。二姐にはさらに恐ろしい皮剥かわはぎの刑が言い渡され、広場で公開処刑となったのでございます。

嗚呼、なんと悲しきかな、今となってはこの事件の真相を知る者もおらず、ただ運命の皮肉と猜疑心の恐ろしさだけが後に残されたのでございます。

さて、悲劇に幕が下ろされたかと思われたその後、さらに波乱の運命が王氏を待ち受けていたのでございます。

夫の死から一年が過ぎ、王氏は喪に服しつつも、実家に戻ることを決意いたしました。荷物をまとめ、臨安を後にして旅路につきますが、途中で道に迷い、深い山奥へと入ってしまいます。

やがて、王氏は山賊に襲われ、捕らえられてしまいます。「俺の妻となれ」と山賊の頭領に迫られた王氏は、抵抗するすべもなく、やむなく山賊と共に暮らし始めるのでございます。

ある晩のこと。酒に酔った山賊の頭領が、得意気に自らの悪行を語り始めました。強盗や殺人の数々を自慢する中で、王氏の耳に飛び込んできたのは、驚くべき言葉でございました。「昔、臨安で十五貫を奪ったことがあるんだ。家主の奴が目を覚ましやがったが、斧で叩き殺してやったのさ」と。
王氏の胸には怒りが渦巻きますが、顔には出さずに、その場をやり過ごし、山を脱出する機会をうかがうことにいたしました。

ついに機が訪れ、王氏は山を抜け出し、急ぎ臨安府へと向かいます。王氏の訴えに応じた役人たちは、すぐさま山賊討伐の準備を進めました。そして、ついに山賊の頭領は捕らえられ、処刑されたのでございます。

処刑の日、王氏は刑場に赴き、自らの目で山賊の頭領が斬首されるのを見届けます。そして、その首を持ち帰り、亡き夫の祭壇に供え、さらに枉死した二姐と崔寧のためにも弔いの儀を行ったのでございます。

その後、王氏は身を尼寺に置いて、経を読み、仏に帰依する日々を過ごすこととなりました。静かに過ごすその姿には、過去の悲劇を乗り越え、悟りを得たような安らぎが感じられたのでございます。

たったひと言の戯れ言が、どれほどの災厄を招き得るか、皆様もこの教訓を胸に刻み、どうかくれぐれもお忘れなきよう。


この物語は『京本通俗小説けいほんつうぞくしょうせつ』巻十五に収録されています。

のち、明の馮夢龍ふうぼうりゅうが『醒世恒言せいせいこうげん』に収めて、「十五貫戯言成巧禍」(十五貫の冗談から思わぬ禍を招いたこと)と改題しています。さらに、清の朱素臣しゅそしんが改編して戯曲「十五貫」を著しています。

中国古典文学の中の冤罪物語としては、もう一つ、元代の関漢卿かんかんけいが著した戯曲『竇娥冤とうがえん』が有名です。『竇娥冤』については、下の記事(無料部分)で紹介しています。


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