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【北京随想】三輪車のハンドルが外れた話

30年前の話。
北京大学に赴任する際、わたしが先に中国に渡り、
妻と子供2人は1ヶ月後に合流することになった。

3人が来る前に購入しておきたい必需品がいくつかあった。

一つは、洗濯機。

教員宿舎には、個別でも共同でも洗濯機がないので、
大学近くの百貨店へ足を運んだ。
「免費送貨、免費安装」(無料配送、無料設置)
と宣伝している洗濯機を買った。

購入翌日、宿舎の前で運送トラックを待っていた。
到着すると、運転手が荷台を指さして、
「運んできたぞ。さあ、おろして持って行け」
と言う。
え?宣伝文句と違う、と訴えても、
「俺は運ぶだけだ。あとは知らん」
と一蹴された。
言い争っても埒があきそうにないので、自分で荷台からおろした。

案の定、ぎっくり腰に。
30年後の今も、冬になると時折ムズムズとうずく。
あの時の弱腰が悔やまれる。

もう一つは、三輪車。

子供のおもちゃではない。妻の移動手段だ。
荷台付の三輪自転車で、通常は、農作物や建築資材を運搬するものだ。

若いミセスが乗るには体裁のいいものではないが、妻は自転車に乗れない。
これなら、バランス感覚のない人でも転ばない。

三輪車

北京大学は広い。
キャンパス内の移動も、校門近くの市場での買い物も、徒歩では大変だ。

この三輪車は、2年の間、わが家のマイカーとしてフル回転してくれた。
たくさんの買い物をする時には、とても便利だ。

物を運ぶだけでなく、人も運んだ。
息子は北京大学の附属幼稚園に通わせたが、その送迎用にも使った。

そのうち、娘と息子のおもちゃにもなった。
子供たちは、毎日のように、宿舎前の湖畔で乗り回していた。

重宝していた三輪車だったが、帰国直前のある日、事件が起きた。

その日は、わたしが幼稚園のお迎えをすることになり、
息子を荷台にのせて幼稚園から教員宿舎へ向かっていた。

舗装されてない緩やかな坂道を下っていると、
急に三輪車が、ガタンと異様な音を立てて揺れた。
次の瞬間、ハンドルが車体から外れて、わたしの体が前につんのめった。

何が起きたのか分からぬまま、必死に足を踏ん張り、
サイドブレーキを引いて、ようやくの思いで、なんとか止めた。

もともと、煉瓦やらスイカやら、山のような荷物を積んで走る車両なので、両手のブレーキの他に、サイドブレーキがついている。

おかげで、樹にぶつかることなく、ひっくり返ることもなく、
なんとか事なきを得た。

溶接した箇所の破損が原因だった。
北京のマイカーは、年中無休で働いてくれたが、
耐久年数は2年だった。

ちなみに、家族が北京に到着してまもなく、子供の三輪車も買った。
ところが、すぐにネジがゆるんで、車輪が外れてしまう。
ネジを締め直しても、またすぐにゆるんでしまう。

それを見ていた地元の中国人が、
「だいじょうぶ、3ヶ月すれば自然に直るよ」
と言った。

ん、よく意味が分からない。

当時の三輪車は、みな鉄製だ。
3ヶ月すれば、錆が生えるから、ネジと車輪が自然にくっつく、
ということらしい。

大人の三輪車も、子供の三輪車も、何はともあれ、誰も怪我することなく、わが家の語り草で終わってよかった。




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