【心に響く漢詩】柳宗元「江雪」~寒江に釣り糸を垂れる孤高の老翁
江雪 江雪(こうせつ)
唐・柳宗元(りゅうそうげん)
千山鳥飛絶 千山(せんざん) 鳥(とり)飛(と)ぶこと絶(た)え
萬徑人蹤滅 万径(ばんけい) 人蹤(じんしょう)滅(めっ)す
孤舟蓑笠翁 孤舟(こしゅう) 蓑笠(さりゅう)の翁(おう)
獨釣寒江雪 独(ひと)り釣(つ)る 寒江(かんこう)の雪(ゆき)に
柳宗元(773~819)、字は子厚。中唐の詩人です。
自然と人生を枯淡な筆致で描いた詩人として知られています。
二十一歳で進士に及第し、初めは順調に官位を昇ります。順宗の永貞元年(805)、礼部員外郎(典礼を掌る官)となり、中央の政治改革に加わりましたが、これが失敗に終わり、永州(湖南省)に左遷されます。
十年後に中央に復帰しますが、また柳州(広西チワン族自治区)に左遷されて、その地に没しました。
長い流謫生活の中で、数々の秀逸な山水詩を残しています。
「江雪」は、蕭条たる雪景色の中の漁翁の姿を描いた五言絶句です。
一幅の水墨画のように枯淡な味わいを持つ名作です。
――どの山にも鳥の飛ぶ姿は絶え、どの小道にも人の足跡が消えてなくなっている。
「千山」は多くの山、「萬徑」は多くの小道。
辺りに鳥の姿も人の跡もない、音も動きもまったくない静寂の世界が素描されています。
――ぽつんと一艘の小舟に、蓑(みの)と笠(かさ)を身にまとった老人が、ただ独り寒々とした川の雪の中で釣りをしている。
白一色の雪の渓谷で、独り釣り糸を垂れる老人。
遠景から近景へと転じるにつれ、あたかも絵全体を眺めていた視線がふとその中に小さく描かれた一人の老人に移っていくかのように感じさせます。
この詩は、水墨画の世界において「寒江獨釣」という画題を後世に提供しています。
「江雪」は、柳宗元が永州に左遷されていた時の作です。
政治的な挫折から、孤独な境遇に置かれていた時期に詠まれたものです。
そうした背景を考え合わせると、詩に歌われている風景は、単なる自然の風景ではなく、詩人自身の心象風景であるという見方ができます。
「釣り糸を垂れる老翁」というのは、中国の古典詩文においては、隠逸を象徴するものです。
独り釣る翁の姿は、孤独で寂しいという感情を表すというよりは、むしろそうした感傷に打ち負かされることのない孤高の精神を示すものと見るべきでしょう。
この詩は、修辞面においてもよく練られています。
周囲の広漠とした世界を「千」「萬」の字で表し、その中に米粒のようにぽつりと存在する一人の老人の姿を「孤」「獨」の字で表すことによって、前半二句と後半二句のまとまり同士が対照的に捉えられています。
また、近体詩では、通常、平声で韻を踏みますが、この詩は仄声で韻を踏んでいます。しかも、「絶」(ゼツ)、「滅」(メツ)、「雪」(セツ)という短くつまる入声で押韻しています。
広東語のように、入声音の残っている南方の方言で朗誦すると、伸びやかな調子を取り去った淡泊で短い音が、一面の雪に閉ざされた寒々とした世界のイメージとうまく合致して、とても効果的です。
雪の日は、人の声が通りにくく、周囲が静かに感じられます。
これには、科学的根拠があって、雪が空気の振動を吸収するので、その分遠くまで音が届かなくなるのです。
こうした音響の面から考えても、押韻に入声音を選ぶのは、詩のイメージと合っていて、理にかなっています。
唐代の柳宗元がこのような科学的知識を持っていたはずはありませんが、詩人の感性で、このような音響効果を経験的に感得していて、意識的に入声音を選んだということは、十分に考えられます。
下の動画は、『唐詩三百首』の中でも特によく知られた詩を広東語で朗誦したものです。
動画の 0:51:38 からが「江雪」の朗読です。
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