2. ナラティブデザインの2つの視点

"ナラティブ"をデザインするときに意識すべき2つの"視点"を備忘録的に記載しておきます。

1. 即時的視点 (Instant Design / 微視的視点)
2. 経過的視点(Sequential Design / 巨視的視点)

↓↓↓前回の記事


▼そもそもナラティブとは

 いろいろ意見はあると思いますが、私は以下のように解釈しています。

「何かの比喩を"ゲーム"において表現すること、またその手法」

 例えば、ノベルゲームにおいて"○○というキャラは怒っている!"ということを伝えるためにはいくつか表現が可能です。
 例) 文字で表現
  「○○は怒ったようだ」
  「○○は顔をしかめた」
 例) 立ち絵を差し替える)
  "立ち絵をangry状態の絵に差し替える"
  "両手を振り上げた状態の絵に差し替える"
 例) BGMを変更する
  牧歌的な音楽から、マイナー調のアグレッシブなパンクロックへ
 そのなかで、どういった表現手法を使うのかは(リソース的都合は差し置いて)、その作品、またはその場面において何が適切かを検討し、採用していくのがナラティブデザイナーの仕事です(少なくとも、私はそう理解しています)。

▼ 1. 即時的視点(Instant Design)

 上述した例のように、"○○というキャラは怒っている!"という、"、発生している事象"を伝えるためにどんな手法をとるのかを決めるのを即時的視点と呼びましょう。これは単なるa)演出だったり、b)ゲームのルール(ゲームメカニクスやトリック)だったりします。
 a)演出の場合は、上述したように文字で表現するか、キャラ絵で表現するか、といった部分にあたるので簡単にイメージできるのですが、b)ゲームのルールの場合は、普段あまり意識していません。というのも、これらはふつうゲームの「ジャンル」と呼ばれているからです。例えば、"敵を攻撃する"という表現の場合、ビジュアルノベルなら「私は彼のほほを殴った」のような文字表現になります。RPGなら、"敵に対してコマンドを選択・実行する"という操作に、3Dアクションゲームなら"ボタンを押して敵キャラを実際に殴る"という、抽象度の異なる表現を行います。
 たいていの"ゲーム"ではこれらの定石化した表現がジャンルとして根底にあり、そこに何かしら新しい"ギミック"をプラスする(or既存のシステムと置き換える)ことでそのゲームを"ユニークなゲーム"に仕立て上げています。
 Florenceが特筆的なのは、だれでも思いつきそうな簡単な表現を多数組み合わせることでひとつの"動く絵本"として作り上げたことです。多分、普通に"ゲーム"として企画を通そうとすると"コンセプトが定まっていない"と言われて通らないのではと思われます。小規模スタジオだからこそ作れた作品だと思います。
 Florenceのような作品は、私は"ゲーム"とは呼ばず、IE(Interactive Entertainment)と呼んで明確に分離するべきだと考えています。というのも、"ゲーム"はたいてい"ずっと遊びたくなるルール"を指し、それを主眼としたエンタメです。しかし、Florenceは別にパズルを解くことをコンセプトとした作品ではありません。"タッチスクリーン"というUIを、どのように使い表現ができるかを求めた作品です。

 話を元に戻します。

 即時的視点でナラティブをデザインする、というのは、つまりは「その一瞬の表現」をデザインすることです。本当にその一瞬しか使われない手法だったら単なる演出ですが、作品を通して繰り返されるゲームプレイだったら、それはジャンルとして位置づけられます。私がゲームを"IE"と呼ぶことを提唱している大きな理由は、"ゲーム"がこれらのメディアと決定的に異なり、"受け手が主体的に行動し作品に参加する"、という構造を必ず持っているからです。ビデオゲームとは何か、という問いに対して「コンピュータに入力したら画面に何かが起こる」という答えを提示する方がいますが、"受け手が主体的に行動し作品に参加する娯楽"と"ゲーム"を定義し、そのなかで"コンピュータを使うもの"を"ビデオゲーム"と解釈したほうが、新しいものを生み出しやすくなると思います。

ゲームで特に特徴的だなあ、と思うのは、UIをこういった表現に使えるという点ですね。UIを単なる"システム的機能"の表現として使うのではなく、"キャラの心理描写"など"シナリオや世界観"の表現としても利用できるのは、ほかのメディアにはない特徴だと思います。

▼2. 経過的視点(Sequential Design)

 これはある種の「伏線」とも言えます。難しいので例で説明します。

Florence) 会話のパズル
 KrishがFlorenceと出会ったばかりの時: 細かなパーツを組み合わせた
 打ち解けたころ: パーツが大きくなっていた
 別れるとき: パーツがとげとげしくなっていた

ビジュアルノベル) 
 物語の開始付近から街にいるNPCから、
 「やあ、君はこれから何がしたいの?」と質問を投げかけられると、
 選択肢は
  1. 「ご飯が食べたい!」   <- ネタ回答
  2. 「いや、わからなくて…。」 <- 未熟なキャラであることを示す
 しかない。
 しかし、キャラクターが少し成長すると、
  3. 「今はわからない、自分で探す。」
 とかが選択肢に出現して、最終的に
  4. 「大切な人を守りたいんだ。」
 とかが出てくるようなイメージ。

 その演出が出てきたときは特に伏線とも思わない場合があるのですが、後から振り返ると意味ある演出だったなあ、と思えるようなものを指して、「経過的視点によるナラティブデザイン」と規定しています。即時的視点の演出にあたるものが、時間をかけて変化したもの、という考え方ができます。
 とはいえ、ゲームジャンルでもこういった表現ができないわけではありません。RPGで、序盤に登場する強すぎて倒せない敵キャラを、3ステージくらいクリアしてから再チャレンジすると倒せるようになってたりするのは自キャラの成長を表現しているものですし、アクションゲームでも装備やスキルが増えたり強化されたりするのも同様です。

 とくにこの経過的視点からナラティブデザインを考えたときに、一貫性をきちんと持たせていると感動的です。

▼さいごに
 もはや伝統的な"ゲームデザイン"が理論立て確立され、ユーザを熱中させたり集金の仕組みとして使われる"道具"となったいま、作品を個性付け、作り手の創造性を発揮するのはこのナラティブの分野だと私は考えています。

 ゲーム業界の何が不幸かって、現場で作る人間と出資する人間の考え方が違うところだと思うのですよ。現場の人間は「いいものが作りたい」という気持ちで動いてて、出資する人間は「インスタントな金儲けがしたい」みたいな気持ちだったりする。大手が社内でチーム作ったり、それ相応の信頼ある人を集めてチームを作れれば何も問題なく成功するのだけれど、実際下請けに出すようなプロジェクトはそうはいかず、結構な確率で何かしらコケる。
 実はこれって「全員がハリウッド超大作を目指している」状態だと思うんですよね。実力や、使うIP、チーム規模、技術力、予算とか無視しちゃってPは「めっちゃ売れる超大作を作りたい」と言い、現場の人間は「こだわって最高のクオリティの者を作りたい」と思っているから無理が生じるわけで。
 現場の人間のなかには、映画でいうところのジョン・カーニー監督とかレフン監督とか小林勇貴監督とかみたいな「個性があっていい作品作りたいよね」って思ってて、同時にそう言った作品を欲している人が一定数いることに気が付いているんですよ。しかし、出資元は大ヒットするハリウッド超大作を作りたいと思っている。だから、現場の人間はしぶしぶ「これうまくいくんかなあ?」って思いながら超大作っぽい"何か"を作ったりしてる。

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参考


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