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還暦ゴルファーの徒然草  「満開の桜、そして母との別れ」

久しぶりのnoteになってしまいました。
3月末に施設に入っている母の容態が芳しくないとの連絡を弟から受け、東京に住む息子と合流して面会して来ました。

コロナ禍に入所し、面会もままならない中で寂しい思いをしていたと思います。認知症が酷くなり入所したと聞いていたので、私や息子の事が分かる状況なのかとの不安を抱えての面会でした。

マスクが外せる状況になったからか、終末期に入ったからか、マスクを外して面会する事が出来ました。マスクを外した瞬間にパッと目を見開いて、安心した様な嬉しそうな表情になりました。

もうしっかり話す力が無くて、話してくれているのに聞き取れない言葉が多いのが本当に残念で切なくて…。

そんな中でも二度も「幸せ」と伝えてくれて、「ありがとう」の言葉も。

「楽しかったねぇ」
「頑張ったねぇ」と声をかけると
「うん」と首を大きく縦に動かしてくれて。

日帰りで帰る息子と新幹線の駅で別れ、姫路のホテルに泊まりました。翌朝早く姫路城に散歩をして、八分咲きの桜を楽しみました。

翌日は一人、電車とバスで母の元へ。
車窓から薄桃色に輝く満開の桜が見えます。

そういえば、母が「貴女が生まれた時も満開の桜で、それは綺麗だったのよ」とよく言っていましたっけ。

私の誕生日4月5日は晴明節。
私の地元では、桜が満開の季節です。

沖縄へ移住して誕生日に桜を愛でる事が出来なくなった私を、別れに際して母が桜の季節に呼んでくれたのだと感じました。

二日目はほとんど話すことも出来なくて。
「一日も早く会った方がいい」
という主人のアドバイスに感謝すると共に、仕事のスケジュールを全て調整して飛んで来てくれた息子にも感謝です。

お別れは近いだろうと覚悟して沖縄に帰ったものの、想像以上に早い翌々日の昼に父の元に旅立ってしまいました。葬儀は誕生日の前日。

いつも私達と別れる時、どんなに暑くても寒くても私達の姿が見えなくなっても外で手を振り続けていた母。

最期のお別れは私と息子の方が立ち去り難く、隣に立つ息子の「いつもおばあちゃんが別れ難かったのに、今日は俺らが別れ難いよな」という言葉が心に沁みました。

いつも母はこんなに別れ難い気持ちでいたのだなぁと、改めて知る事になりました。

桜が満開の中で母の元に生まれ、母と別れました。私自身も「死ぬ時は桜満開の季節」とずっと思っています。

その日が来るまで、一日一日を楽しく笑って過ごしたいと思います。

そんなこんなで61歳になり、夏までは主人より5歳年上になった還暦ゴルファーでした。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。ゆっくりでもnoteを続けていきたいと思っていますので、これからもどうぞよろしくお願いします。

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