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【歴史旅 九州編③】 吉野ヶ里遺跡

九州歴史旅の最終日は博多駅を出発し、吉野ケ里遺跡から九州歴史資料館、太宰府天満宮を回りました。正直博多などは仕事でしか来たことが無くこのような日の過ごし方は新鮮でしかないです。そして今日のメインディナーは吉野ケ里遺跡です。
実は私、北海道に長くいたせいかどちらかと言うと縄文派で吉野ケ里遺跡に代表される弥生時代はちょっと疎いです。※北海道では農耕が伝わらず弥生時代が無かった。
とは言うものの歴史好きとしては好き嫌いはご法度。ここは廻っておかねばならない場所です。

吉野ケ里遺跡は紀元前5世紀から紀元後3世紀までの弥生時代のほぼ全期間に渡って存在し、同じ場所で小さなムラが大きくなってクニを形成し中央にミヤコと言えるような拠点を持つに至った珍しい遺跡です。漢書に書かれた漢委奴国王の世界がここにあります。

吉野ケ里歴史公園入り口

そこに作られた吉野ヶ里歴史公園は100ヘクタールというような広大な敷地に吉野ケ里遺跡の最盛期である紀元200年頃の姿を再現しています。
入り口から入ってまず目に付くのは主要なエリアを囲む堀(環濠)です。普通、環濠と言うと集落を囲むみぞなのですがもう城のレベルですね。

主要なエリアは環濠で隔てられている。

そして環濠からやはり城っぽい複雑な入口を超えるとちょっと予想を超えた高さの物見やぐらがあります。

目に付く物見やぐら

これはもう見張っているというより、周りに対して見張っているぞという示威効果を狙ってのものでしょう。

近くによるとメチャ高い。

そして隣のエリアには何と2階建ての高床式の「高層建築」が。
ここは特別な集会や祭祀のための主祭殿だそうです。

祭祀のための建物

建物の造りがあまりにも立派で弥生人に扮したガイドの人に「これはいくらなんでも盛りすぎちゃいますか?」と聞くとこれは出土された土器の絵や柱の直径から「審議を経て」再現されたものだ。文句を言うなと言うことでした。

主祭殿の一階。取締役会的な?

主祭殿の中に入ってみました。
中には再現ビデオ的なジオラマがあり今まさに吉野ケ里の首長を中心に会食しながら重要な審議を重ねている感じでした。


3階は巫女のお告げを聞くと言った場所

3階では写り込んでいる扇風機はさておき、中央の巫女が重要な方針などを神に伺いを立てている姿です。
この姿を見て思い浮かぶのは古事記にある神功皇后の新羅征伐です。
古事記によると仲哀天皇の后である神功皇后は神託で天皇に新羅を攻めよと命じたのですが皇后の横で琴を弾いていた天皇征伐に乗り気でなく琴を弾くのがおざなりになってしまいます。これを見た神が怒り天皇を殺してしまいます。このジオラマはまさしくこのシーンでは無いでしょうか。奥で琴を弾いているのが仲哀天皇、巫女は神功皇后、ちなみに手前にいるのは当時何代にも渡って天皇に仕えたという建内宿祢に擬せられます。
結果、神功皇后はお腹に子供を身籠ったまま新羅征伐に向かうのです。
私はこの仲哀天皇が死ぬシーンは古事記の中でも一番怖い話だと思っていたので思わぬところでこのような場面が見られ正直冷や汗でした。

ところで、ここまで立派な建物が並んでいるだからここの首長と言うか王様はどれだけ立派な宮殿に住んでいるのだろうと思うわけですが、実は先ほどの物見やぐらのエリアに竪穴住居を作ってそこに住んでいたようです。
確かに周りよりはいくぶん大きいとは言え竪穴式住居。中はリビングだけの1Lです。

王様の家

吉野ケ里遺跡については現在もまだ発掘中で広大な敷地からはまだまだ沢山の歴史的発見があるのでしょうが、私の印象に残ったのは紀元後200年の日本(古墳時代よりまだ300年以上前)としてはあまりにも立派な主祭殿と、ある種、時代相応な王様の家でした。
これは私の推察ですがこの主祭殿などの建物は大陸からの最新技術を直輸入して建てられたもので(当時大陸では後漢などが既に高度な文明を確立していた)、多分作った人も大陸の人、ないしは技術指導の結果なのでしょう。このような建物は首長の威信の向上に大きく貢献したと思います。
しかし当時の日本や日本人がそのような立派な神殿に応じ体系化された社会的インフラを持っていたかと言うとそうではなく農作は始まったばっかり、住生活も昔ながら、だから王様も自分が住む分には竪穴式住居でOKという感じなのではないでしょうか。
吉野ケ里遺跡は紀元後3世紀、このような先進的遺構を残し突然のようになくなってしまいます。理由については諸説あり、世の中が平和にになりこのような城郭都市が必要なくなったとかありますが、私としてはここまでやってることのギャップが広がってしまって、何かしら破綻してしまったのかもとか思ってしまします。

でもこれって現在でも良くありますよね。なんか海外で評判になっているものを形だけ取り入れて流行語にまでなっているけれど(D〇とかSD〇〇とか)、使っている人も実際は良くわかっていなくてある日、誰も使わなくなってしまうようなやつです。
あんあまり最新とか先端とかに安易にハマるはあかんなあと言うのが結論でした。
2024年5月23日