こんなおっさんができあがるまで【8】
皆さん、こんばんは。かんおさです。
いつもお読み頂き、ありがとうございます。
また、スキをしてくれる方、フォローまでして頂ける方、本当に嬉しいです。
皆さんの時間を使わせてしまうので、ある意味で申し訳ない気持ちもあるのですが、それ以上に有難さを感じつつ、続けております。
また、この場を借りて、素敵な写真をアップして下さっている皆様にも感謝を述べたいと思います。
良くわからないまま使っておりますが、皆様が素敵な写真を撮って下さっているので、私の所のような辺境記事でも、少しだけ見栄えを整える事が出来ております。
あまり書く機会がありませんので、このような所で失礼とは思いましたが、ありがとうございますと、伝えさせてください。
さて、前回の記事で、私はようやく本当のニート(?)として、人生のスタートを切る事になりました。
そうすると、やはり今まで棚上げにしていた問題が次から次へと浮かび上がってくることになります。
ニート生活の始まり
前回、大の大人の筈であった私は、母が必死に止めてくれた事で、ようやく、仕事から離れて休むことを決めました。
そしてその報告を家長にしなくてはなりません。言ってしまえば、ニート宣言をする為に、父親に土下座する覚悟で、対面する必要があった訳ですね。
まぁ、字面からも分かる通り、情けない事この上ない状況の訳ですが、もう仕方ないです。
しかし、当時の私としては本当に意外な事だったのですが、父親から少し小言は出ましたが、本当にすんなりと認めてくれました。
そういう訳で、晴れて両親公認のニート生活へと足を踏み入れる事になります。
ちなみに、ちょっとだけ父親について補足させて頂きたいのです。
父は田舎から出て来て、高卒の叩きあげで大手商社に勤めあげるという、私からすれば、化け物かと思えるほど、企業戦士たる人物です。
しかし、その企業戦士も家では、また微妙な立場でした。
そもそも帰って来ても基本的に仏頂面ですし、ご飯を食べる時も新聞を下ろさない為、表情も碌に見られないような状況です。
「お父さん、ご飯!」と、母が言い、「ん……」と父が生返事しつつ、新聞を読みふける。そんな状況を想像して頂ければ、宜しいかと。
分かる人にはそんなイメージで伝わると思うのですが、父は典型的なたたき上げの昭和人なのです。
そんな感じなので、基本的に家ではあまり私ら子供達と会話しませんでした。
そんな子供からすれば、仕事で忙しくて家に殆どいないけど、休みの日には、主の様にそこにいる存在と言う感じでしょうか。
そして、母も典型的な昭和人の専業主婦だったので、当たり前の様に専業主婦の鏡のような働きをしてきました。
ただ、別に父親に対して嫌な感情を抱いていた訳でもありません。小さなころから母親には、父が頑張っているからこそ、こうして生活できていると散々言われていましたし、実感としてそれはありました。
ですので尊敬と言う念は勿論あったのですが、それ以上に良く分からない家族と言う畏怖の感情の方が強かったのが、当時の私の父親像です。
まぁ、今はそんなものは見る影もないんですが、それはまた別の機会に。
当時の私にはそんな印象の父だったので、あっさりと了承が出たことに、少し戸惑いつつもニート生活をスタートしました。
ニート生活の始まり しかし治療は進まず
まず、ニート生活をスタートしてすぐに始めたのは、通院の再開でした。
親に遠慮して、通院を勝手に打ち切って3年です。
その間、群発頭痛を我慢していた影響か、精神的にも肉体的にも変化が起きていたようです。
その結果なのか、まず、もともと群発頭痛?だったものが、原因不明の頭痛にまたもや格下げされました。
と言いますのも、私の症状が、群発頭痛の症例から逸脱している状況が続いていた為です。
群発頭痛は、群発期があって、その時期以外は頭痛は出ないと言うのが通説です。
私の場合は、それに該当せず、毎週2~3回ほど症状が起こっていました。
また、痛みに関しても、基本的には耐えられる様な物ではないと言うのが、通説だったので、私の様子を見て、頭痛はそれほど強い物ではないと判断されたようです。
いや、本人からすれば地獄の苦しみなんですけどね。
「けど、あなた我慢できてるよね?」みたいな事を言われて、黙るしか無い状況でした。
そりゃ、我慢してるけど、本音では嫌に決まってるじゃん的な話なんですけど、医者からは私の報告が大げさに映ったようです。
尤も、痛みは客観的な数値で表す事が難しいのも事実なので、これは仕方ないかなと思います。
ただ、投薬に関しては一定の効果が認められた事もあって、頭痛発生時に飲むことにしました。
これは、頭痛の予兆があったらすぐに飲まないと効果が薄くなる薬なのですが、今までは生活のリズムとして寝ている時に起きる事が大半だったので、あまり意味を成してなかったのです。
幸いなことにニート生活になった事で、寝る時間を明け方にずらすことが可能になり、その結果、薬の効果を最大限に発揮できるようになったと言う経緯もあります。
この薬は一定の効果がありました。
前兆があるので、飲めばかなりの割合で、症状を改善できました。
時々、油断して飲まなったりして、頭痛が発症してしまうこともあったのですが、こちらの薬を飲めば多少は緩和できていました。
今まで耐えるしかなかった頭痛に対処できたことは、私の精神状態に良い影響を与えたことは、間違いありません。
また、それとは別に、この頃から急激に症例を増やし続けていた精神科にかかり、ようやく、うつ病と診断されました。
しかし、今の時代はどうなのかわかりませんが、この当時のうつ病治療は、投薬がメインでした。
そして、この治療薬の数々が、私の身体に致命的に合わなかったらしく、ここから1年ほどは別の意味で地獄の苦しみを味わう事になります。
とにかく、薬を飲むと吐き気とめまいが止まらなかったのが最初です。
そうして少し強めの別の薬にすると、1日中昏倒し、それでも辛抱強く飲み続けた結果、全然効かなくなって寝れなくなる日々が続きます。
更には、精神虚脱、思考能力の著しい低下などで、一時期は、ほぼ家族に介護してもらう様な状況が続き、結果として投薬治療は家族の総意でやめることになりました。
「医者の薬で殺されてたまるか」と言うのがその時の父親の談です。この時期はあまり覚えてないのですが、相当、迷惑をかけた様です。
この当時のうつ病治療は、とりあえず、投薬で思考を鈍化して、時間で解決すると言う治療がメインだったようなので、そうなったんだと思います。
それとも、私の身体が過剰に反応していたのか何なのか。
ともかく、今はもう少し治験も進んで、症例もデーターが揃っているでしょうから、マシになっていると思います。なってるよね?
そのうつ病の治療で、ほぼほぼ1年、何も進展せず何も変わらず過ごしました。
私は医者が悪いとは思いませんが、少なくともこの件で、私達家族の中での医者……とりわけ精神科医への信用はがた落ちしました。
以後、同じ様な事で原因不明を立て続けに診断される事になるのも、その考えに拍車がかかるきっかけになったのだと思います。
ニート生活は悠々自適? そんな訳ありません
さて、実際にニート生活をしてみた方なら、恐らく、どの方も感じた事がある事について語りたいと思います。
ニート生活できるなんて気楽で羨ましいという声を、色々な所で聴きます。
そうですね。人(もしくは家族)のお金(もしくは場所)を使って、生活している訳ですから、その状況だけ見れば恵まれていますよね。
実際、私もニート生活の時は、昼過ぎに起きて、明け方に寝ると言う怠惰とも言える生活を送っていました。
傍から見れば羨ましいですよね。ええ、そうなんですよ。ある意味では、とても素敵な生活でした。そんな風に暫くは、頭を空っぽにして、とにかく休養しました。
それはそれで、充実していたのかもしれません。
ただ一点を除けば、ですが。
未だかつて経験した事も無い様な自尊心の欠落に苛まれる
ある程度、人の心を持っているなら、ニートの方々は、大なり小なりこの呪縛から逃れる事は出来ないと思います。
他の方はどうなのかわかりませんが、私の場合はこれだけで、全ての素晴らしい事が帳消しになる位、追い詰められていきました。
恐らく、自覚している、していないに関わらず、この呪縛はニートである以上、自分自身を徹底的に蝕むことになります。
それだけ、仕事やライフワーク、趣味などを通して得られる生産的な人間関係と言う物は、人にとって本当に大切なものなのです。
ニートを経験して、それを嫌という程、実感しました。
仕事をしている方は、仕事を通して人と関わり、そして報酬や達成感を得て自尊心を満たします。
仕事から自尊心を得られなくても、趣味での繋がりやその他のライフワークによって、何らかの人間関係を通して、自尊心を満たす事ができるでしょう。
しかし、ニートになってしまっただけでなく、うつ病まで患っているような人は、その自尊心を得る手段が本当に大きく限られてしまうんです。
一つ目は、気力的な問題です。
大抵の場合、うつ病になった人は、自己肯定感が恐ろしい勢いで低下しています。
これは、実際、うつ病になった方ならお分かりいただけるかと思いますが、自分の努力だけで回復させることは不可能と言ってよいでしょう。
自己肯定感は、成功体験が無いと、上積み出来ないと言うのが私の経験談です。
しかし、自己肯定感が最低ラインに落ち込んでいる場合、新しい事にチャレンジするのは本当に難しいのです。どうしても失敗する事を先に考えてしまうからです。
この壁を越えるのは、本当に厳しかったです。
私は悶々とひたすら悩み、それでも家族に支えられた結果、新しいステップに到達するまで4年かかりました。
その間、急かす事……はしてましたが(苦笑)、放り投げずに支えてくれた家族には感謝しかありません。
二つ目は、金銭的な問題です。
ニートである以上、収入は有りません。
という事は、自由にできるお金は極端に少なくなります。
あったとしても、家族から無心する事になるので、精神的に何かしらのしこりは生まれます。なので常に自由になるお金が無い中での生活を余儀なくされます。
よく、ニートの方の一例で、家族に暴力を振るったり、家族のお金を当たり前の様に奪っていく姿が取り沙汰されますが、あれも裏を返せば、自尊心の無さからくるものかと私は思います。
弱い犬ほどよく吠えると言う、典型的な例なのかなと。
そうで無いと自分自身の存在価値を証明できない程、精神的に弱体化しているからこその状況じゃないかと、私は思っています。
勿論、その行為自体は決して許される様な物ではありませんし、人として未熟であると言わざるを得ません。
ただ、そういう状況になってなお、そんな形でしか自分を肯定できないのは、本当に悲しい事ですし、その方や家族の心中を想像すると辛いです。
何せ、私だって一つ歯車がずれていたら、そうなっていてもおかしくなかったと思えますから。
そう行った訳で、ニート生活を続ける私の心中は、常に無力感に苛まれ続けていました。
ただ、それでも、考える事だけはやめませんでした。
お金も無く、ただただ時間だけがあるその状態で、私はそうせざるを得なかったという事もあります。
だからこそ、時間こそかかりましたが、その状況から抜け出す切っ掛けを見付ける事が出来たのです。
今回はここまで。
お読み頂き、ありがとうございました。
こんにちは! 世界の底辺で、何とか這いつくばって生きているアラフォーのおっさんです。 お金も無いし、健康な体も無いけど、案外楽しく生きてます。 そんなおっさんの戯言を読んでくれてありがとうございます。