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こんなおっさんができあがるまで【3】

皆さん、こんにちは。かんおさです。

今回もお読みいただきまして、本当にありがとうございます。
いやぁ、何の華も無いおっさんの人生を見て下さるとは、皆様、物好きですね!!(失礼)
けど、そんな読者の皆さんに、感謝を。ありがとうございます!

前回の記事はこちら

さて、とりあえず、おっさん的には社会に出るまでは凄く順調でした。
正直、ちょっとうまく行き過ぎて、天狗になっていたんじゃないかと、今なら思えますが、当時の自分はそんな事に気づきもせず突っ走ります。

仮にタイムマシンがあったとして、過去の自分と会って話すなら、とりあえず自分の失敗談を延々と突きつけて心を折ってやろうと思うくらいには、昔の自分の考えのなさに腹が立ちます(小物

ですが一方で、今の自分になる為には、これだけの苦労と失敗を重ねないと駄目だったのかなぁとか、漠然と思ってみたりもしてます。

やっぱり人間、知識があっても実際に体験して経験に昇華しないと身につかないのでしょうね。

そういう意味では、なるべくしてこうなったのかなぁと、何となくわかったような口を聞いてみたり。

そんなこんなで、今回は、おっさんが社会人としてデビューし、無事に病むまでをダイジェストでお届けしたいと思います。

ご興味のある方は、お進み下さいね。

就職戦線異常ありまくり 就職氷河期は地獄だった!


とにかくこの時期は本当に悲惨だったと言う印象しかありません。

就職活動をした事のある方は、少しでも分かって頂けると思いますが、就職活動は、本当に精神的に追い詰められます。

今は就職活動のノウハウがある程度確立しているので、大学やその他の機関でも望めばある程度の指導を受けることが可能です。
ですがこの当時、基本的にはそんなノウハウが通用しなくなった時代です。
大学院を経て社会に出ようとしている私の場合は、更にその傾向が顕著でして、それまでのコネもノウハウも、全く通用しない状況でした。

流石に私の場合は、応募した会社数は3桁までは行きませんでしたが、20社も落ちれば心など簡単に折れます。
それでもお祈り文が飛んでくるのも精神的にきついでしたが、会社によっては無視されることもありました。

正直、この経験を通して、まずは、それまで持っていた自信のようなものがゴリゴリと削れていきます。
お祈りされる度に、自分の存在が社会にとって必要ではないと言われている気がして、どんどんと精神的に追い詰められていきました。

そんな折、駄目元で受けていたIT系の企業に採用が決まったのです。

正直に言って、その時の私には全くの未知の世界です。ですが、オタクだったこともありパソコン系に関しては、そこそこの知識がありました。

何より必要とされたと言う事実が、私に希望を与えてくれました。

少々のハンデなど、気合と根性があれば乗り切れる!

その時の私は、長い就職活動によって完全に自信を失いかけていた事もあって、そういう前向きな気持で社会のために、会社のために頑張ろうと言うことしか考えていませんでした。
いえ、むしろ今だから分かりますが、そうするより他なかったのだと思います。
でないともう立ち上がれないと、無意識に分かっていたのでしょうね。

一斉を風靡したIT系 勿論そこは真っ黒だった

いや、こう書くと全てのIT系の会社がブラック企業のように思われてしまうと思いますが、今はそこまで酷い会社はないと思います。

……無いよね? 無いはず? 無いと思いたい(願望

ですが、まぁ、最初の会社は凄かった。今ならそう思います。
ですけど、その当時はそんな事分かる筈もありません。

だって、それが初めての社会人としての生活だったのですから。

とりあえず、最初の会社にはありがたい事に(?)、正社員として就職できました。

よし、ここから頑張ってIT系のキャリアをバリバリ積むぞ!

当時の私にはそんな希望に満ちた未来しか見えていませんでした。

そんな中、研修では、社会や会社に貢献できる人材にならないと行けないんだと言われると同時に、以下の事を、業務の中でも強く刷り込みをされました。

スキル? そんなのは努力で身につけるものなんですって。出来ないのは努力が足りないんですって。人に聞く前に、自分で勉強しないと駄目なんだそうですよ? そういうことらしいです。

会社に貢献できない人材は、価値がないんだそうです。
そうならないために、日々、研鑽し努力していかないと人として終わってしまうんだそうです。

上司の命令は絶対です。逆らうなど、社会人として間違っているそうです。
返事は、必ず「はい!」のみ。口答えする前に、どうやったら達成できるかだけを考えるのが大事なんだそうです。

給料が低いのは、会社に貢献できてないからだそうです。
ベースアップ? 年に500円も上がれば良いそうです。
ボーナス? 寸志っていう便利な言葉があります。樋口さん一人でも多いって言われました。

まぁ、他にも色々とありましたが、とにかく、こうやって無事、私は一端の企業戦士として成長していきました。

そんな私が、まず配属されたのが、コールセンターです。

コールセンター そこは私にとって最初の地獄だった

今なら分かりますが、新人で何のスキルもない私ができることなんて何もないんですよね。
なのでこうなることは、ある意味必然ではあったのですが……まぁ、これが私の性格と致命的に合わない仕事でした。

基本的に私はあまり話すことが得意ではありません。
話を聞くことは嫌いではないのですが……とりあえず、初っ端から罵声が飛んでくるのはあまり好きじゃないです(当たり前

まぁ、今だから思えますが、人の顔が見えないからなんでしょうけど、なんであんなに高圧的になれるのか、本当に不思議です。

とりあえず、基本的に罵声を浴びせてくるのは圧倒的に男性、しかも私より年上の方が多かったです。

細かい内容は避けますが、まぁ、文句が出るわ出るわ。
正直、こっちは問題が解決しなくても、直らなくても個人としては困らないのですが、その当時の私は純粋(?)だったので、お客様がお怒りになるのは私の能力が足りないからだと、本気で思っていました。

数々の暴言を受け、そしてオチが電源コードが抜けてただけとか、ザラにあります。
それすら何故か私のせいにされて、ガチャギリされたりするのですが。
今なら笑い話に出来ますが、当時の私は、それすらも「お客様が言う通り自分のせいなんだ」と思いこむようになっていきます。

人というのは不思議なもので、強い口調で責められると、幾ら自分に否がなくても、次第に感化されてしまうものです。
恐らく、無意識的に早く終わらせたいという気持ちが出てくるからでしょうが、そういう事が重なると、徐々に自分の判断に自信が持てなくなっていきます。

そして私の部署は一次請けだったので、お客様とダイレクトに接するところです。
そして、PC関係のトラブル全般を扱う総合受付だったので、それはもうひっきりなしに電話がかかってきます。

まぁ9割がそういったお電話だったので、自然と精神的に追い詰められていきます。

今ならば、「致命的にその職業は合ってないから配置転換なり転職なりしろ」と軽々しく言えるでしょうが、その時の私にはその選択肢はありませんでした。

これは何回も同じ状況に陥ったとしても、結局、その時の私は同じことを繰り返す事になると思います。
先の記事でも書きましたが、その当時の私には、強烈な呪縛がかかっていました。

・「根性・努力が足りないからお客様を満足箚せられない」という思い込み
・「この程度の事ができないと何処に言っても通用しない」という思い込み

今までの経験と経緯があったからこそ、この当時の私には、逃げると言う選択肢が頭に浮かびすらしませんでした。

ですから、もし皆様が同じ様な状況の方を知った時、その方を責めないであげて下さい。
その人は多分、一生懸命頑張ってます。それはもう、命を削って頑張ってます。
貴方の何気ない一言で、壊れてしまう位、追い詰められている可能性もあります。

勿論、努力する方向性が完全に間違っているのは事実です。
そして、その事を誰も教えてくれません。だからそうなっています。

「石の上にも三年」と言う言葉があります。
社会人生活を続ける上では、まずは三年。耐えねばならない。
そうすることで社会生活を営む上での大事なことが見えてきたり、仕事の楽しさが分かってくるという例です。

この言葉自体は間違っているわけではないと、私は思います。

ですが、前提条件が付きます。それは……

ちゃんと自分の事を大事に育ててくれる会社であれば

という前提の上に成り立つ言葉です。

当時のIT系の状況は悲惨の一言に付きます。
私のように、様々な理由からやむなくIT系へと入った人たちは、私の会社の同僚も含めて、社会人としての正当な扱いを受けていませんでした。
そして、今なお、この風潮は多種の会社にあって、受け継がれてしまっています。

それもその筈で、会社からすればとても使いやすいからでしょうね。
昭和の呪縛に取り込まれ、従順に働く社員は本当に従順ですから。さぞかし使い勝手が良いことでしょう。

そうして、私は会社のため、ひいては社会のため、貢献し素晴らしい人材となることを夢見て、歯を食いしばって頑張りました。

毎日、帰ってから家族に見つからないように泣きました。(おっさんですけど)
給料が少なかったので独立も出来ず、結果として実家から通っていたため、かなり気を使っていたのをよく覚えています。
大学院にも行かせてくれたのに、このざまではと、家族の前では泣き言は一切、言いませんでした。
本当に申し訳なくて、だからこそ、早く独り立ちして、立派に勤め上げたいと日々願って頑張っていました。

そうした生活を続けて、丁度、3年が経ちました。

そんなある日のことです。
元々入れ替わりの激しい部署ではありましたが、仲の良い同僚が来ていませんでした。

同僚は、私と同じように真面目で、けどちょっと不器用な所がある方でした。
ちょっとした間違いをしてしまうことが多く、それでお客様に突っ込まれて話が長引くことが多かったと記憶しています。

しかし、真面目な方だったので、今の今まで遅刻したことはありません。
風邪でも引いたのかと上司に確認しましたが、連絡は来ていないとのこと。

その時、何か薄ら寒い予感がしたことを、私は今でもはっきりと覚えています。

そして、その日の夕方、同僚が来なかった理由がわかりました。

自殺でした。

同僚は、通勤の途中で快速電車に飛び込んだのでした。
何ということはないよくある話です。オレンジ色をした車両の沿線では日常茶飯事です。それは昔から変わっていません。

この時、話を聞いて私が思ったことは、「ああ、やっぱり」です。

勿論、悲しかったです。ですが、それ以上に「自分はそうはならないぞ」と言う、自分でも出処の良くわからない怒りがありました。

そしてこの事がきっかけで、私は徐々に、追い詰められていくことになります。

今回はここまで。
お読みいただきまして、ありがとうございました。

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こんにちは! 世界の底辺で、何とか這いつくばって生きているアラフォーのおっさんです。 お金も無いし、健康な体も無いけど、案外楽しく生きてます。 そんなおっさんの戯言を読んでくれてありがとうございます。