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こんなおっさんができあがるまで【5】

皆さん、こんにちは。かんおさです。

今回も、読んで下さりまして、本当にありがとうございます。
また、スキを押して下さっている方も、ありがとうございます。
やっぱり、反応があると、凄く励みになりますよね。

とは言え、この様な記事をいいねと言えちゃうのは、
ある意味で問題がある様な気がしないでもないのですが、
とりあえず、その辺りは棚上げしておくとして、今回も続きを書きたいと思います。

前回までで、私は見事に無職になりました。
しかも自主都合の退職だった上に、給料も頂けなかったのでいきなりの無一文です。

正社員とは言え、ベースアップも無く、ボーナスも無く、貯金ができる程の給料では無かったのでいきなりピンチです。
そんな状況から、まず私がしたのは、親に土下座する事でした。

無職になった事を親に詫びる

今もそうなのかもしれませんが、その当時としては、無職になると言うのはとても恥ずかしい事でした。
特に、私の親は昭和を生き抜いた、ある意味、生え抜きの昭和人です。

話を聞くところによれば、私の両親もかなり苦労をして、今の平穏な生活を手に入れた様です。
某・巨〇の星のような頑固おやじに振り回され、毎日のようにちゃぶ台返しされ、殴られた様な生活を生き抜いた親達です。

だから、価値観がどうやっても昭和なんです。
努力と根性と忍耐が幸せになるために必須であるという、超昭和な考え方の両親でした。
事実、それで今まで頑張って生きて来たんですから、これはもう仕方ないと思うのですよ。

まぁ、今の人たちから見れば、色々と突っ込み所はあるのでしょうが、その当時は、それが当たり前だったのです。

そんな親が私を何とか一人前……とは言えない所が恥ずかしいのですが、しっかりと育ててくれた訳です。

ですから、私は、親たちのそんな価値観を、頭ごなしに否定する事は出来ません。それは今もそうです。

そして、それだけ苦労して色々とお金も何もかもつぎ込んで私を育ててくれたのに、当の本人は、この体たらくです。
私としては、もう腹を切ってお詫びするより他ない状況です。
それは、大袈裟でも何でもなく、本当にそうだと当時も、そして今も思っています。

まぁ、今は少し客観的に自分の事が見られるようになったので、本当の原因はそれだけではないと今なら分かりますが、あの時、私に出来る事は、ただただ、情けない気持ちを抱えたまま、親に詫びる事だけでした。

そして、そんな私を親は黙って受け入れてくれました。

恐らく、私が今、こうしてここで、こんな情けない文章を書いていられるのも、私の親が、私の親であったからだと思います。

罵倒する事も出来たと思います。
追い出す事も出来たと思うのです。
ですが、まぁ、色々と根性が足りない的な事は言われましたが、最後は黙って見守ってくれていました。

それだけでなく、今まで家に入れていたお金の一部を使って就職活動もさせてくれました。

私は多分、他の人より数段恵まれていると実感していました。
だからこそ、余計にもっと頑張らなければと思ってしまったのでしょう。

次の職場 そこもまた地獄だった

親から援助も貰えた結果、直ぐに就職活動を開始できた私は、派遣社員としてですが、すぐに職に就けました。

まぁ、今なら分かります。

今迄の経験を踏まえ、私の精神はかなりズタボロです。
ですが、当の本人にその意識はありません。

もし、ありがたい事に、ここまでの私の話を読んで下さっている方がいらっしゃるなら、もうお気づきかと思いますが……
この時、恐らく私は、うつ病を発症しておりました。

ここで更に悲惨だったのが、それでも私が頑張れてしまった事です。

そうなんですよ。根性論万歳な環境で育ってしまった私は、この苦難を乗り越えた先に、幸せがあると本気で思っていたんです。
いや、実際に、苦難を乗り越える事は、生きる上でとても重要なんですが、今回の私の例は、ちょっと意味合いが違いますよね。

客観的に見て、この時、私に必要なのは間違いなく、休息でした。

ですが、私は、この時、本当に魂が焼かれていると言っても良いほど、焦っていたのです。

ちゃんとしないと、恥ずかしくて人として生きていけない。
皆が出来ている事を自分ができないなんて、生きる意味が無くなってしまう。

私を突き動かしていた衝動は、正にこれに付きます。
正直、そんな衝動だけで動いていたので、当たり前ですが、またもや真っ黒な会社に突入する事になります。

必要とされているという実感が欲しかったからこそ、採用してくれるところにホイホイと足を突っ込んでしまったんですね。

そして、その職場もまた、いい感じに真っ黒でした。

その職場は、ベンチャー企業で、新しい画期的なシステムを開発する……と言う名目で動いているところでした。

やり手の社長が引っ張る、少数精鋭のプロ集団です。

まぁ、この時点で今なら、胡散臭さ全開なんですけど、まぁ、あれですわ。
その当時の私は、その言葉の尤もらしさと夢の大きさにコロッと騙されてしまいます。

とは言え、私はプログラミング経験も無い、素人です。

ハード系の知識は豊富ですが、ソフト系はからっきしでした。
それは、入社の時に伝えていますが、この業界、便利な言葉があります。

本人のやる気があれば大丈夫。
自分で成長できる人なら即採用。

うん、そうなんですよ。
勿論、これに適切な教育環境と、適切な工程管理が付随していれば何の問題も無かったんです。

しかし、少しでもこの当時の開発環境を知っている人なら、もうお分かりかと思います。
この当時、いや、今でもそうですが、流行った便利な言葉あります。

OJT(On the job training)

もう、これは何と言うか、この後何処に行っても付きまとった言葉なので、ある意味でトラウマ物なのですが……

言うなれば、現地(職場)で訓練させながら並行して業務を行う事です。

一見すればとても素晴らしいシステムの様に思えますが、これ、最大の欠点があります。

ちゃんと担当の方が教育に精通していないと、大抵失敗するという事です。

そもそも素人が業務なんてすぐできる訳ないんですよ。
ですから、その素人を教育・管理する人が絶対的に必要なんです。
ですが、この当時、何処の場所でも、基本的に教育担当の人に余裕がある事はまずありえませんでした。

時代背景として、超就職氷河期からの人員削減が重なって、どこも人手が足りずに、余裕のない中で仕事をしていたからです。

ですから、そんな時代にあって、適切なOJTが行えるはずがありませんでした。

そうして私は、ド素人です。
それでも、ネットと参考書を駆使しながら、開発環境の使い方から、コードを書き方から、ほぼ、放置状態で独学で勉強していきました。

幸いなことに、教育担当の方はとても優しい方だったので、時間の無い中であっても、必要な事をまとめておけば、答えてくれる方でした。

しかし、社長が酷かった。

じゃあ、取りあえず商品作ってみようか? 的なノリで、何もわからないド素人に、丸投げしてきます。

勿論、私も、教育担当の人もまだ、その段階では無いと説明するのですが、ここで出て来るのが、根性が足らないという素敵なお言葉です。

しかし、まぁ、現実とは残酷なもので、幾ら本人が頑張っても、根性みせても、出来ないものは出来ないんです。そうして、徐々に社長を怒らせていくことになります。
そして、結局、前と同じ様なお話になって行きました。

曰く、会社に損失を与えているから給料は無し
曰く、(私が)使えるようになるまで社長より先に来て後に帰れ

という訳で、私はめでたく、無給の上、始発で来て終電で帰るという生活を余儀なくされます。
しかし、ここで唯一救いだったのが、なんだかんだ言っても、ちゃんとプログラミングの勉強ができた事です。

そしてただ働きでしたが、当時の私はそれも仕方ないかと、またもや同じ様な思考に陥っていました。
ましてや、前職で同じ様に解雇されている訳ですから(言い掛かりですけど)、今回は絶対に失敗できないという想いが強かったという側面もあります。

ですから、気力という面では実は、前職よりも漲っていた部分があったと思います。
新しい事にチャレンジしているという、一種の満足感もあって、頑張れていた部分もあったのだろうと後になって考えれば、思います。

しかし身体は正直だった 最初の異変

ですけど、まぁ、そうは言っても、やはり体には自覚症状が無いままに、相当な負荷がかかっていたようです。
冷静に考えれば、それはそうです。うつ病状態を引きずった不安定な状態のまま、今度は完全にオーバーワークです。

そして、遂に、私の身体は悲鳴を上げる事になります。
そんな生活を4カ月ほど続けたある朝の事でした。

突然の激痛で、強制的に叩き起こされました。

右目の奥から今まで経験した事のない様な、激痛が絶え間なく襲ってくるのです。

その時の私は、余りの痛さに寝室で叫んでのたうち回っていたそうです。
汚い話ですが、下も漏らしたらしいです。
らしいです……と書いた通り、最初のこの症状の時は、余りの痛さに意識が飛びました。
ただ、本当にこの地獄の様な激痛は、この後、長い間付き合っていくことになるのですが、今でもその痛みは思い出すことができます。
そして、思い出すたびに、今も手に汗がにじみます。

これが身体からの最初の悲鳴。

後に、群発頭痛と診断される、地獄の苦しみの始まりだったのでした。

今回はここまで。
お読み頂き、ありがとうございました。

こんにちは! 世界の底辺で、何とか這いつくばって生きているアラフォーのおっさんです。 お金も無いし、健康な体も無いけど、案外楽しく生きてます。 そんなおっさんの戯言を読んでくれてありがとうございます。