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こんなおっさんが出来上がるまで【12】

皆さん、こんにちは。かんおさです。

このダラダラと人生の恥を綴ったなんだか良くわからない日記? 記録? みたいな物も、今回で最終回となります。

今までお読みいただいた方。スキ・フォローをしてくださった方、本当にありがとうございます。

それでは、現在に続く最後のお話を進めたいと思います。

感謝することで自分自身の価値観が変化した

前回のお話で私は、感謝することを追求することで、自分でも想定していなかった変化が起こりました。

それまで他人と自分を比べて僻み、妬み、そして絶望することしか出来なかったどうしようもない自分が、他人の事を思いやれる余裕すら得られるようになっていたのです。

それは、前回のお話でも書いたとおり、無理矢理にでも感謝する為に、自分と他人のつながりを意識するようになったからです。そして実感を得たことで、他の人達が思っていた以上に自分と繋がっているということが理解できました。

郵便配達のお兄さんの様に、直接、我が家に関わる存在もあります。
しかし、もう少し深く考えてみれば、今、自分の周りにある全ての存在が、実はどこかの誰かの仕事や思いを通して、私達自身へと届けられていることを理解できると思います。

何だ、そんな当たり前のこと知ってるよっていう人も多いかと思います。

私だって知ってました。知識としてはですが。
ですが、それが実感として自分の中に収まったという感覚は、この時からでした。

例えば、生活をおくるのに必要な電気。

どこかの誰かが頑張っていてくれているから、今の私はこうしてのうのうと、PCの前でこの文章を書いていられます。
例えばどこかの知らない誰かがその仕事を全うできなくなって、電気が届かなくなったとしましょう。

私達の生活は一気に破綻してしまう訳です。

それは恐ろしいことでもありますが、同時に凄いことでもあると思うのですよ。
きっと一人だけではなくて、何人も名も知らない誰かの仕事が繋がって、繋がって、繋がった先に私達の家に電気が来ているわけです。

それは電気というものだけでなく、目の前にあるもの全てがそうなんですよね。

当たり前のことって、誰かの頑張っている結果なんだなーと言う事が、ほんとうの意味で理解できたわけです。

そうしたら、ちょっとしたことでも、ありがとうって言える気がします。
名も知らない誰かに向けても、感謝できる気がします。

そうして私は少しずつ外に出れるようになりました。

買い物をした時に、「ありがとう」と店員さんに伝えられるようになりました。店員さんにもありがとうと返されるようになりました。

そうして私も、どこかの誰かにありがとうって言われるような仕事がしてみたいなぁと、漠然と思うようになったんです。

中々一歩が踏み出せなかった私の背中を押した一言

とは言え、こちとら何年もニート生活にどっぷり使った、まごうことなき社会落伍者です。

そう簡単に、「よーし、働いちゃうぞー」とか出来る様な精神構造をしていれば、こんな事にはなっていません。

働きたいな、と思いつつ、仕事を探し始めるのですが、結局、中々進みません。
それと言うのも、以下のような事が、常に頭をよぎり、どうしても応募できなかったんです。

・今まで失敗ばかりの私に、こんな仕事が務まるんだろうか?
・私のようなニート上がりの奴が応募して迷惑にならないだろうか?
・この会社、またブラック企業なのではないか? また酷使されるのでは?

そうして、ちょっと気になる仕事があっても、そういった理由が頭をよぎり、やめてしまうという事を数ヶ月繰り返していました。

そんなある時、私はある本を図書館から借りてきました。
私は自他ともに認めるオタクでしたので、基本的にライトノベルを中心に読んでいました。
そんな中でちょっと今までとは違う画風で、独特の世界観を醸し出していたとある作品に目が止まったのです。

十二国記」と言う作品でした。

内容は中華風ファンタジーとでも言うような作品でしょうか?
有名な作品なので、読者の方の中には知っている方もいらっしゃるかと思います。最初は何気なく取ったのですが、当時の私は、その内容に衝撃を受けました。

もう主人公の心情が、登場人物たちの言葉が、自分の心に刺さること刺さること。

その中でも特に心に深く刺さったのは、この台詞でした。

「善意でなければ信じられないか!?
 相手が優しくしてくれなければ、優しくしてはいけないのか!?
 …そうではないだろう!?
 あたしが相手を信じることと、相手が私を裏切ることとは、なんの関係もなかったんだ。
 そうだ、私は独りだ。だから、私のことは、私が決める!
 私は、だれも優しくしてくれなくても、どんなに裏切られたって、誰も信じない卑怯者にはならない!
 世界も他人も関係無い!私は優しくしたいからするんだ!
 信じたいから信じるんだ!」

そうだ、自分は何をそんなに恐れていたのだ?
全部、自分のことじゃないか。

失敗して困るのは誰だ?
自分だ。仕事が出来ないと思われることが恥ずかしいだけだ。

相手に迷惑をかけるのは誰だ?
自分だ。だが、迷惑をかけた分、仕事ができるようになって取り返せばいいだろう。
しかも、本当に迷惑をかけるような奴ならハナから会社は採用しない。

ブラック企業だったら困るのは誰だ?
自分だ。だが、それならまた尻尾巻いて逃げればいい。
どうせズタボロな職歴にまた一つ企業名が増えるだけだ。

そうだ、何を恐れていたんだろう?
これだけ失って、何を守ろうとしていたのだろう?
必死に守ろうとしていたのは、本当にどうでもいい自分のちっぽけなプライドだけじゃないか。

きっと、失敗すればまた傷つく。けど、傷ついても失うものはそれだけ。
ニート生活をしている自分に、守らなければならない外聞も、仕事も無いんだ。

この作品を通して、そんな事にようやく気付いたんです。
だから、私は恥も外聞も全てすてて、ただ出来ることと、やりたい事を重視して仕事を探すことにしたのです。

だから私も「ありがとう」と言われたくて働き始めた

今まで私は、働きたくても結局ニート生活に陥ってからは、満足に働けてませんでした。

勿論、働く意志はありました。
ですが、それはお金のためというのもありましたが、それ以上に、自分自身の見栄のためでした。

過去の自分は、働けないことがとても恥ずかしいことだと思っていました。
何故なら他の人と同じ様に出来ない自分が、許せなかったから。

過去の自分は、だから働きたいと思っていました。
何故なら他の人と同じ様に出来ない自分が、情けなかったから。

人と比べて劣っている自分になりたくないから、働きたかったのです。

今なら分かりますが、なんて志が小さいんでしょうかね。
考えがしょぼいぞ、過去の自分(苦笑)
そしてそんな動機で働こうとするから、なかなか良い仕事に巡り会えなかったという点もあったのだと思います。

だって、働くことが理由になってますからね。本末転倒です。

そうして臆病だった自分は、決意しました。
今度は自分がやってみたいことを、素直にやれる仕事を探してみようと考えたのです。

とは言え、私の身体はポンコツになっている為、とてもではありませんがフルタイムの仕事には不安がありました。
精神的には大分安定したとは言え、頭痛もまだ起きてましたし、無理せず少ない時間でも働ける仕事が理想です。
しかも、可能であれば自分が感謝し、そして感謝できるような仕事ならば、言うことはありません。

いくら思い切ってやってみようと思っても、やはり現実との折り合いは需要です。
そこで最初に思いついたのは、介護系のお仕事です。
ですが、この当時の介護のお仕事は資格が必要だった上にフルタイムや夜勤が中心だったため、残念ながら書類選考の段階で全て落とされていました。

やはり、そんな都合の良いお仕事は無いかなぁ。

そう思っていたのですが、あったんですよ。一つだけ、こんなズタボロな私でも出来る仕事が。

都合の良いお仕事? それがあるんです

そんな風に職を探していた中で、ある求人に目が止まりました。

時給1000円以上。
週1日~勤務可能。
お昼から夜までの間で好きな時間帯を選択可能。

え? 何この私に都合の良すぎる案件は?
初めてみたときは、本当に心の中でツッコミを入れました。

今までの記事で書いたとおり、私の頭痛は早朝に襲ってくることが多く、薬の効かなかった時は、お昼ごろまで動けない状態になるため、普通の勤務が難しいと言う制限がありました。

しかし、このお仕事、お昼からでもOK。
更に週1で良いなら、様子を見ながらシフトを組むこともできそうです。
社会復帰という点で、これほど理想的で柔軟に対応できそうな仕事は、他に見たことがありません。

何だ、この仕事は!?

そうして仕事の詳細を確認し、私は一瞬で心が折れそうになりました。
いや、むりむりむり、私には出来ない……そんな荷が重すぎる。

……いや、しかし、条件は理想的。
今でこそ巷ではブラックと言われる職業の筆頭ですが、この当時はまだそれほど騒がれていなかった業種です。

実際、慣れてしまえば、立場によってはですけど、それ程でもないんです。

その職業とは……塾講師

普通の仕事すら満足にできない私でしたから、そんな頭が良い人がやる仕事とか出来るはずが無いと思っていました。

ですが、条件だけ見れば本当に私の状況にマッチする良い案件です。

とりあえず、ダメ元で受けるだけ受けてみよう。

これが私の人生を大きく変えることになりました。

史上最低ランクかもしれない塾講師誕生

そんな訳で、ダメ元で応募した私だったのですが、すぐに面談までこぎつけました。
今までどんなに頑張っても書類選考で落とされていた私がです。

大丈夫なのか? やはり罠(ブラック)か? と思いつつ、私はガクブルしながら最寄りの塾へと面接に向かうことに。

そこで何と、唐突に試験を受けることになりました。
聞いてないよー!? と心の中で叫びつつ、必死に問題を解きます。

ですが試験なんて大学を卒業してから受けた試しがありません。しかも、内容は高校レベル位までだったのですが、すごい勢いで忘れていました。
おう、駄目だ、終わったと、思いました。いや本当に。

そして、すぐに採点され、そのまま教室長との面談に入ります。

そこで、教室長と色々と雑談を交えつつ、先程の試験の点数を聞いて、私は本当に顔から火が出る思いでした。

数学 8点(100点満点)
英語 12点(120点満点)

今まで生きてきてぶっちぎりで一番恥ずかしいと思える仕打ちでした。
もう、すぐさま席を立って、夕日に向かって走り出したい衝動に駆られます。

いや、私、こんなんですけど、一応、大学院卒の理系出身ですよ?
論文とか一応英語で書いていたんですよ? それがこの体たらく。
凄いよ人間の頭って! いくらブランクがあるからって忘れてるにも程があるでしょう!?

と、まぁ、色々と頭の中で葛藤があったわけですが、そんな完全に顔を手で覆い隠したくなる状況で、教室長から出た一言に私は耳を疑います。

「あ、では来週からお願いしますね」

いや、駄目だろう(心の叫び)

待って下さい。何を言っているの? この教室長、頭おかしいんじゃないの? いや、頭おかしいと言うか、頭悪いのは私なんだけど。
と、私は喉まで出かかった言葉を、飲み込みつつ、オブラートに包んで質問しました。

そうして返ってきた言葉は、私にとっては意外なものでした。

「いえ、かんおささんなら大丈夫です。勉強は後から覚えれば良いですけど、人柄はどうにもできませんから。あなたなら良い講師になりますよ」

教室長は笑顔でそう言ってくれました。
このときの言葉があったからこそ、今の私があると思います。

その後、まぁ、色々と……本当に色々とあったのですが、私は細々と塾講師を副業として食いつないでおります。本当にダメダメな講師ですが。

それはまた別の機会があれば書きたいと思います。

結局のところ 自分を変えられるのは自分自身

今でこそ私は、こうやって落ち着いておりますが、うつ病を患って、精神的に追い詰められてからは、本当に苦しい時間を過ごしました。

まだ、自分を偽って、働いていたときの方が精神的には遥かに楽でした。

いつも他人と自分を比べて、醜い心を垂れ流していました。
いつも何もしてくれない社会を呪って、そして諦めていました。
いつもそんな自分の事が本当に嫌で、もがいていました。

そんな自分がかわったきっかけは、書いてきた通りですが、細かい考え方やそのきっかけについては、色々とあります。

今回の記事は、私の人生の遍歴を追うことを目的としていたので、ざっくりとご紹介いたしましたが、指針となる考え方やその気付きについては、また別の記事にして詳しく書きたいと思っております。

それでも、こんな恥だらけの人生を生きる私ですが、一応、そこそこ幸せに、しかも自分を好きなまま、今を生きてます。

今、苦しんでいる方、もがいている貴方。

きっと本当に辛くて、全てを誰かや何かのせいにしたくて、それでもどうにもならない日々を送っているのかと思います。

私はその辛さを分かるとは、口が裂けても言えません。
貴方の今感じている苦しみは、貴方だけのものですから。

ですが、同時にこれだけは分かります。
その苦しみを感じているのが貴方ならば、生み出しているのも貴方です。

例え原因が外にあろうとも、その苦しみは自分の内側からしか生まれてきません。
だから、どうしても今、自分が心底嫌な方がいましたら、どうか、ご自身が変わって下さい。

貴方を真の意味で救えるのは、誰でもないあなた自身です。

私のこんな拙い人生が、今苦しんでいる、貴方の何かの助けになれば嬉しいです。

ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。
心のからの感謝を。

そして、今を生きる皆さんに、素敵なことがありますように。

今回の記事はここまで。
お読み頂き、本当にありがとうございました。

こんにちは! 世界の底辺で、何とか這いつくばって生きているアラフォーのおっさんです。 お金も無いし、健康な体も無いけど、案外楽しく生きてます。 そんなおっさんの戯言を読んでくれてありがとうございます。