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こんなおっさんができあがるまで【7】

皆さん、こんばんは。かんおさです。

恥に塗れたこの人生記ーーと言うのもおこがましいものではありますがーーお読み頂き、ありがとうございます。
こんな文章ですが、スキを頂けて、嬉しいです。
なろうとか、ブログだと反応が無い事も多いので、書いたらすぐに反応があるって言うのは、それだけでモチベーションになりますよね。

拙い文章と、つまらん人生記ですが、少しでも何かを感じるきっかけになってくれれば嬉しく思います。

さて、前回、またもめでたく無職となった私です。
その後も、何とかしようと足掻き続けるのですが、悉く、明け方に突発的に起こる頭痛によって、その行く手を阻まれる事に。

とにもかくにも、地獄のような苦しみから逃れたい一心で、再度、病院へと駆け込みます。

遂に病名が判明 その名は、群発頭痛

無職になってから検査の為の通院を繰り返し、その結果、数か月をかけて、ようやく頭痛の正体が判明しました。

という訳で、その時、ようやく診断された病名は群発頭痛でした。

ただ、今でこそ、そこそこの知名度と対処法を得たこの病気ですが、私が発症した当時は、まだ名前も知られてなく、対処法も手探り状態で、診断された先生も、群発頭痛……じゃないかなぁ? 位のものでした。

私も、その病名は人生で初めて聞いたので、どうすれば良いのかわからなかったのです。
それは、その時の担当医も同じだったようで、一応、効くとされている薬を処方してもらう位しか手が打てないという状況でした。

それでも、少なくともこの頭痛で命が脅かされる事は無いという、医師の言葉が、不安と絶望の底に居た私を少しだけ救ってくれました。

その事は親にも伝えられ、とりあえず差し迫って命の危険が無い事で、家族も一安心。

この時、家族も私もこの病気をある意味で甘く見ていました。
例え命の危険が無いと言われても、死にたくなるなら、意味ないですよね。

激痛との戦い 終わらない地獄の日々

恐らく無間地獄と言う物がこの世に存在するのなら、これも一つの形なのかもしれません。

その後、不定期にではありますが、早朝、激痛で強制的に目が覚めると言う事態が続く事になります。

医者からは、大体数か月で群発期(頭痛が起こる時期)は治まると言われていましたが、私の場合は、何故か群発期が1年中続きました。
今にして見れば、深層心理に鬱積していた物が多大なストレスとして体を蝕んでいたのだと分かるのですが、この当時は、そんな事思いもしません。

ましてや、この当時は、うつ病と言う言葉すらまだ、聞きなれない様な時代です。ストレスが身体に与える影響など、医学的な物も確立しておらず、都市伝説の域を出ない様な物でした。

そんな中で何度も医者に行き、検査と診断を繰り返す日々。

ですが、ここで問題になったのは、治療費です。

この時私は無職。しかも、蓄えも殆どなく、半ニート状態でした。
今迄、記事を読んでくれた方は、この時の私がどう思っていたか何となく想像がつくと思いますが……正直、居た堪れない気持ちで一杯でした。

早く自立して、ちゃんとした生活を送れる普通の人間になりたいのに、それどころか、家族に対しても社会に対しても完膚なきまでにお荷物の厄介者となり果てています。

それがとても恥ずかしく、また悔しくもあったのです。

ですから、ついに貯蓄が底をつき、診療を続ける事が出来なくなったとき、私は親に治療費を出して貰う事をお願いすることができませんでした。

これは今考えても、人生最大の失敗だったと思います。

もし、この時、治療を続けてもっと早く群発頭痛と対峙する方法が見つかっていたら、もう少しまともな身体でいられたかもしれません。

ですが、人生に「たられば」はありません。
この時の私は、自分さえ我慢すれば何とかなると思い込んでいました。

うまく行かない仕事 崩壊する価値観

それから3年間、私は派遣社員として何度も職を転々としました。

しかし、どこの職場に行っても長く続く事はありませんでした。

どうしても細かいミスが頻発し、正直に言ってまともな仕事を出来なくなって来たのです。

原因は恐らくですが、頭痛で早朝疲弊していたことに加えて、うつ病がじわじわと進行して行った事でしょう。そして、そんな風に何度も転職し、失敗を繰り返す事で、自分の価値観と言う物が根底から覆ってくるようになります。

ああ、自分は生きている価値のない人間なんだ

これを、本当に心の底から実感するようなりました。
事実、失敗する度に罵声を浴びせられる現場も多々ありました。
失笑をかう事も多かったですし、底辺と蔑まれる事もありました。
ある職場では女性社員の方の名前を間違えてしまったばかりに、それを発端として職場内のいじめへと発展し、退職に追い込まれた事もあります。

そういう経験を蓄積した結果、本当に心の底から、そういう価値観が構築されたと言うか、ごく当たり前の事として刷り込まれていったと言う過程があるんだなと、今になれば理解できます。

そんな風に、自分の価値を完全に底辺にしてしまう事で、一方で、自分の心を守っていた部分もあったのでしょう。

仕事が出来なくても仕方ない。だって、自分は無価値なんだから。
だから罵倒されるのも仕方ない。だって、自分は無価値なんだから。
頭痛が起きるのも仕方ない。きっと天罰なのだろう。だって、自分は無価値なんだから。

今思い返すと、こんな感じの自己防衛で辛うじて乗り切っていた感じでしょうか。

まぁ、今なら鼻で笑ってしまう程、陳腐な言い訳ではあるのですが、この当時の私はこうしないと生きて行く事すら困難な状況でした。

それでも、仕事を辞める・療養すると言う選択肢は、当時の私には考えもつきませんでした。

金銭的な問題が大きいという事もありましたが、それ以上に中途半端なちっぽけなプライドのような物が、それを邪魔していたのです。

それをしてしまったら、今までの頑張りが無駄になる。
それをしてしまったら、ただでさえ殆どない私の価値が完全になくなってしまう。

そんな風に考えていました。何て愚かな過去の自分、と今なら思わなくもないですが……これは昭和の価値観で育った人なら、多くの人が陥る罠だと私は思っています。

だから、今、こんなに病んでる人が多いんですよね、きっと。

そうして、そんな日々に唐突にーー私からすれば本当に思いがけずに、終わりがやってきます。

その日は、妙に体調が悪かったのをよく覚えています。多分、風邪をひいていたのだと思います。
ですが、私は、例の如く当たり前の様に仕事に出ようとしていました。

その日も早朝に頭痛があったので、そのせいもあって妙に体が重く、フラフラだった事をよく覚えています。

流石に、傍から見ても、あまりにも様子がおかしかったのでしょう。
母親から、今日は休んだらどうかと、言われました。

実はそう言われたのは、その日が初めてでした。

そう書くと、何て薄情な親だと思われてしまうかもしれませんが、それは誤解なのではっきりと否定しておきます。

以前の記事でも書きましたが、昭和の価値観としては、頑張る事は美徳なのです。
私もそうでしたし、親の世代はもっと過酷な環境で育ってきました。
頑張っているなら、応援したくなるのです。

また、今の時代では、うつ病に対する知識であったり、ブラック企業という言葉が示す通り、仕事や働き方に対する認識が正反対と言って良いほど違います。

もしタイムマシーンがあって過去に戻れるなら、20~30年ほど前に戻ってみると愕然としますよ。

今と全く違う価値観で、普通の事として働いています。
パワハラ? 会社内のいじめ? 当たり前ですから。ついてこれない方がおかしいんです。弱い自分が悪いんです。そういう価値観です。

そんな時代を生きて来た私の両親や私なので、頑張っている私を止めると言う選択肢は本来、あり得ないものです。
父親だったら、その程度で情けないと言うでしょうが(苦笑)

そんな価値観を持つ母親が、休んだら? と言ってきたんです。

今なら分かりますが、相当に酷い状況だったのでしょう。
ですが私は、「大丈夫」「仕事しないといけないから」みたいな事を言ったと思います。

それでも執拗に母親が食い下がって来たんですよね。そんな事、本当に今までありませんでした。

いつも、「頑張ってね」「頑張ってるからいつか報われるよ」みたいな感じでずっと陰ながら応援し続けてくれた母親です。
まぁ、今ならそれが却って私を追い詰めるきっかけになっていたと分かるのですが、そんな事、その当時は誰も知りませんし、わかりません。
本当に心からそう思って、頑張ればうまく行くって信じている訳ですから。
それが結果的に悪手であったとしても、悪気などあろうはずもないんです。

そして、私はそんな母親の言葉を無視して、家を出ました。

もうこの時の私には、「仕事に出る」と言う価値を守るのが精一杯だったのです。
これを失くしてしまったら、本当に自分の価値なんて何も残らない位に思っていました。
まぁ、今なら「そんなズタボロの状態で働いて何になるんだ?」と思えるのですが、勿論、過去の自分はそんな事思いつきもしません。

そうして、上手く歩けないながらもフラフラしながら仕事に向かいます。ですが、交差点で信号待ちをしている時、突然後ろから誰かに抱き着かれました。

母親でした。

「もういいから、帰ろう。ね?」

泣きながら、強く抱きしめられつつ、そう言われて、何故か涙が出たんです。

その瞬間、ようやく、愚かな私にも自分の心がわかりました。

本当はもう何もかも放り出してやめたかった。
苦しい思いをしてまで、会社なんか行きたくなかった。
けど、自分では認められなかった。それをしたらもう本当に駄目になりそうだったから。

だけど、あの瞬間、母がそう言ってくれたことで、ようやく、自分の本心に向き合えたんです。
何かに許された様な気がしたんです。

「ごめん、やっぱ休んで良いかな」

その時、素直にそう言えたのが私の人生の分岐点でした。

その日、私は無事、ニートになりました。
それは、ようやく、自分自身と向き合う時間を手に入れた瞬間でもあったのでした。

今回はここまで。
お読み頂き、ありがとうございました。

こんにちは! 世界の底辺で、何とか這いつくばって生きているアラフォーのおっさんです。 お金も無いし、健康な体も無いけど、案外楽しく生きてます。 そんなおっさんの戯言を読んでくれてありがとうございます。