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こんなおっさんができあがるまで【9】

皆さん、こんばんは。かんおさです。

いつも読んで下さる方、スキを押して下さる方、本当にありがとうございます。

今回も素敵な写真をお借りました。
ちなみに私のその時の人生の浮き沈みを、写真で表現してみているつもりだったりします。
その過程で、素敵な写真という名の作品を数多く拝見しております。
写真一つからでも、その方の想いが伝わってくるような気がして、見ているだけでも楽しいですね。
そんな素敵な作品をお借りしつつ、今回もとりとめもない記事を書きたいと思います。

ニート生活脱出のために足掻く

前回まで群発頭痛(?)とうつ病の治療を行いつつ、ニートとしての生活を送っておりました。

ですが、前回の記事にも書いた通りで、私にとってニート生活と言う物は、人生の中でささやかではありますが、穏やかな時間であったと同時に、どうしようもなく無力感に苛まれ続ける地獄の日々でした。

重ねて申し上げますが、ニート生活は、私にとって楽なものではありませんでした。

時間もありました。お金さえかけない範囲であれば、好きな事もできました。
衣食住には困らない生活でした。これは本当に他の方と比べれば、恵まれていたと自覚しております。

ですが、そこまで恵まれていたにも関わらず、私にはこれっぽっちも余裕などなかったんです。

◯ お医者さんからは就業を止められていた

まず、これが辛かったです。
色々な意味で辛かったのですが、お金も社会的価値も生み出せない状況というものが、私を本当に焦らせ、そして苛(さいな)んでいました。

ただ今思い返しても、お医者さんの判断は正しかったと思います。

今迄、私は何度も就業をし、そして退職を繰り返してきました。
それは、一方でブラック企業たる状況があった事は事実ですが、それ以上に私の精神状態がおかしかったという事が根本的な原因となっていたと思います。

まず、うつ病が酷い状態の時、私は全てに置いて自分が悪いと思っておりました。
ですから、業務の中でも何か問題があれば全て私のせいだと思い込んでいた節があります。
その為、何かの報告の際も、問題点が浮き彫りにならず、私がひたすら謝罪するという構図ができてしまうのです。
実際には何の問題が無くても、過剰に反応してしまい、大ごとになってしまう事もありました。

まぁ、今の世の中であれば、うつ病への理解もある程度は広まっているでしょうから、おかしなことがあれば、そういう精神的な病状も疑える土壌があるのでしょうが、私がおかしくなっていた当時は、まだそれほど精神病についての理解が無い時です。

ですから、私はそういう「使えない奴」という認識で終わるのです。とは言え、実際、客観的に見ても私は「使えない奴」である事は間違いありません。

ただ、この日本型の社会においては、「使えない奴」はそれなりに使いようがあるんですよね。
それがスケープゴートであったりする訳ですが、日本の土壌はその悪しき習慣が本当に顕著に良く出ます。
そして今にして思えば、私はその役目をある意味で、望んで引き受けていた面もあったのだと思います。
そんな役目でも、まだ必要とされているだけマシだと思えてしまっていた所に、この根深い問題の本質がある訳なのですが、それは追々、お話しする機会もあると思います。

そんな私の自虐的な状況を、お医者さんは理解していたのだと思います。

無理矢理よく言えば献身的と言えなくもないんですけど、実際はそんな良い物じゃないですよね。
今の私から見れば、それは単なる自傷行為であり、お互いに何の得もない、いわば LoseーLose の関係です。

しかし、その当時の私は、相手に迷惑をかけていると実感はしつつも、心の何処かで、その状況に縋っていたんでしょう。
本当にはた迷惑な状況です。こっちくんなって言われても仕方ないかと思います。

ですから、過去の愚かな自分は、お医者さんには止めた方が良いと言われても、せめてアルバイト位はと、こっそりと応募をしてみていました。

ですが、そんな状況ですから、アルバイトすら受かりません。
面接まで行っても、自分の言動に自信が持てず、二転三転します。
そしてすぐに謝る癖がついていました。二言目にはごめんなさいと、口が勝手に動くような状況です。
そんな自分ですから、信用されるはずがないんです。

ただ、家族から見れば、受からないにせよ私が少しは働く元気を取り戻したと見える訳です。
それに、少しでもお金を稼げる方が健全に見えます。
この辺りのとらえ方は、家族の状況やうつ病の度合いによって感じ方は違うのでしょうが、うちの場合はそうとらえていました。

良かった、少しずつ良くなっているんだと、家族は安心していたそうです。

まぁ、単純に私が焦って空回りして自爆しているだけだったんですけど、この辺りって本当に難しいらしくて、他人からは精力的に活動しているように見えていたそうですよ。

◯ 自由に出来るお金が無いと心が死ぬ

これはどんな方でもそうなのではと思いますが、自分が自由にできるお金が一銭も無い状況というのは、本当に心を蝕みます。

焦っていた私の心を更に加速度的に追い詰めたのが、この金欠状況です。

この頃から今の今までずっと、私はお金の無い事に苦しめられてきておりますが、まぁ、その辺りは自業自得な面もあるので、さもあり何という所。

ただ、実際、お金が無い状況を「首が回らない」という言葉にで表した過去の方は本当に凄いと思います。

正にその通りで、人間ってお金が無いと首が回らない=視野が狭くなるんですよね。

これはある程度、お金が無い事を当たり前に出来てしまえば、多少は緩和するのですが、そうは言っても限度はあります。

とにかく、お金が無いと何も出来ないんですよね。

私の場合は、自他ともに認めるオタクでしたから、特にその影響が顕著でした。

まず、趣味であるゲームやアニメといったものにお金がかけられないので、時間があっても、お金の制限で選択肢が大幅に狭まりました。

そして、お金が無い私は、当時流行っていたMMORPGと言う無料系のゲームを中心に楽しむことになります。

これはある意味で、私にとっては癒しの時間となりました。
何せ失敗続きの人生ですから、無条件に成功体験を与えてくれるゲームは、ある意味で当時の私にとっての救いでもあったのだと思います。

ゲームの中限定とはいえ、成長しお金を稼ぎ、強大な敵を倒し、仲間と共に冒険できるという体験を得られたのは、良い影響があったと私は思います。

ですが、当たり前の話ではありますが、ゲームから離れてしまえば、そこに残るのは只の負け組なニートです。

その事実とその落差が大きくなればなるほど、私の心は次第に荒んで行きました。

そうしてもがき続け ニートらしい生活に陥る

皆さんはニートの生活にどういうイメージをお持ちでしょうか?
大抵の方が想像するニート像って、華々しいイメージは有りませんよね。

それはその筈で、上に書いたような状況を経て、最終的に徐々に身動きが取れなくなっていくからなんです。

お金も無い。気力もない。そして希望も無い、無い、ない、ナイ。

そういう心境へとじわじわと、真綿で首を締めるが如く、鬱々とした状況に陥って行きます。

どうにかしてこの状況を打破したいのに、その方法が見つからない。

アルバイトすら受からない自分に、普通の仕事なんて到底無理。
早く仕事に戻りたいけど、どうしたら良いかわからない。

焦る中、時間だけが本当にドンドンと過ぎて行く訳です。

そうして、元同僚や同級生たちから、次々と結婚・出産などの幸せ報告が届くようになります。

ニート生活を続けて、3年。
その頃になると、私の心は完全に荒んでくるようになる訳です。

外に出れば、幸せそうなカップルたち、学生たちの姿が。
対してお金も無い私は喫茶店にすら入れないので、公園のベンチで日向ぼっこの日々です。

しかし、そこでも子供達の輝かんばかりの笑顔や、幸せそうな奥様方たちの日常を、まざまざと見せつけられる事になります。

勿論、それは本来全然悪い事ではありません。

正常な精神と気力の充実した心であれば、微笑ましい日常の一風景です。
ああ、可愛いなぁとか、幸せそうで良かったって思えます。今の私ならそう思えます。

ですが、ここまでの経緯で足掻いて荒んでしまった過去の私には、そんな日常の一コマすら眩しすぎて直視できませんでした。

そうなんですよね。比べてしまうんですよ。
どうやっても、今の自分の情けない姿と比べてしまって、そして……

どうしようもなく憎く思えてしまうのです。

どうして私はこんな状況なのに、目の前の人々はこんなに幸せそうなのだろう?
どうすればああいう世界に生きられるんだろう?
あの時、どうすればよかったんだろうか?

そんな心が荒んでいた時期は、そんな日常の風景を視界に入れる事も、元気にはしゃぐ子供の声を聴くのも本当に嫌でした。

そして、それが続くと、どうしても、憎まずにはいられなくなるのです。

なんで皆は幸せそうなのに、自分はこんなに駄目なんだろうか。
辛い。見るのが辛い。幸せな人が憎い。こんな社会が憎い。

私の様にニート生活を経験した方は、こうやって心を病んでいくのだと思います。

そうして、そんな風に嫉妬し、世界を憎く感じてしまう自分が、どうしようもなく醜い存在に思えてしまうので、余計に辛いのです。

そうすると、どういう事になるかと言えば……ニート生活を続けた結果、無事に引きこもりへとクラスアップ(ダウン?)する事になる訳です。

今、多くの引きこもりの方々やニート生活をしている方々の心中には、恐らくですが多かれ少なかれ、こういった経緯による暗い感情が、今なお心に澱(おり)の様に堆積しているかと思います。

もしかしたら、今、この瞬間にも、そんなどうしようもない状況から、抜け出そうと必死になっている方もいるかもしれません。

そんな人たちが、もし仮に私と同じ様な状態になった時、生きる為の何かの足しになればと、私はこんなに恥まみれの人生を残しています。

この時、私にとって幸運だったのは、家族の理解が得られていた事でした。

なので、恩を返すまでは死ぬことは許されないと思っていましたし、今もそう思っています。その義務感にも似た感情があったからこそ、私は辛いと思いつつも自死を選ぶことはありませんでした。

ですが、これがもし天涯孤独の身であったなら……大袈裟でも何でもなく、私はさっさとこの世から退場していたと思います。
そう言った経緯から自分の意思をもって最後にその線を越えるかどうかは、迷惑をかけたくない人がいるかどうかが大きいんじゃないかなって私は思います。

今でも本当にふとした瞬間に、その誘惑は囁いて来ます。
それは、今の私にとってはもう旧来の友人のような感覚ではありますが、誰もがその囁きを耳にする日は来るかと思います。

そうして3年、色々と足掻いた結果、ようやく、私はこの状況を脱する一つのきっかけを得ます。

出口に至る切っ掛け それは自分と向き合う事だった

当時の私の心境としては、本当に八方塞がりな状況でした。

何かを見ると、すぐに嫉妬心と絶望感がない交ぜとなった、負の感情が湧き出てきてしまいます。

先程書いたような事例に始まり、現実世界の事だけでなく、アニメのストーリーであったりとか、小説の事にまで何故だかいら立つようになります。

しまいには、朝のスズメの鳴き声にすら嫌悪感を抱く様にすらなりました。
今にして思えば、相当に拗らせているなと思いますが、当時の私はそれが苦しくて仕方ない一方で、心の何処かでこう思いたがっていたんですよね。

自分は悪くない

まぁ、実際、別に過去の自分が全て悪いとは、今も思っていません。
ある意味で私にとっては必要な通過点であった事も理解しております。
ですが、当時の自分としては、どうやっても上手く行かないこの現状を、直視したくなかったのでしょうね。
原因探しと自己擁護に考えが偏って行った結果、そういう考えに一時期、支配されていた事は良く覚えています。

それは政治のせいでもあり、勿論、ブラック企業のせいでもある一方で、運命のせいでもありました。

どうにかして他の原因を探して、少しでも自分の背負う何かを押し付けたかったんだと思います。
そして、それはある意味で正しかったとも言えます。
全て自分のせいであると言えるほど、私も強くはなかったようです。

ですが、同時に、本当に自分でも意識していない所で、こうも思っていました。

そんな自分が凄く恥ずかしく、情けない存在であるという事です。

これは最初は無意識化であった事ですが、徐々に、表に出てくるようになります。

ここまで記事をお読みの方々は、何となく察して頂けると思うのですが、元来私は、普通である事に拘る人間でした。

皆に出来る事を出来ない自分はカッコ悪いし情けない。

ですから、そんな自分にはなりたくなかったのですが、現実はかくも無残なものです。

だからこそ、当時の私は自分の事が大嫌いになっていました。

そう言った自分の元来持っていた価値観と、現実との狭間で、私の心が完全に板挟み状態になってしまっていたのだと、今振り返れば分かります。

しかしどんなに考えても、どうあがいても、現実からは逃れられませんでした。
ですから、色々と鬱屈して他人のせいにしようとしたり、無意識に色々と自分を守ろうとして見ましたが、もう限界でした。

そんなある日、お風呂で本当に偶然、鏡に映る自分がしっかりと見えました。

思い返せば無意識に見る事はあっても、なんでしょうかね、こう、マジマジと見た事って、ニート生活になってからは一度も無かった気がします。

そんな鏡の中の自分は、とても薄幸そうな力のない顔をしていました。

そして、その姿を見て、唐突に悟りました。
ああ、本当に自分は不幸せそうな顔をしているんだなと。
その瞬間、何だかフッと自分の認識が落ち着いたと言いますか、理解できたと言いますか、納得したような気分になりました。

同時に、こうも思いました。こんな顔をしている奴が、幸せになれる筈がないと。

当時の私は本当に、何時の頃からか無意識のうちに自分の事が嫌いになっていました。
ですから、鏡で自分をマジマジと見る事も無意識に避けていたんだと思います。

それは、若かりし頃夢描いていた自分の姿とはかけ離れた、情けない存在に成り下がっていたからです。ですが、もう目を背ける事は不可能でした。
本当に自分はとんでもなく情けない存在であり、どうしようもなく社会のお荷物であるというのは、紛れもなく現実である事は認めなくてはなりません。

これを私は無意識のうちに、認めたくなくて抗っていたように思います。

正確には茶化すというか愚痴の様に、そんな事を口にする事はありましたが、本当に心の底から、そう思っている訳では無かったのではなかろうかと、今にすれば思います。

何とかその事実だけは見る事を避けようとして、そして無駄な足掻きをしていました。

その日、鏡に映った自分を見て、そりゃ駄目だわと、心の底から納得しました。

これが、こんな些細なことが、私が地獄から抜け出す最初のきっかけとなったのです。

今回はここまで。
お読みいただき、ありがとうございました。

こんにちは! 世界の底辺で、何とか這いつくばって生きているアラフォーのおっさんです。 お金も無いし、健康な体も無いけど、案外楽しく生きてます。 そんなおっさんの戯言を読んでくれてありがとうございます。